華頂宮博厚親王

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博厚親王
華頂宮

身位 親王
敬称 殿下
出生 1875年1月18日
死去 (1883-02-15) 1883年2月15日(8歳没)
父親 華頂宮博経親王
母親 親王妃郁子
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華頂宮 博厚親王(かちょうのみや ひろあつしんのう、1875年明治8年)1月18日 - 1883年(明治16年)2月15日)は、日本の皇族

生涯[編集]

華頂宮博経親王第一王子で伏見宮邦家親王の孫。母は伯爵南部利剛の長女郁子

明治9年(1876年5月24日の父王博経親王の薨去を受けて、華頂宮の家督を継承する。明治初年に皇族の範囲・賜姓皇族の方針を定めたが、それによると博厚親王は臣籍降下することとなっていたが、明治天皇の思召しによって皇族の身分を保った。明治16年(1883年)2月15日付で明治天皇猶子となり親王宣下を受けるが、同日に薨去する。わずか満8歳であった。

親王は幼少であったため継嗣はなく、伏見宮家から博恭王が入り華頂宮を相続する。博恭王はその後、本流である伏見宮を継承するはずであった邦芳王が病弱であったため伏見宮に復籍し、家督を相続、華頂宮は博恭王の第二王子博忠王が継承することとなる。

なお、博厚親王は親王宣下によって親王身位を授けられた最も若い人物である(親王宣下を受けた人物としては最後から2番目である)。

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]