背奈福徳

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背奈福徳
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 不明
氏族 背奈氏
父母 父:栄留王?
福光、行文、和徳
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背奈 福徳(せな の ふくとく)は 、飛鳥時代豪族(カバネ)は伝わらない。第19代高句麗王広開土王の後裔で、その七世の子孫である延興王(延典王)の子孫とする[1]。また、第27代高句麗王・栄留王の子とする系図がある[2]

経歴[編集]

660年(唐の年号では顕慶5年)にの将軍・李勣により高句麗平壌城が陥落すると、福徳は日本(当時は「」)に亡命し、のちに武蔵国に居住した[3]

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 新撰姓氏録』左京諸蕃。ただし高句麗王族の系図に延興王(延典王)に当たる人物は見あたらない。
  2. ^ a b c d e f 鈴木真年『百家系図稿』巻9,高麗百済。なお同書は刊行物ではなく、その名のとおり草稿に分類すべきものであり、Wikipediaでは一次史料の扱いとなることに留意すること。
  3. ^ a b 続日本紀』延暦8年(789年)10月17日条に、福徳の孫福信の叔父として登場する。

参考文献[編集]

  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会,1986年