芭蕉布

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芭蕉布(ばしょうふ[1]、ばしょうぬの[2])とは、糸芭蕉(いとばしょう。学名Musa liukiuensis バショウ科バショウ属の1。大型の多年草)の葉鞘を包んでいる部分)から[3]採取した繊維を材として織られる織物)である[1]。最も古くは、中国で生産されていた形跡がある。

芭蕉布の糸を作る様子/戦前第二次世界大戦前)。
イトバショウ(糸芭蕉)/芭蕉布の糸を採れるようになるまでには3年かかる[3]。毎年10月から3月初旬にかけて刈り取りが行われる[3]。直径10センチメートルほどの茎から外側の皮を剥がし、中の繊維を選り分ける[3]。外側の繊維ほど太く粗い糸になり、内側の繊維ほど細く柔らかい糸になる[3]。最も繊細な中心の繊維は着尺〈きじゃく。着物地〉に使われる[3]。このように、採取する作業の時点で繊維の硬さによって4種類に分別される[3]。外側の繊維は、テーブルクロスネクタイなどに、それより中心に近い白くて柔らかな部分が着物に使われる[3]。着物1着分(1分)を織るためには糸芭蕉が200本ほど必要である[3]

狭義では、南西諸島琉球王国、および、現在の日本沖縄地方奄美群島)で伝統的に用いられるもののみを指す。芭蕉織(ばしょうおり)ともいう[4]蕉紗(しょうしゃ)ともいう。

肌衣によく用いられる絹織物の「芭蕉織(ばしょうおり)」とは同音異義語にあたる。

南西諸島の芭蕉布[編集]

現在では沖縄県および奄美群島の特産品である。現在の沖縄本島では国頭郡大宜味村の一地区である喜如嘉(きじょか)が「芭蕉布の里」として知られる。

薄くて軽く、張りのある感触から、をかきやすい高温多湿な日本五島(沖縄本島・日本四島、および、周辺島嶼部)の夏においても、肌にまとわりつきにくく[5]、涼感を得られる。このため、着物蚊帳座布団など多岐にわたって利用されている。

歴史等[編集]

西暦2000年前後の時点でおよそ600年の歴史があるとされている[3]16世紀中頃の琉球では既に高度な技術のあったことが記録されている[6]

琉球王国では、王族に使える男性士族の官衣すなわちの正装としても使われ[3]、その妻など女性士族は彩豊な芭蕉布を身に着けていた[3]。王宮が管理する大規模な芭蕉園で芭蕉が生産されていた。や、江戸時代に琉球を支配した薩摩藩への貢納品にも含まれていた[5]。庶民階級ではアタイと呼ばれる家庭菜園に植えた芭蕉で、各家庭ごとに糸を生産していた。

一反の芭蕉布を織るために必要な芭蕉はおよそ200本とされる。葉鞘を裂いて外皮を捨て、繊維の質ごとに原皮を分ける。より内側の柔らかな繊維を用いるものほど高級である。

これを木灰汁を入れた大鍋で煮たのち、割竹(竹鋏)の間に挟んでしごくことで繊維だけをより分ける[7](精練)。一織り上げるのに2か月を要する[5]。芭蕉の糸は白くはならず薄茶色である。

無地織か、ティーチ(シャリンバイ)の濃茶色でを織るものが、沖縄県外では一般的な芭蕉布と認識されているが、沖縄県では琉球藍Strobilanthes cusia)で染めた「クルチョー」と呼ばれる藍色の絣も人気が高い。

太平洋戦争末期の沖縄戦では、糸芭蕉も芭蕉布もその織手(芭蕉布職人)も大きな被害を受けた[3]アメリカ軍の統治下に入った終戦直後の混乱期には、によるマラリアの蔓延を未然に防ぐためということで糸芭蕉の畑はアメリカ軍によってほとんどが焼き払われた[3]。糸芭蕉はほとんどが栽培種で自生種が少ない[3]ため、この時期に絶滅の危機に瀕している。辛うじて守られたのは、喜如嘉の染織家・平良敏子 (たいら としこ、1921年 - )を筆頭とした有志が糸芭蕉の保護と文化の継承を地道に続けたからである[6][8][3]。彼女らは、激減した糸芭蕉を苗から育て、芭蕉布の文化を復興させていった[3]。アメリカ軍統治下では、テーブルクロスなど西洋文化の生活用品まで織って技術の継承に努めた[3]。それでも伝統の全てを守り伝えることはできず、この時期に断絶してしまった技術も多い[3]

現在、芭蕉布の生産は、戦術の沖縄本島北部の大宜味村喜如嘉と、その近隣地である今帰仁村を主産地とし[9]八重山列島竹富島などでも続けられている[9]。喜如嘉のものは精細で絣柄(かすりがら)が多く[9]、今帰仁村のものは素朴な縞柄(しまがら)が多い[9]1974年(昭和49年)4月20日、「喜如嘉の芭蕉布英語版」が、国の重要無形文化財に指定され[10]、喜如嘉の芭蕉布保存会がその保持団体に認定されている[11]2000年(平成12年)には、喜如嘉の染織家・平良敏子が重要無形文化財「芭蕉布」の保持者として各個認定された[8](いわゆる人間国宝[12][7]。2018年(平成30年)時点で、喜如嘉には20名の織手がいる[3]

近年[いつ?]では、紅型の特徴的な美しい黄金色を染めるフクギアカネベニバナを用いることもある。 2010年代後半には沖縄県立博物館所蔵の1枚の古い芭蕉布「芭蕉苧麻桃色地絽織裂」[13]の、現代の技術による復元が試みられている[3]。これは琉球王国時代に首里士族が着用していた衣裳の端布で、断絶した技術による、紅花で染めた地色や、極めて細い糸が特徴である[3]。紅花染めも沖縄ではほとんど途絶えていた[3]ため、その復興も同時に行われた[3]

2018年(平成30年)には、身につけると暑苦しさをしのげる理由の科学的な分析・研究が沖縄科学技術大学院大学で行われている [14]

季語[編集]

季語・季題としての芭蕉布(ばしょうふ、歴史的仮名遣:ばせうふ)は、の季語(三夏の季語)[15]。晩夏の季語とする資料もある。

関連作品[編集]

「芭蕉布」歌碑

詩歌[編集]

沖縄県出身の詩人山之口貘詩歌「芭蕉布」を詠んでいる。

大宜味村商工会は、同商工会の20周年記念事業の一環で、1998年(平成10年)、大宜見村立芭蕉布会館前に歌碑を建立している[16]

音楽[編集]

歌曲「芭蕉布」は、1965年(昭和40年)7月2日、米国ハワイ州生まれで沖縄系日系三世アメリカ人歌手クララ新川の演唱で発表された楽曲[17]。吉川安一が作詞し、普久原垣勇が作曲した[17]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 芭蕉布”. コトバンク. 2019年5月27日閲覧。
  2. ^ 芭蕉布”. 小学館『精選版 日本国語大辞典』. コトバンク. 2019年5月23日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x Eテレ美の壷』File445「沖縄の風をはらむ 芭蕉布」 2018年6月24日再放送。
  4. ^ 芭蕉織”. 小学館『精選版 日本国語大辞典』. コトバンク. 2019年5月23日閲覧。
  5. ^ a b c “【モノごころヒト語り】芭蕉布 身近な草木で紡ぐ暮らし”. 日本経済新聞 夕刊 (日本経済新聞社). https://www.nikkei.com/article/DGKKZO34313760Y8A810C1CR0000/ 2018年10月15日閲覧。 
  6. ^ a b 芭蕉布”. 国指定文化財等データベース(公式ウェブサイト). 文化庁. 2019年5月27日閲覧。
  7. ^ a b 芭蕉布”. 小学館『日本大百科全書:ニッポニカ』. コトバンク. 2019年5月27日閲覧。
  8. ^ a b 喜如嘉の芭蕉布 -平良敏子-”. 染と織たかはし(公式ウェブサイト). 有限会社高橋屋. 2019年5月27日閲覧。
  9. ^ a b c d 芭蕉布”. 平凡社世界大百科事典』第2版. コトバンク. 2019年5月27日閲覧。
  10. ^ 喜如嘉の芭蕉布 - 文化遺産オンライン(文化庁
  11. ^ 芭蕉布の里”. 大宜味村公式サイト. 大宜味村. 2019年5月29日閲覧。
  12. ^ 平良敏子”. 講談社『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』. コトバンク. 2019年5月27日閲覧。
  13. ^ 琉球染織4-24 芭蕉苧麻桃色地絽織裂”. 貴重資料デジタル書庫(公式ウェブサイト). 沖縄県立博物館. 2019年5月27日閲覧。
  14. ^ 【かがくアゴラ】芭蕉布 涼感の秘密に迫る/沖縄科学技術大学院大学 野村陽子氏『日本経済新聞』朝刊2018年7月20日(2018年10月15日閲覧)。
  15. ^ 芭蕉布”. きごさい歳時記(公式ウェブサイト). NPO法人「きごさい」(季語と歳時記の会). 2019年5月27日閲覧。
  16. ^ 大宜味村役場. “芭蕉布の里”. 公式ウェブサイト. 大宜味村. 2019年5月27日閲覧。
  17. ^ a b 芭蕉布(音楽編)”. 伊賀の徒然草(個人ブログ). 伊賀山人(個人) (2017年9月4日). 2019年5月27日閲覧。