荒木久美
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選手情報 | |||||||||||||||
フルネーム | あらき くみ | ||||||||||||||
ラテン文字 | Kumi Araki | ||||||||||||||
国籍 |
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種目 | 長距離走・マラソン | ||||||||||||||
所属 | 京セラ(現役時代) | ||||||||||||||
生年月日 | 1965年10月11日(55歳) | ||||||||||||||
生誕地 | 福岡県甘木市 | ||||||||||||||
自己ベスト | |||||||||||||||
3000m | 9分06秒08 (1989年) | ||||||||||||||
5000m | 15分37秒72 (1990年) | ||||||||||||||
10000m | 32分04秒60 (1992年) | ||||||||||||||
マラソン | 2時間30分00秒 (1989年) | ||||||||||||||
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荒木 久美(あらき くみ、現姓名・窪田久美(くぼた くみ)、1965年10月11日 - )は日本の元女子陸上競技(主に長距離走・マラソン)選手。福岡県小郡市出身。
佐々木七恵、増田明美、浅井えり子、宮原美佐子らと共に、日本女子マラソンの黎明期に活躍した。また全日本実業団女子駅伝や、全国都道府県対抗女子駅伝競走大会でも活躍。全日本実業団女子駅伝では1980年代に山下佐知子らと京セラ女子陸上競技部黄金期を築いた。
一時期、登録名を「荒木久深」と改名した時期があった。
経歴[編集]
- 1981年4月 久留米市立南筑高等学校に入学。
- 1984年4月 南筑高校卒業後、鹿児島県国分市(現・霧島市)の京セラ国分工場に就職、女子陸上部に所属。
- 1986年10月 ソウルアジア競技大会・女子10000m出場、王秀婷(
中国)に続き33分20秒75で2位入賞・銀メダルを獲得。
- 1987年03月 名古屋国際女子マラソンが初マラソン、2時間37分12秒の5位に入る。
- 1987年08月 世界陸上ローマ大会・女子10000m出場、予選を通過し決勝では33分15秒08で18位。
- 1988年01月 大阪国際女子マラソンに出走。レース序盤から浅井えり子、宮原美佐子らのハイペースについていかずにマイペースを維持。その後終盤に追い上げ、長居陸上競技場へ入るゴール手前で浅井を抜き、2位の宮原に次いで2時間31分40秒の3位に入る。この好成績が高く評価されて、日本人トップで2位の宮原と共に、1988年ソウルオリンピック・女子マラソン日本代表に選出された(同年3月、最後の3番手で大阪国際女子4位の浅井も選定)。
- 1988年09月 ソウル五輪・女子マラソンの本番レースに出場。しかしスタート直後に転倒してしまい、他選手に自身の太股・脹脛の裏を踏み付けれられて痛めたのが響き、メダル&8位以内の入賞争いには殆ど加われず、2時間35分15秒の28位に終わった(他日本女子選手は浅井が最高の25位、宮原は29位)。
- 1989年11月 ニューヨークシティマラソンでは、自己ベスト記録と成る2時間30分00秒で4位入賞。
- 1990年03月 名古屋国際女子マラソンに出走、2時間32分32秒で2位。
- 1990年05月 水戸国際陸上競技大会の5000mで、増田明美の記録を8年ぶりに更新する15分37秒72の日本新記録を樹立。
- 1990年09月 北京アジア大会・女子マラソンに出走、レース終盤まで趙友鳳(
中国)と争い、結果は敗れたものの、2時間35分34秒で2位・銀メダル獲得。
- 1991年08月 世界陸上東京大会・女子マラソン出場。大腿骨疲労骨折の怪我を押しての出場で、2時間38分27秒の12位だった(同僚の山下佐知子が2位入賞・銀メダル獲得で1992年バルセロナオリンピック・女子マラソン日本代表に内定。有森裕子は4位入賞、翌1992年3月に山下と共に五輪選出)。
- 1992年01月 大阪国際女子マラソンに出場。荒木は本命と目され、前日の記者会見では『勝ちたい』と自信をのぞかせる抱負を語った。だが、レース本番では優勝した小鴨由水(のちバルセロナ五輪・女子マラソン代表に選定)、2位に入った松野明美ら、初マラソン組のハイペースを追走しなかった事が裏目に出て、逃げ切りを許してしまう。後半追い上げるも結局2時間31分14秒の10位に終わり、ソウル五輪に続いてのバルセロナ五輪・代表選出はならず。これが結果的に現役選手として最後のマラソンとなった。
- バルセロナ五輪後も、暫くは10000mなどのトラック競技等に出走していたが、特に目立った成績は残せず、復活は叶わなかった。
- 1994年 京セラ女子陸上部を退部、第一線から引退した。
- 1998年 結婚し、窪田姓となる。
- 1999年4月 鹿児島市の志學館大学人間関係学部・心理臨床学科に入学、2003年3月に卒業。以降約3年間は、鹿児島県内の中学校、及び高校にて心理相談員を務めていた。
- 2006年 第1子を出産。その後は主婦業・育児の傍ら、ランニング指導や講演活動などで活動中。
- 2016年3月に新設された鹿児島マラソン・フルの部に、ゲストランナーとして2019年迄4年連続で出場していた(但し2020年大会は、新型コロナウィルスの日本における感染拡大の影響で開催中止)。
外部リンク[編集]
- 荒木久美 - 国際陸上競技連盟のプロフィール(英語)
- ゲストランナー・荒木久美さん[マラソン] 鹿児島マラソン2019・大会情報
- 逆転五輪切符の一山 バルセロナの山下佐知子、ソウルの荒木久美との「つながり」 西日本スポーツ・2020年3月9日記事
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