脇子八幡宮

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脇子八幡宮
所在地 富山県下新川郡朝日町横尾966
位置 北緯36度57分30秒
東経137度34分18秒
主祭神 応神天皇豊城入彦命事代主神北陸宮
社格 郷社
本殿の様式 神明造
別名 脇子神社
例祭 7月1日
主な神事 神火受の神事
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脇子八幡宮の位置(富山県内)
脇子八幡宮

脇子八幡宮(わきこはちまんぐう)は富山県下新川郡朝日町にある神社

歴史[編集]

日本紀略』には寛平元年(889年)に脇子神に従五位下を授けるとの記載があり、六国史以外に記載が見られる式外社に該当する。

中世には平家追討の影響を受けて、以仁王の第一皇子が神前で元服し、北陸宮が擁立された。寿永2年(1182年)、源義仲が平家追討の祈願を行った。八幡宮には、当時義仲が献進したとされる太刀が、米正作の扇額4面・鏡1面とともに保管されている。

天正年間(1573年-1592年)、現在地に社家を移築し、泊地区の氏神となった。城山頂上はかつての宮崎城の城址であり、横尾の里宮に対して、ここには現在奥宮が存在する。

近代社格制度のもとで神社名を脇子八幡宮として明治4年(1871年)に郷社に列格した。昭和20年(1945年)に県社昇格の内定を受けていたが終戦となり、現在に至っている。

祭神[編集]

祭神名は「応神天皇」、「豊城入彦命」、「事代主神」、「北陸宮」としている。

創建[編集]

大宝2年(702年)、高向氏により、越中国越後国の国境鎮護の神として脇子山に鎮祭されたと伝わる。

神階[編集]

従五位下(寛平元年(889年)8月22日)

神紋[編集]

ささりんどう

建造物[編集]

  • 本殿 - 神明造
  • 拝殿
  • 神明社
  • 奥宮 - 城山頂上

主な行事[編集]

  • 1月1日 - 神火受の神事、神前の浄火を受けた参拝者は、それを家に持ち帰る。
  • 7月1日 - 例祭

交通[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 全国神社名鑑刊行会史学センター『全国神社名鑑 上巻』全国神社名鑑刊行会史学センター 平成2年(1990年)