蒼穹 (小説)

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蒼穹
Blue Sky
作者 梶井基次郎
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説掌編小説
発表形態 雑誌掲載
初出 『文藝都市』(紀伊國屋書店誌)1928年3月1日発行3月号・第2号
収録 作品集『檸檬武蔵野書院 1931年5月15日
題字:梶井基次郎
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蒼穹』(そうきゅう)は、梶井基次郎の短編小説(掌編小説)。白昼の広大な自然の景色の中、絶え間ないの生成を眺めているうちに、青に虚無のを見てしまう不幸な感覚的体験を描写した作品。写実的な自然描写が心象風景として表現され、「象徴的色彩」を帯びながら、「精神の深淵」、「清澄なニヒリズム」が的に描かれている[1][2]

発表経過[編集]

1928年(昭和3年)3月1日発行の同人雑誌『文藝都市』3月・第2号に掲載された[3][4]。その後、基次郎の死の前年の1931年(昭和6年)5月15日に武蔵野書院より刊行の作品集『檸檬』に収録された[3]。同書には他に17編の短編が収録されている[5]

翻訳版は、Robert Allan Ulmer、Stephen Dodd訳によりアメリカ(英題:Blue Sky)で行われている[6][7]

あらすじ[編集]

ある晩春の午後、「私」は村の街道に沿った土堤の上で日を浴びながら、や谷間の風景を眺めていた。絶えず湧き出て来ては消えてゆく雲の変化を見つめているうちに、「私」の中で不思議な恐怖に似た感情がだんだん胸に昂まり、身体からは平衡の感じがだんだん失われて来た。「私」は空のなかに見えない山のようなものがあるのではないかというような不思議な気持に捕えられた。

そのとき「私」の心をふと、ある闇夜の経験がかすめた。その夜「私」は提灯も持たずに闇の街道を歩いていた。大きな闇に、一軒の人家の灯だけが、あたかもちょうど戸の節穴から写る戸外の風景のように見えていた。

そこを1人の村人の人影が通り過ぎ、背に負ったをだんだん失いながら闇へ消えていった。何気なしに、それをじっと眺めていた「私」は、その闇のなかへ同じような絶望的な順序で消えてゆく「私」自身を想像し、突然いい知れぬ恐怖と情熱を覚えたのであった。

その記憶が「私」の心をかすめた瞬間、「私」は悟った。雲が湧き立っては消えてゆく空のなかにあったものは、見えない山のようなものでも、不思議なのようなものでもなく、大きな虚無、白日の闇が満ち充ちているのを悟った。「私」は大きな不幸を感じ、濃い藍色の空を見れば見るほど、ただの闇としか感覚できなかった。

作品背景[編集]

基次郎は1927年(昭和2年)1月から伊豆湯ヶ島で転地療養をしていた。同地に遊びに来ていた宇野千代三好達治が帰京することになり、10月5日、三島駅まで見送った後、友人の近藤直人のいる京都帝大医学部付属病院を訪ねて、呼吸科の医者の診察を受けた[4][8]

結核の病状は思った以上に重く、来春まで静養するように診断された基次郎は、大阪の実家に立ち寄り、両親の老いを感じて創作活動を決意し伊豆に戻った[9][4][8]。湯ヶ島に到着した直後、風邪で体調を崩して寝込んだ基次郎は、病床の中、10月17日から「」を主題とする草稿を書き始めた[10][11][4][8]

今「闇」といふ短篇を書いてゐる。絶望に駆られた情熱、闇への情熱を書かうとしてゐるがうまくゆかない、これがかけなければ、僕は米喰虫のぐうたらにしか過ぎないと思ふと不愉快になり、あせり、最近風邪をひいてゐるのと一緒になつて、いらいらして来る。 — 梶井基次郎「北川冬彦宛ての書簡」(昭和2年10月31日付)[11]

当初基次郎は、草稿を数篇から成る連作「闇への書」にする構想を持っていたが、その第1話が「蒼穹」という名になり、諸要素が集約されることになる[10][8][2]

なお、〈云ひ知れぬ恐怖と情熱を覚えた〉という前を歩く男の挿話は、草稿では、〈闇〉を死と捉えるような以下のような記述がある[12][13]

〈深い悲しみに似た感情が私を突刺した。〉私は彼が消えてなくなつたあとも暫くはその気配を追つてゐた。然し闇はその気配さへも呑んでしまつたのだ。そこで彼の肉体が喪失してしまつたのではないとどうして私に云へやう — 梶井基次郎「日記 草稿――第十帖」(昭和2年)[12]

またこの時期、基次郎はボードレールを愛読していた[2][8]。在籍中の帝国大学フランス文学科の辰野隆教授の講義を聴講したのがきっかけだった[8]。「絶望」を歌うボードレールの「孤高の精神の高さ」に惹かれた基次郎は、『パリの憂鬱』の英訳をノートに筆写した[2][注釈 1]

基次郎は執筆中の1928年(昭和3年)1月に「馬込文士村」に行った際、宇野千代をめぐって尾崎士郎と一悶着を起こした(詳細は梶井基次郎#宇野千代をめぐってを参照)。それ以前から尾崎と宇野の夫婦関係は冷えていたが、基次郎と千代のの噂が離婚の原因の一つになったともされている[2][4][注釈 2]

その後、梶井は静養先の湯ヶ島に帰るが、医者の忠告を無視し春になったら東京に戻って文壇デビューすることを想定しながら、2月に『蒼穹』を書き上げた[2][4][16]

ボードレールは新らしい社会を意図してゐず常に絶望のみを歌つてゐたがその強さは感想録にも散文詩にも出てゐるやうに思ふ あの時分よりは時勢がちがふかも知れないが僕は僕達の作る芸術がその行き詰つた心境に於て如何に強いものであるか自信出来る 少しは悪党振つてでも僕は強くなる積りである 僕の昨今の心境はすこし物を作る気持より遠い これは東京へ一人出て人に揉まれたりしたことが原因だ しかし春東京へ出るまでにはきつといゝものを書いてゆく — 梶井基次郎「北川冬彦宛ての書簡」(昭和3年2月2日付)[16]

作品評価・研究[編集]

ボードレールの影響を受けた『蒼穹』は、梶井基次郎の短編の中でも短い小品だが、比較的評価の高いものの一つである。ドイツのロマンチックの作家・ジャン・パウルの趣にも似ているとも評されている[1]。また、マラルメの影響もみられ、主題の骨格はマラルメの詩「蒼空」などに似ており、細かい言いまわしは、ボードレールの散文詩集『パリの憂鬱』中の「お菓子」などから学んだ形跡がみられる[2]

鈴木貞美は『蒼穹』について、「〈安逸の悲哀〉のなかをたゆたっていたが、空の高みに吸い込まれてゆく幻想を、視覚と身体感覚のリアルな描出によって」書かれているとし[2]、「青空に虚無の闇」を見てしまう〈不幸〉を、「清澄なニヒリズム」と評している[2]

三島由紀夫は梶井の文章の特徴を、「志賀直哉の影響を受けながら、志賀氏のやうな現実に対する関心を、むしろ積極的に捨てて、その詩人的側面を強く示し、作品の一つ一つを象徴詩のやうな高さ」に高めているとし[1]、『蒼穹』の自然描写が、「写実的な描写のやうでありながら、彼(梶井)の鋭い神経の感じた内的風景であり、実に誠実に微妙に観察してゐながら、その観察を超えて自然の事物が一つ一つの象徴的色彩をおびて」表現され、そこには単なる自然描写を超えた、「精神の深淵をのぞかれるもの」が表出されていると解説している[1]

そして三島はこういった「文体の効果」を見せる梶井を「日本文学に、感覚的なものと知的なものとを綜合する稀れな詩人的文体を創始した」とし[1]、その優れた自然描写は、「西洋文学における人物描写に勝るとも劣らない独立した価値をもつ」と考察して[1]、『蒼穹』を「一篇の散文詩」であると賞讃しながら、梶井について、「この人は小説家になれるやうな下司な人種ではなかつたのである」としている[17]

「蒼穹」は、青春の憂鬱の何といふ明晰な知的表出であらう。何といふ清潔さ、何といふ的確さであらう。白昼の只中に闇を見るその感覚は、少しも病的なものではなく、明晰さのきはまつた目が当然見るべきものを見てゐるのである。健康な体で精神の病的な作家もゐれば、梶井基次郎のやうに病気でゐながら精神が健康で力強い作家もゐる。同じ病気でも、梶井には堀辰雄にない雄々しさと力のあるところが好きである。 — 三島由紀夫「捨て難い小品」[17]

平井修成は三島由紀夫の『蒼穹』評を、正鵠を射ているとして敷衍し、「全体が風景描写でしかないようなこの〈散文詩〉を通じて、作者(梶井)の精神が読者(三島)の前に立ち現れた」点に着目しながら、「外界を“風景”として捉えるとは自己了解の一つの方法である」という命題の典型的な例が『蒼穹』であると解説している[18]

平井は『蒼穹』の風景描写が、「自我の全体性との濃密な関わりを持っている」ことを考察しつつ、梶井の『ある心の風景』の一節の、〈視ること、それはもうなにかなのだ。自分のの一部分あるひは全部がそれに乗り移ることなのだ〉を引いて[19]、そうした現象が生じる場合、それが「現象の主体である精神に何をもたらすのか」を論考し[18]、主人公が最後に〈不幸〉を感じながらも、その「内的なもの」が外化、対象化されているところから、『蒼穹』を、「風景を眺めること――真に主体的に風景を眺めることが、人間に救済をもたらす、その機制を描いた物語」だと解説している[18]

おもな刊行本[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 同じ頃、イギリスの詩人・アーサー・シモンズの英訳の一部もノートに書いている[10][14]
  2. ^ 宇野は後年、梶井との間柄を、「恋情に似た感情が混らないと、友情もまた、成立たたないもののやうに、私は思ふのです」と述懐している[15]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 文章読本――短篇小説の文章」(婦人公論 1959年1月号付録)。文章読本 2001, pp. 61-76、三島31巻 2003, pp. 52-63に所収
  2. ^ a b c d e f g h i 「湯ヶ島の日々」(アルバム梶井 1985, pp. 65-83)
  3. ^ a b 鈴木貞美「梶井基次郎年譜」(別巻 2000, pp. 454-503)
  4. ^ a b c d e f 「第十章 冬蠅の恋――湯ヶ島その二」(大谷 2002, pp. 216-242)
  5. ^ 藤本寿彦「書誌」(別巻 2000, pp. 516-552)
  6. ^ ウィリアム・J・タイラー編「外国語翻訳及び研究」(別巻 2000, pp. 640-642)
  7. ^ Dodd 2014
  8. ^ a b c d e f 「第三部 第八章 白日のなかの闇」(柏倉 2010, pp. 313-326)
  9. ^ 淀野隆三宛て」(昭和2年10月19日付)。新3巻 2000, pp. 226-227に所収
  10. ^ a b c 「日記 草稿――第十一帖」(昭和2年)。旧2巻 1966, pp. 410-423に所収
  11. ^ a b 北川冬彦宛て」(昭和2年10月31日付)。新3巻 2000, pp. 229-230に所収
  12. ^ a b 「日記 草稿――第十帖」(昭和2年)。旧2巻 1966, pp. 387-409に所収
  13. ^ 「第四部 第五章 移転」(柏倉 2010, pp. 392-403)
  14. ^ 「略年譜」(アルバム梶井 1985, pp. 104-108)
  15. ^ 宇野千代『私の文学的回想記』(中央公論社、1972年4月)。別巻 2000, pp. 94-99に抜粋所収
  16. ^ a b 「北川冬彦宛て」(昭和3年2月2日付)。新3巻 2000, pp. 266-269に所収
  17. ^ a b 「捨て難い小品」(文藝 1956年10月号)。三島29巻 2003, pp. 291-292
  18. ^ a b c 平井 2010
  19. ^ ある心の風景」(青空 1926年8月号)。ちくま全集 1986, pp. 114-127、新潮文庫 2003, pp. 131-148に所収

参考文献[編集]

  • 『梶井基次郎全集第2巻 遺稿・批評感想・日記草稿』 筑摩書房、1966年5月。ISBN 978-4-48-070402-3。 
  • 『梶井基次郎全集第3巻 書簡・年譜・書誌』 筑摩書房、1966年6月。ISBN 978-4-48-070403-0。 
  • 『梶井基次郎全集第3巻 書簡』 筑摩書房、2000年1月。ISBN 978-4-48-070413-9。 
  • 『梶井基次郎全集別巻 回想の梶井基次郎』 筑摩書房、2000年9月。ISBN 978-4480704146。 
  • 梶井基次郎 『檸檬』(改版) 新潮文庫、2003年10月。ISBN 978-4101096018。  初版は1967年12月。
  • 梶井基次郎 『梶井基次郎全集 全1巻』 ちくま文庫、1986年8月。ISBN 978-4480020727。 
  • 鈴木貞美編 『新潮日本文学アルバム27 梶井基次郎』 新潮社、1985年7月。ISBN 978-4-10-620627-6。 
  • 大谷晃一 『評伝 梶井基次郎』(完本版) 沖積舎、2002年11月。ISBN 978-4806046813。  初本(河出書房新社)は1978年3月 NCID BN00241217。新装版は 1984年1月 NCID BN05506997。再・新装版は1989年4月 NCID BN03485353
  • 柏倉康夫 『評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ』 左右社、2010年8月。ISBN 978-4903500300。 
  • 平井修成 「梶井基次郎『蒼穹』論―風景の了解と精神の救済―」 『常葉国文』 32号 常葉学園短期大学、1-12頁、2010年。 NAID 110009423058 
  • 『決定版 三島由紀夫全集29巻 評論4』 新潮社、2003年4月。ISBN 978-4106425691。 
  • 『決定版 三島由紀夫全集第31巻 評論6』 新潮社、2003年6月。ISBN 978-4-10-642571-4。 
  • Stephen Dodd (2014-02), The Youth of Things: Life and Death in the Age of Kajii Motojiro, University of Hawaii Pres, ISBN 978-0824838409 

関連項目[編集]