若生正広

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若生 正廣
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県仙台市
生年月日 1950年9月17日(61歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
監督歴

若生 正廣(わこう まさひろ、1950年9月17日 - )は、宮城県出身の高校野球指導者。現在、九州国際大学付属高校野球部監督。実兄はプロ野球選手若生智男

目次

経歴

1968年夏に東北高校のエースで4番・主将として甲子園に出場。法政大学卒業後、社会人野球のチャイルドを経て1987年に埼玉栄高校野球部監督、1993年秋に母校である東北高校野球部監督に就任。1995年に一時退任し、1997年に復帰。その後2001年まで選抜大会には3回出場したものの全て初戦敗退、夏の県大会では母校の後輩である佐々木順一朗率いるライバル・仙台育英高校の壁に阻まれ続ける。特に2000年夏には後藤伸也加藤暁彦渡辺雅弘高井雄平と後にプロ入りする選手4人を擁するなど全国屈指の戦力を誇りながら、新チーム結成以降公式戦3戦全てで完封勝ちしていた仙台育英に決勝戦で敗れている。2002年には4回戦で不祥事明けの仙台育英をコールドで破り、甲子園出場は確実と思われたが準々決勝で仙台高校に敗れる。

2003年、ダルビッシュ有投手を擁し、夏の甲子園(第85回選手権大会)に監督として初出場。決勝戦まで駒を進めるが常総学院高校に4対2で負け惜しくも準優勝であった。翌2004年はダルビッシュら前年夏準優勝メンバーの多くが残り春夏連続で甲子園に出場。優勝候補の筆頭であったが、春は済美高校に、夏は千葉経大附属高校にいずれも9回2死までリードしていながら逆転負けという不本意な結果に終わった。

埼玉西武ライオンズ嶋重宣も教え子の一人である。東北高校時代は前述のようにたびたび格下相手に敗戦を喫しており、采配面では批判も多かった。

東北高校監督を退任後は、同校野球部顧問を経て、2006年より教え子が多く九州国際大学に進んでいた縁で九国大付属高校野球部監督に就任。2007年には靱帯が骨のように固まり両足に痺れや痛みを伴う難病「黄色靭帯骨化症」を発症し、歩行に杖が欠かせない身体となってしまったが、2009年夏に27年振りに同校を甲子園出場に導き、3回戦まで進んだ。 2011年春の甲子園は大会直前に宮城の自宅が東日本大震災で被災する不幸に見舞われたが、それに選手が応えるかのように勝ち進み決勝では東海大相模に1-6で敗れたものの準優勝を果たした。

甲子園での成績

  • 東北:出場7回・10勝7敗(春:出場5回・3勝5敗/夏:出場2回・7勝2敗・準優勝1回)
  • 九州国際大付:出場2回・6勝2敗(春:出場1回・4勝1敗・準優勝1回/夏:出場1回・2勝1敗)
  • 通算:出場9回・16勝9敗・準優勝2回

主な教え子

関連項目

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