若林ケン

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若林ケン
出生名 若林恒雄
生誕 (1945-03-12) 1945年3月12日(73歳)
出身地 日本の旗 日本栃木県
ジャンル シャンソンJ-POP
職業 歌手
担当楽器
レーベル Sony Music Direct (Japan) Inc. 有限会社アーロンフィールド
事務所 Sony Music Direct (Japan) Inc. 株式会社アーロンプラネット
公式サイト [1]

若林ケン(わかばやしけん)は、日本のシャンソン歌手。1945年(昭和20年)、栃木県出身。

プロフィール[編集]

シャンソン喫茶「銀巴里」で「私は一人片隅で」を聴いたことをきっかけにシャンソンに目覚め、

1974年に新宿区歌舞伎町にバー「ペイトンプレイス」を開店、シャンソンを歌い始める。

1986年に辻村ジュサブロー(現辻村寿三郎)と出会い、人形舞とシャンソンのコラボレーションを行う。

1989年、つかこうへいに見出され、つか演出の舞台「今日子」で岸田今日子と共演。その後も「幕末純情伝」「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」と、つか芝居への出演は20年続いた。

1993年つか原作の映画「リング・リング・リング 涙のチャンピオンベルト」に出演。

2002年「ガラスの糸の上で」、04年「ボンボヤージュ」でフラメンコダンサー・長嶺ヤス子と共演。

2005年プライベートレーベルよりCDデビュー、TV、雑誌などのマスコミに「還暦でデビューした中高年に人気のシャンソン歌手」として大々的に取り上げられる。

2007年6月ソニーミュージックダイレクトより、阿久悠氏が最期に作詞し、都志見隆氏が作曲した「嘆きの天使」を含むアルバム「花束 Bouquet des chansons」でメジャーデビュー、2007年上半期の最年長メジャーデビューの記録となる。

2008年10月、同年代の阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲による「街角の母」をリリース。

2009年、河村シゲルの呼びかけで、戦後吉原私娼が残した文芸集「明るい谷間」の復刻プロジェクト、「あさき夢みし」に参加。同タイトルの書籍・音楽CD・ステージに参加。同タイトルCDは2009年9月9日発売。

2016年、日本シャンソン協会に所属。

2017年、河村シゲルプロデュースの下、YouTube文芸で世界に向け朗読を発信。

2018年、日本シャンソン協会主催プリセリーズ、NHKパリ祭に出演

その他、東京芸術劇場、サントリーホール、草月ホール等、劇場コンサートや、新宿シャンパーニュ、上野池之端Qui、新宿エトワール、銀座蛙たちなどのシャンソニエでライブ活動中。また、地方での公演も積極的に行っている。

「シャンソンは、歌と芝居の中間。」と位置づけ、上手に歌うのではなく、聴いている者の心を揺り動かしたいというモットーで、日々活動している。聴く者を泣かせるなど、聴衆の心を動かす表現力で、独自の世界を創り上げている。

最近では、聴衆の心を動かす表現方法を後進に指導することを始め、指導を受けた者が3名、東京シャンソンコンクールなどのコンクールでグランプリを受賞している。

ディスコグラフィー[編集]

  • まるでお芝居のようだった・・・ (1994年 SE SYSTEM INC)廃版
  • 若林ケン CHANSON THEATER (2005年3月、R-vision)
  • CHANSON THEATER PRELUDE (2006年10月、R-vision)
  • 花束 Bouquet des chansons (2007年6月、Sony Music Direct (Japan) Inc.)
  • 雪が降る (2007年11月、Sony Music Direct (Japan) Inc.)
  • 街角の母(2008年10月29日、Sony Music Direct (Japan) Inc.)
  • あさき夢みし(2009年9月9日、Aaronfield)

関連書籍[編集]

  • 吉岡逸夫「嘆きの天使 魂のシャンソン歌手 若林ケン - 僕は一人の娼婦になる」(KKロングセラーズ)
  • 河村シゲル・若林ケン「あさき夢みし」(大洋図書)

ラジオ[編集]

関連項目[編集]