舟形の戦い

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舟形の戦い
戦争秋田戦争
年月日慶応4年7月11日1868年9月1日
場所山形県最上郡舟形町
結果旧幕府軍庄内藩の勝利
交戦勢力
新政府軍Flag of the Japanese Emperor.svg
薩摩藩長州藩佐賀藩小倉藩新庄藩久保田藩本荘藩亀田藩矢島藩など
旧幕府軍Mon-Tokugawa.png
仙台藩米沢藩上山藩天童藩
指導者・指揮官
九条道孝大山格之助佐竹義堯(久保田藩主) 酒井忠篤(庄内藩主)・楢山佐渡(南部軍総大将)
損害
戦死8名、負傷12名 負傷1名
戊辰戦争

舟形の戦い(ふながたのたたかい)は、戊辰戦争時の、新政府軍の庄内藩追討作戦の際の舟形で新政府軍と旧幕府軍の戦いの名称である。

背景[編集]

7月11日の真夜中に、庄内藩の二番大隊は楯岡を出発して、羽州街道を引き返し、尾花沢を通り、舟形に到着した。到着すると酒井吉之丞は、すぐに軍議を開いた。その時、新庄藩の裏切りによって手引きされた新政府軍が、旧幕府軍の奇襲攻撃を受けて、潰走しているという探索方の情報を聞く。

そこで、軍議の方針は、即時の新庄城の攻撃と庄内藩一番大隊の到着をまって共に、新庄城を攻撃するかとい二つに割れた。結果は即時の新庄城攻略に決まったが、結局7月12日の攻撃開始になり、舟形に宿陣した。

7月12日に兵糧が不足しているので、一番大隊を待つことになった。しかし、一番大隊が遅れるので、二番大隊のみで戦うことになった。

7月12日、前日より金山に宿営していた、新政府軍が庄内藩が新庄を攻撃しようとしている情報を受ける。そして、7月13日に、新政府軍が舟形の庄内軍に攻撃を開始した。実際には、庄内兵と戦ったのは薩摩兵新庄兵で、他の軍は敗走した。庄内藩の完勝であった。

参考文献[編集]

  • 郡義武『秋田・庄内戊辰戦争』人物往来社、2001年
  • 『三百藩戊辰戦争事典』人物往来社、2000年