菊麿王妃範子

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山階宮菊麿王妃 範子
身位 王妃
敬称 殿下
出生 1878年12月4日
死去 (1901-11-11) 1901年11月11日(22歳没)
日本の旗 日本東京府東京市
配偶者 山階宮菊麿王
子女 武彦王
芳麿王
安子女王
父親 九条道孝
母親 野間幾子
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山階宮菊麿王妃範子(やましなのみやきくまろおうひのりこ、1878年明治11年)12月4日 - 1901年(明治34年)11月11日[1])は、日本皇族山階宮菊麿王の先妃。旧摂家九条道孝公爵令嬢。貞明皇后の実妹であることから、その配偶者である大正天皇は義兄にあたる。また、昭和天皇の叔母、上皇の大叔母、今上天皇の曽祖叔母にあたる。

略歴[編集]

1895年(明治28年)に菊麿王と婚姻。菊麿王との間に武彦王芳麿王安子女王をもうけるが、安子女王を出産後の1901年(明治34年)10月31日に、胎盤離脱困難と出血により急性脳貧血に陥る。11月1日午後8時頃より発熱し11月9日に脳症を併発。11月11日午前5時10分に心臓麻痺により薨去した。

11月16日午前10時に、明治天皇皇后美子の御使として、宮内書記官の丹羽龍之助が山階宮邸へ遣わされ幣帛神饌を供する。[2]

11月17日午前9時、明治天皇の代拝として侍従の廣幡忠朝を、皇后美子の代拝として権掌侍の北島以登を、皇太子明宮(後の大正天皇)の代拝として東宮侍従の大迫貞武を、皇太子妃となった妹・節子の代拝として東宮女官の吉見光子を山階宮邸へ遣わす。[3]

午後1時に、山階宮邸を出棺し東京都文京区豊島岡墓地で葬儀が行われる。[4]

午後2時に明治天皇より侍従の廣幡忠朝を、皇后 美子より皇后宮亮の山内勝明を、皇太子 明宮より東宮侍従の大迫貞武を、皇太子妃 節子より東宮職御用掛の錦小路在明を墓所に遣わし玉串を供せる。午後5時30分に葬儀が済まされた。[3]

栄典[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 山階会『山階宮三代 下』P349より
  2. ^ 『官報』第5514号、「宮廷録事」1901年11月18日。
  3. ^ a b 『官報』第5515号、「宮廷録事」1901年11月19日。
  4. ^ 『官報』第5511号、「宮廷録事」1901年11月14日。
  5. ^ 『官報』第3741号「叙任及辞令」1895年12月16日。
  6. ^ 『官報』第5508号、「叙任」1901年11月11日。