花畠教場

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花畠教場(はなばたけきょうじょう)は、岡山藩の藩主、池田光政寛永年間に岡山城下に建てたとされる学校。

概要[編集]

花畠教場は、備前国岡山藩初代藩主の池田光政が、寛永18年(1641年)、岡山城下の花畠(現在の岡山市中区網浜)に建て、儒学者の熊沢蕃山らを招き、家臣に陽明学を講じた日本で最初の藩校とされている[注釈 1]

これは岡山城下を流れる旭川の中洲(花畠)にあった藩主の別邸、花畠別邸を学校としたものであった。ここで武家の徳は勇強と慈愛であるとされた。寛文6年(1666年)に学校は岡山城内の石山にあった松平政種の邸宅を学校に転用し、仮学館となった。ここまで入学者は岡山藩の中流以上の武家の師弟であったが、その他、紀伊国江戸近江国播磨国からの入学者もあった[1]。この学校の校則、校訓が、「花園会約」で、これはいずれも熊沢蕃山が作ったものである。この学校は、のちに岡山藩学校と改称された。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ これに対して、花畠教場は存在せず、あれは学校ではなく「会」であり、最初の藩校は、寛文4年の「石山仮学院」であるという説もある。花園会約は、熊沢蕃山が組織した花園会という一種の勉強会で、そのなかで先生役になる人たちを花園会士と呼び、仲間はその人達のところを回って学ぶことができたという。柴田一(2007)p.117

参照[編集]

  1. ^ 武光(1999)p.139

参考文献[編集]

  • 武光誠『藩と日本人 現代に生きる<お国柄>』PHP研究所 1999年
  • 柴田一『吉備の歴史に輝く人々』吉備人出版 2007年

関連項目[編集]