董重

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董 重(とう ちょう、? - 189年5月)は、中国後漢末期の武将。字は子高[1]霊帝の生母である永楽太后(董太后)の甥。冀州河間郡の出身[2]

霊帝の母方の従兄弟にあたるため、衛尉に任命され脩侯に封じられた[3]。また188年9月8月の説もある)、驃騎大将軍に任じられた。

叔母と共に十常侍張譲と手を組んで、同じ外戚であった何進何太后と権勢をめぐって対立した。しかし、189年5月に先手を打った何進の軍勢によって、董重の邸宅は取り囲まれてしまった。董重は捕縛された後に罷免され、自決した[4]

叔母の永楽太后は何進によって、「蕃后(王侯夫人)は京師(洛陽)に留るを得ず」という王莽の時の故事を持ち出され失脚し、董重が死ぬと憂い怖れて急死した。遺体は故郷の河間に帰り、夫と合葬された。

脚注[編集]

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  1. ^ 後漢書』本紀 第八「孝霊帝紀」が引く李賢注より。
  2. ^ 『後漢書』本紀 第八「孝霊帝紀」が引く李賢注では、安衆県の人と記述している。
  3. ^ 正確な任命時期は不詳。
  4. ^ 『後漢書』本紀 第八「孝霊帝紀」によると、董重は5月辛巳に投獄されて獄死したと記述している。

参考文献[編集]