若鷹 (急設網艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
若鷹
特別輸送艦時の「若鷹」(1947年初頭、佐世保港)[1]
特別輸送艦時の「若鷹」(1947年初頭、佐世保港)[1]
基本情報
建造所 播磨造船所[2]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 敷設艦[3](急設網艦[4])
級名 初鷹型[5]
建造費 成立予算 4,900,000円[6]
母港 佐世保[7]
艦歴
計画 昭和14年度[8](1939年)、マル4計画[9]
起工 1940年11月15日[2]
進水 1941年7月12日[2]
竣工 1941年11月30日[2]
除籍 1946年3月1日 (日本海軍)[10]
1947年10月17日(復員庁
その後 スラバヤで終戦、復員輸送に従事
1947年イギリスへ引き渡し[8]
要目(計画[11]
基準排水量 1,600.00英トン[11]
公試排水量 1,890.00トン[11]
満載排水量 2,045.00トン[11]
全長 91.00m[11]
水線長 86.50m[11]
垂線間長 82.00m[11]
最大幅 11.60m[11]
水線幅 11.30m[11][注釈 1]
深さ 7.09m[11]
吃水 公試平均 4.00m[11]
満載平均 4.22m[11]
ボイラー ロ号艦本式混焼缶 3基[12]
主機 艦本式タービン(高低圧[13]) 2基[12]
推進 2軸 x 350rpm[12]
推進器直径2.250m[12]、ピッチ2.260m[14]
出力 6,000馬力[11][12]
速力 20ノット[11]
燃料 石炭:266.00トン、重油:120.00トン[11]
航続距離 3,000カイリ / 14ノット[11]
乗員 計画乗員 201名[15]
現状 201名[16]
竣工時定員 210名[17]
兵装 40口径8cm高角砲C型 2門[18]
13mm機銃 連装2基[18]
九四式投射機1基、三型装填台1基[19]
水圧三型投下台2基、手動投下台8基[19]
九五式爆雷36個[19]
小防雷具2基[19]
九六式二型防潜網24組[19](6カイリ分)
搭載艇 7.5m内火艇2隻、7mカッター2隻、6m通船1隻[20]
ソナー 九三式水中聴音機一型1組(後日装備)[21]
九三式探信儀一型1組[21]
テンプレートを表示

若鷹(わかたか)は、日本海軍敷設艦[3]初鷹型敷設艦の3番艦[5][22]。 急設網艦に分類する文献もあるが[23]、日本海軍の法令上は敷設艦である[3]

概要[編集]

軍艦若鷹」は太平洋戦争開戦直前に竣工した初鷹型敷設艦(急設網艦)[4][24]。艦名は若いによる[25]。大戦中は主に輸送船団の護衛に従事した[4]太平洋戦争を生き延びて戦後は復員輸送に従事し、そののち賠償艦として引き渡された。終戦時に帝国軍艦籍にあった艦中、解体あるいは海没処分されずに賠償艦となった唯一の艦である。

艦型[編集]

「若鷹」はマル4計画艦の仮称艦名第102号艦[26]。初鷹型3番艦[5][22]だが、基本計画番号は初鷹型1番艦「初鷹」と初鷹型2番艦「蒼鷹」のH12[27]に対して「若鷹」はH12b[27](H12B[11])と異なる。船体寸法は同一であるが船首楼甲板を延長するなど船体に若干の違いがある[26]。前檣と後檣も、本艦はやや後方に傾斜している[28]。また兵装に関しても差異がある。先行2隻(初鷹、蒼鷹)では対空・対潜双方に対応可能な兵装として連装毘式四十粍機銃を2基装備していたが、性能不足のため「若鷹」はこれを四十口径三年式八糎高角砲とした[29][26]

防潜網は九六式二型防潜網24組(6カイリ分)を搭載可能[19]。「一般計画要領書」によると先行の2隻と違って機雷の搭載を計画しておらず、掃海装備を搭載した[19]

太平洋戦争中、漸次レーダー増設や対空兵装の強化をおこなった[28][26]。「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」によると1944年(昭和19年)3月16日の時点で25mm連装機銃2基(艦橋前と艦尾付近に機銃台を設け1基ずつ)、13mm連装機銃2基(煙突直後に機銃台を設け左右1基ずつ)、九四式爆雷投射機1基、九三式水中聴音機を装備、探信儀には水流覆を取り付けた[30]。また「終戦時の日本海軍艦艇」によると最終時には艦橋天蓋に22号電探が装備されていた[31]

艦首損傷時の修理で艦首部が約4m(または5から6m)短くなり、商船タイプの揚錨機が装備された[31]

艦歴[編集]

「若鷹」はマル4計画艦の仮称艦名第102号艦[26]。初鷹型3番艦[5][22]だが、基本計画番号は初鷹型1番艦「初鷹」と初鷹型2番艦「蒼鷹」のH12[27]に対して「若鷹」はH12b[27]と異なる。船体寸法は同一であるが船首楼甲板を延長するなど船体に若干の違いがある[26]。前檣と後檣も、本艦はやや後方に傾斜している[28]。また兵装に関しても差異がある。先行2隻(初鷹、蒼鷹)では対空・対潜双方に対応可能な兵装として連装毘式四十粍機銃を2基装備していたが、性能不足のため「若鷹」はこれを四十口径三年式八糎高角砲とした[32][26]。防潜網6カイリ分、または九三式機雷100個を搭載可能。太平洋戦争中、漸次レーダー増設や対空兵装の強化をおこなった[28][26]

1940年(昭和15年)11月25日、播磨造船所で起工[2][33]1941年(昭和16年)5月15日、日本海軍は播磨造船所の敷設艦を「若鷹」、舞鶴海軍工廠秋月型駆逐艦を「秋月」と命名[3]。同日附で2隻(若鷹、秋月)は艦艇類別等級表に類別された[5]7月12日、進水[2][33]。8月14日、播磨造船所に若鷹艤装員事務所を設置する[34]11月30日、竣工[2][33]。艤装員事務所を撤去[35]佐世保鎮守府[7]

竣工と共に第二根拠地隊(第三艦隊)に所属[4][33]。緒戦はフィリピン攻略戦蘭印作戦にともなう各地の攻略作戦等に参加[33]1942年(昭和17年)3月10日、第二十二特別根拠地隊(第二南建艦隊)附属となり[33]、バタビヤ方面で船団護衛に従事した[4]。 同年8月21日、第八艦隊麾下の第八根拠地隊に編入され、8月29日にラバウルニューブリテン島)に進出[4][33]。9月26日、ショートランド泊地に進出[33]。同方面で行動したのち、11月15日にラバウル帰投[33]。続いてラバウルとパラオ間の船団護衛任務に従事した[4][33]。 同年12月29日、第二十五特別根拠地隊(第二南遣艦隊)に編入[4][33]。その後はアンボンアンボン島)方面で船団護衛任務に従事した[4][33]1943年(昭和18年)8月25日、ソロンで空襲を受けて損傷[33]。8月27日から9月2日までアンボンで修理を行った[33]

1943年11月23日、ハルマヘラ島の西で潜水艦に対して爆雷攻撃を実施しており、これによりアメリカ潜水艦「カペリン」を沈めたかもしれない[36]

1944年(昭和19年)1月1日、第二十五特別根拠地隊は第四南遣艦隊所属となる[33]。10月上旬、「若鷹」は損傷中の敷設艦「厳島」を曳航してビートンからスラバヤに向かうことになった[33]10月7日(10月17日とする出典もある)[37][33]スラバヤジャワ島)に向け航行中の2隻(若鷹、厳島)は[38]オランダの潜水艦Zwaardvischの雷撃を受けた。Zwaardvischは5本の魚雷を発射し、1本が命中した「厳島」は沈没し、「若鷹」にも船首に魚雷1本が命中したが不発であった。「若鷹」のスラバヤでの修理は10月18日から1945年(昭和20年)3月8日までかかった[4][33]

1945年(昭和20年)3月27日 ジャワ島北東でイギリス海軍潜水艦ステイジアンの雷撃を受ける。艦橋から先の船首を切断[33]。乗員20人が死亡した。4月2日よりスラバヤで入渠[4]。第102工作部の作業により、直線状の仮艦首を装備する[28]。だが資材の不足のために修理は終戦までに完了しなかった。戦後は鹿児島で本格的な修理が実施された。

1946年(昭和21年)3月より、マニラ、サイゴン、高尾、シンガポール、沖縄、パレンバン、バンコク、香港などとの復員輸送業務に従事する。1947年(昭和2年)1月にメンテナンスを実施した。同年10月17日に、シンガポールイギリスに引き渡された。後にマラヤ連邦所属となり、ラブアン(HMMS Laburnum)と命名[8]され宿泊艦として使用される。1965年シンガポール所属となり同国義勇海軍の練習艦として使用。1967年5月5日シンガプーラ(RSS Singapura)と改名し同国義勇海軍の旗艦となる。1968年除籍解体。

年表[編集]

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 上田光治 中佐/大佐:1941年8月11日[43] - 1941年11月30日[44]
艦長
  1. 上田光治 大佐:1941年11月30日[44] - 1942年11月30日[45]
  2. 斎藤泰蔵 大佐:1942年11月30日[45] - 1945年2月1日[46]
  3. 河野昌通 中佐:1945年2月1日[46] - 1945年2月28日[47]
  4. 安藤登 少佐:1945年2月28日[47] -
  5. 箱守淳 中佐:1945年9月17日[48] - 1945年12月28日[49]
  6. 佐藤清輝 少佐/第二復員官:1945年12月28日[49] - 1946年3月25日[50]
  7. 清水珂琅 第二復員官/第二復員事務官/復員事務官:1946年3月25日[50] - 1947年2月12日[51]、以後5月10日まで艦長の発令無し。
  8. 緒方友兄 復員事務官:1947年5月10日[52] - 1947年9月7日[53]
  9. 西野繁 復員事務官:1947年9月7日[53] - 1947年10月17日[54]

同型艦[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ #昭和造船史1pp.764-795、艦艇要目表では最大幅を11.30mとしている。

出典[編集]

  1. ^ #日本海軍全艦艇史上巻p.426、No.1023の写真及び解説
  2. ^ a b c d e f g #艦船要目(昭和18年10月)p.30『若鷹|敷設艦|84.61|11.30|3.62|1,600|20.0|5|播磨造船所|昭和15-11-25|昭和16-7-12|昭和16-11-30|8c/m高角…2|―|1|「タルビン」2|艦本式3|2|6,000』
  3. ^ a b c d e #達昭和16年5月(1)pp.48-49『達第一五六號 昭和十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、一等驅逐艦一隻、一等潜水艦一隻及驅潜艇二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年五月十五日 海軍大臣 及川古志郎|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 敷設艦 若鷹(ワカタカ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 秋月(アキヅキ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十六潜水艦(以下略)』
  4. ^ a b c d e f g h i j k #補助艦艇奮戦記176頁『若鷹(わかたか/急設網艦)』
  5. ^ a b c d e #内令昭和16年5月(2)p.9『内令第五百三十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年五月十五日 海軍大臣 及川古志郎|軍艦、敷設艦ノ項中「蒼鷹」ノ下ニ「、若鷹」ヲ加フ|驅逐艦、一等夕雲型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |秋月型|秋月|(以下略)』
  6. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.564-565、艦種別金額。
  7. ^ a b c #昭和16年11月(5)p.50『内令第千五百五十五號 軍艦 若鷹 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル 昭和十六年十一月三十日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  8. ^ a b c d 世界の艦船 『日本海軍特務艦船史』、p. 72。
  9. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.553-556、計画の内容。
  10. ^ a b 昭和21年3月1日付 第二復員省 内令第36号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070534700 
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q #一般計画要領書(敷設艦)p.3、『註.上記計画ノモノハ(以下記載ノモノモ仝様)昭和十五年四月十二日艦本機密第七五二一号二依リ大臣報告后詳細計画ニテ検討ノ上第一回改正トシテ昭和十六年十一月六日艦本機密決第四号ノ五一八ニ依リ決裁セルモノナリ』
  12. ^ a b c d e #一般計画要領書(敷設艦)p.17
  13. ^ #昭和造船史1pp.764-795、艦艇要目表
  14. ^ #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1712
  15. ^ #一般計画要領書(敷設艦)p.19、計画。士官11人、特務士官2人、准士官4人、下士官兵185人。
  16. ^ #一般計画要領書(敷設艦)p.19、現状。士官11人、特務士官2人、准士官4人、下士官兵184人。
  17. ^ 海軍定員令 昭和16年11月30日付 内令第1557号改正分 「第62表ノ2 敷設艦定員表其ノ5」。#S16.11-12内令4巻/昭和16年11月(5)画像50-52、『内令第千五百五十七號 海軍定員令中左ノ通改正セラル 昭和十六年十一月三十日 海軍大臣嶋田繁太郎 敷設艦定員表其ノ五ヲ別表ノ如ク改ム(別表一葉添)』。士官11人、特務士官2人、准士官4人、下士官46人、兵147人。
  18. ^ a b #一般計画要領書(敷設艦)p.5
  19. ^ a b c d e f g #一般計画要領書(敷設艦)p.7
  20. ^ #一般計画要領書(敷設艦)p.21
  21. ^ a b #一般計画要領書(敷設艦)p.13
  22. ^ a b c #艦艇類別等級表(昭和18年3月)p.5『艦艇類別等級表|軍艦|敷設艦| |初鷹型|初鷹、蒼鷹、若鷹|』
  23. ^ #日本補助艦艇物語53頁『(8) 初鷹はつたか型(急設網艦)』
  24. ^ #写真日本の軍艦第14巻66頁(終戦時若鷹写真)
  25. ^ #写真日本の軍艦第14巻2頁『艦名の由来』-『若鷹(わかたか)―鳥名』
  26. ^ a b c d e f g h #写真日本の軍艦第14巻36-37頁『◇初鷹型◇』
  27. ^ a b c d 世界の艦船 『日本海軍特務艦船史』、p. 145。
  28. ^ a b c d e #写真日本の軍艦第14巻66頁(復員艦時代若鷹写真)
  29. ^ #写真日本の軍艦第14巻64頁(竣工時初鷹写真)
  30. ^ #日本空母物語pp.431-432、[補助艦艇の部・追補]あ号作戦後の敷設艦兵装状況一覧表及び図。
  31. ^ a b #終戦時の日本海軍艦艇p.24
  32. ^ #写真日本の軍艦第14巻64頁(竣工時初鷹写真)
  33. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s #写真日本の軍艦第14巻54頁(『敷設艦』行動年表◇若鷹◇)
  34. ^ 昭和16年8月20日(水)海軍公報(部内限)第3876号 p.25』 アジア歴史資料センター Ref.C12070396700 『○事務所設置 若鷹艤装員事務所ヲ八月十四日播磨造船所内ニ設置シ事務ヲ開始セリ』
  35. ^ 昭和16年12月3日(水)海軍公報(部内限)第3961号 p.11』 アジア歴史資料センター Ref.C12070398600 『○事務所撤去 若鷹艤装員事務所ヲ十一月三十日撤去セリ』
  36. ^ 潜水艦攻撃、95ページページ
  37. ^ Brown, David (1990). Warship Losses of World War Two. Naval Institute Press. ISBN 1-55750-914-X.
  38. ^ #補助艦艇奮戦記171頁『厳島(いつくしま)』
  39. ^ a b c d e f g h 丸スペシャル 『敷設艦』、p. 56。
  40. ^ 昭和21年3月1日付 第二復員省 内令第37号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070534700 
  41. ^ 昭和22年4月5日付 復員庁第二復員局 復二第259号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070538300 
  42. ^ 昭和22年10月17日付 復員庁第二復員局 復二第757号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070538900 
  43. ^ 昭和16年8月11日付 海軍辞令公報 (部内限) 第688号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081700 
  44. ^ a b 昭和16年12月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第759号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072083300 
  45. ^ a b 昭和17年11月30日付 海軍辞令公報 (部内限) 第998号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072088300 
  46. ^ a b 昭和20年2月4日付 秘海軍辞令公報 甲 第1712号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072103300 
  47. ^ a b 昭和20年3月8日付 秘海軍辞令公報 甲 第1740号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072103700 
  48. ^ 昭和20年9月26日付 海軍辞令公報 甲 第1929号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072107700 
  49. ^ a b 昭和21年3月4日付 第二復員省辞令公報 甲 第74号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072162600 
  50. ^ a b 昭和21年4月12日付 第二復員省辞令公報 甲 第105号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072158900 
  51. ^ 昭和22年2月12日付 復員庁第二復員局 復二第118号の定めによる自動解職。
  52. ^ 昭和22年5月28日付 復員庁第二復員局辞令公報 第32号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072165500 
  53. ^ a b 昭和22年9月16日付 復員庁第二復員局辞令公報 第58号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072165900 
  54. ^ 昭和21年7月1日付 復員庁第二復員局 復二第67号の定めによる自動解職。

参考文献[編集]

  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 世界の艦船 No. 522 増刊第47集 『日本海軍特務艦船史』、海人社、1997年、ISBN 4-905551-59-5
  • 寺崎隆治ほか 『補助艦艇奮戦記 縁の下の力持ち支援艦艇の全貌と戦場の実情』 潮書房光人社、2016年6月。ISBN 978-4-7698-1620-1。
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍補助艦艇戦歴一覧 水上機母艦、潜水母艦、敷設艦、一等輸送艦、二等輸送艦、敷設艇、電纜敷設艇、哨戒艇、駆潜艇、水雷艇、海防艦、砲艦、特務艦、全三三二隻の太平洋戦争
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • (社)日本造船学会/編 『昭和造船史(第1巻)』明治百年史叢書 第207巻、原書房、1981年(原著1977年10月)、第3版。ISBN 4-562-00302-2。
  • COMPILED BY SHIZUO FUKUI (1947-04-25). JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR. ADMINISTRATIVE DIVISION, SECOND DEMOBILIZATION BUREAU. (福井静夫/纏め『終戦時の日本海軍艦艇』第二復員局、1947年04月25日)
  • 福井静夫 『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』 光人社、1993年12月ISBN 4-7698-0658-2。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』 ベストセラーズ、1994年ISBN 4-584-17054-1。
  • 福井静夫 『日本空母物語』福井静夫著作集第7巻、光人社、1996年8月ISBN 4-7698-0655-8。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』戦史叢書第31巻、朝雲新聞社1969年
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』 朝雲新聞社、1976年8月。
  • 牧野茂福井静夫/編 『海軍造船技術概要』 今日の話題社、1987年5月ISBN 4-87565-205-4。
  • 写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II 敷設艦・敷設艇 特設巡洋艦 二等駆逐艦 魚雷艇・震洋艇 雑務船・内火艇 病院船他/日本海軍作戦年表』 雑誌『』編集部/編、光人社、1990年9月ISBN 4-7698-0464-4。
  • 「敷設艦 一般計画要領書 附現状調査」。
  • 木俣滋郎『潜水艦攻撃 日本軍が撃沈破した連合軍潜水艦』光人社、2000年、ISBN 4-7698-2289-8
  • 国立国会図書館デジタルライブラリー - 国立国会図書館
    • 海軍有終会編 『幕末以降帝国軍艦写真と史実』 海軍有終会、1935年11月。
    • 海軍研究社編輯部 編 『ポケット海軍年鑑 : 日英米仏伊独軍艦集. 1935年版』 海軍研究社、1935年5月。
    • 海軍研究社編輯部 編 『ポケット海軍年鑑 : 日英米仏伊独軍艦集. 1937,1940年版』 海軍研究社、1937年2月。
    • 海軍研究社編輯部 編 『日本軍艦集 2600年版』 海軍研究社、1940年7月。
    • 海軍大臣官房 『海軍制度沿革. 巻4(1939年印刷) info:ndljp/pid/1886711』 海軍大臣官房、1939年
    • 海軍大臣官房 『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』 海軍大臣官房、1940年
    • 海軍大臣官房 『海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886713』 海軍大臣官房、1940年
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。Ref.C08051772000。
    • 『明治38年 達 完/6月』。Ref.C12070053000。
    • 『昭和16年1月~昭和16年6月達/5月(1)』。Ref.C12070109500。
    • 『昭和16年5月~昭和16年8月内令2巻/昭和16年5月(2)』。Ref.C12070151300。
    • 『昭和16年11~12月 内令4巻止/昭和16年11月(5)』。Ref.C12070154500。
    • 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報 号外/10月(2)』。Ref.C12070497400。
    • 『昭和20年1月2日 昭和20年8月30日秘海軍公報/昭和20年8月(2)』。Ref.C12070530000。
    • 『昭和18年3月31日10版内令提要 巻3/第13類艦船(1)』。Ref.C13071953500。
    • 『昭和18年10月31日10版内令提要 巻2/第6類機密保護(1)』。Ref.C13071956900。

関連項目[編集]