芦別線

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芦別線(あしべつせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が計画していた北海道芦別市芦別駅から深川市深川駅までを結ぶ予定だった鉄道路線未成線)である。

芦別市新城付近に残る芦別線の築堤

概要[編集]

鉄道敷設法別表第137号ノ2に規定する「石狩国深川附近ヨリ芦別ニ至ル鉄道」で、1953年(昭和28年)8月1日に公布・施行された「鉄道敷設法等の一部を改正する法律」(昭和28年法律第147号)によって追加された路線である。工事は芦別 - 石狩新城の路盤工事がほぼ完成し、石狩新城 - 納内間の用地も一部が確保されていたが、芦別線によって水田を分断される旭川市内の農家の反対や石炭需要の減退により沿線予定地の炭鉱が閉山したため計画は頓挫した。

路線データ[編集]

新設区間である芦別 - 納内間のデータ

  • 路線距離(営業キロ):芦別 - 納内間30.2km(既設の納内 - 深川間を入れると37.6km)
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:9駅(起終点駅含む。深川駅を入れると10駅)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化

芦別線の歴史[編集]

  • 1925年(大正14年) 芦別村長、深川町長ら地元関係者が国会に対して請願書を提出。
  • 1931年(昭和6年)8月 鉄道省建設局が芦別 - 深川で測量を実施。
  • 1940年(昭和15年)1月 沿線町村および留萌郡雨竜郡の自治体を集め、深川芦別間鉄道期成同盟会を結成。
  • 1949年(昭和24年)10月 芦別深川間鉄道敷設促進期成会結成により計画が再燃。
  • 1952年(昭和27年)5月 旭川鉄道管理局が調査を開始。
  • 1952年(昭和27年)8月 札幌工事事務所が調査を開始。
  • 1953年(昭和28年)8月 鉄道建設審議会において芦別線が予定線に昇格。
  • 1956年(昭和31年)2月 芦別線が調査線となる。
  • 1957年(昭和32年)4月 工事線に昇格。
  • 1958年(昭和33年)9月 国鉄による実地調査を開始。
  • 1962年(昭和37年)2月 第一工区の芦別 - 常磐(黄金鉱入口)間の用地を確保。
  • 1962年(昭和37年)4月 深川で着工祝賀会を開催。
  • 1963年(昭和38年)3月 第二工区の常磐 - 新城間の買収交渉が妥結。
  • 1963年(昭和38年)11月 常磐 - 新城間の着工式が行われる。
  • 1967年(昭和42年)5月 第三工区の新城 - 新城峠間の路盤工事を開始。
  • 1968年(昭和43年) 新城峠以北の用地買収を一部で開始。
  • 1968年(昭和43年)12月 芦別 - 新城間の路盤が完成。同時に事務所が納内に移転。
  • 1972年(昭和47年)7月 同年度の予算配分がゼロに。これにより同線の工事が凍結。
  • 1990年(平成2年)2月 芦別 - 納内間の用地と橋梁部などが日本国有鉄道清算事業団に譲渡。

設置予定駅[編集]

芦別駅 - (高根信号場) - 石狩常磐駅 - 石狩黄金駅 - 石狩新城駅 - 菊丘駅 - 石狩豊里駅 - 更進駅 - 新神居古潭駅 - 納内駅

納内駅 - 深川駅間は函館本線を参照。

接続路線[編集]

現在の当該区間の交通[編集]

道道旭川芦別線がこの経路に近く、芦別 - 深川・旭川間の交通はこれを利用するのが主となっている。この経路で芦別 - 旭川間に北海道中央バスのバス路線も運行されている(→北海道中央バス旭川営業所)。同線はかつては平日に20往復運行されていたが、やはり過疎化の進行により年を追うごとに減便され、現在の運行は平日3往復、土曜・休日5往復(2018年4月1日現在)となっている。なおバスで芦別 - 深川間を直接移動することはできず、途中で深川 - 旭川間、または更進 - 深川間のバスに乗り換える必要がある。

参考文献[編集]

  • 「注解 鉄道六法」平成20年版 国土交通省鉄道局監修 第一法規出版 2008年10月発行
    • 旧法 鉄道敷設法
  • 「旅」1999年11月号 特集:鉄道新時代 21世紀への序曲(JTB1999-11 No.874)
    • 別冊付録:改正「鉄道敷設法」別表を読む 三宅俊彦