芦田淳

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芦田 淳(あしだ じゅん、1930年8月21日 - 2018年10月20日[1])は、日本ファッションデザイナー。株式会社ジュンアシダ創業者。

人物・来歴[編集]

1930年日本統治時代の朝鮮全羅北道全州において、京都府出身の両親のもとに生まれる[2]。1951年、私立東都高等学校(現・東京高等学校[3]を卒業。

上皇后美智子皇太子妃時代における専任デザイナーを務めたことで知られている[4]アトランタオリンピック日本選手団、公式ユニフォームのデザインを担当。また全日空など有名企業のユニフォームを多数手かげている。師匠はイラストレーター中原淳一[5]

2013年10月4日、会社設立50年を迎え、後事を女婿である山東英樹に託し会長に退いた[4]

2018年10月20日21時32分、肺炎のため東京都の自宅で死去[1][6]。88歳没。

係累[編集]

妻は株式会社ジュンアシダ代表取締役会長の芦田友子(あしだ ともこ、1933年1月22日 - )。次女は同じくファッションデザイナーの芦田多恵

年譜[編集]

  • 1930年 - 開業医の家に、8人兄弟の末っ子として生まれる。
  • 1951年 - 東都高等学校(現・東京高等学校)卒業後、中原淳一に師事。2年間秘書を務める。
  • 1960年 - 髙島屋の顧問デザイナーに就任(1975年まで)
  • 1960年 - 帝人の顧問デザイナーに就任。
  • 1963年 - 有限会社テル工房(現:ジュン アシダ)をオープン。プレタポルテの製作販売を始める。
  • 1966年 - 当時の皇太子妃美智子の専任デザイナーとなる。以降、1976年まで10年間務める。
  • 1976年 - 銀座みゆき通りに、自社ビル店鋪「ブティック・アシダ銀座」をオープン。
  • 1977年 - パリ事務所を開設。パリ・プレタポルテ・コレクションにデビュー。
  • 1978年 - テル工房を株式会社ジュンアシダに変更。
  • 1989年 - パリのフォーブル・サントノーレ街にブティック「アシダパリ」をオープン。
  • 1993年 - 皇太子徳仁親王妃雅子の御成婚衣装を拝命。
  • 1993年 - 代官山フォーラムに「ブティック・アシダ本店」オープン。
  • 1994年 - 広島アジア大会、日本選手団の公式ユニフォームをデザイン。
  • 1994年 - 社団法人科学技術国際交流センターに芦田基金を設立。
  • 1996年 - アトランタオリンピック、日本選手団の公式ユニフォームをデザイン。
  • 2001年 - 生産管理・縫製部門を分社し、株式会社ジュンアシダ生産本部を設立。
  • 2013年 - 株式会社ジュンアシダ代表取締役会長。
  • 2018年10月20日 - 死去。

主なユニフォームデザイン[編集]

  • 全日空 - 4代目(1970年-1974年)、7代目(1982年-1990年)、8代目(1990年-2005年)。
  • 帝国ホテル - 1990年-2007年8月。

受賞・受章歴[編集]

書籍[編集]

著書[編集]

関連書籍[編集]

  • 写真集 『jun ashida-デザイナーの30年』 婦人画報社、1993年。ISBN 978-4573141124。

脚注[編集]

  1. ^ a b “デザイナーの芦田淳さん死去 皇族の服も手がける”. 朝日新聞. (2018年10月22日). https://www.asahi.com/articles/ASLBQ5J2VLBQUCLV01G.html 2018年10月22日閲覧。 
  2. ^ 「私の履歴書 芦田淳」 『日本経済新聞』 2009年8月1日
  3. ^ http://www.tokyo-hs.ac.jp/sub15.html
  4. ^ a b “裏読みWAVE デザイナー50年回想「運命を分けた決断」芦田淳”. 日本経済新聞. (2013年10月11日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASFE0703K_X01C13A0000000/ 2013年12月27日閲覧。 
  5. ^ “ジュン アシダ、創造と経営の両立難しいファッション業界で成功した“異端児”社長退任”. ビジネスジャーナル. (2013年12月27日). http://biz-journal.jp/2013/12/post_3711.html 2013年12月27日閲覧。 
  6. ^ 芦田淳さん死去=ファッションデザイナー、88歳 - 時事ドットコム 2018年10月22日
  7. ^ 芦田淳さんら4028人 秋の叙勲”. 共同通信 (2006年11月2日). 2013年2月16日閲覧。