蕭昭文

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海陵王 蕭昭文
第4代皇帝
王朝
在位期間 494年9月10日 - 11月23日
姓・諱 蕭昭文
季尚
諡号 恭王(斉の海陵王として)
生年 建元2年(480年
没年 建武元年(494年)11月
蕭長懋
許氏
后妃 王皇后
年号 延興 : 494年

蕭 昭文(しょう しょうぶん)は、南朝(南斉)の第4代皇帝。第2代皇帝武帝の孫。斉の3人の廃帝の一人で諡号廟号はなく、廃位後の王号から海陵王と史称される。

生涯[編集]

皇太子蕭長懋の次男として生まれる。486年、臨汝公に封じられた。輔国将軍・済陽郡太守となった。492年、南豫州刺史として出向した。493年、冠軍将軍に進んだ。父が死去すると、建康に帰った。兄の鬱林王蕭昭業が即位すると、昭文は中軍将軍となり、新安王に封じられた。494年、揚州刺史となった。7月、蕭昭業が廃位(殺害)されたことにより、西昌侯蕭鸞(のちの明帝)により帝位につけられた。

しかし政治の実権は蕭鸞が執っており、蕭鸞の許可無しでは皇帝は食事の献立すら自由にできなかった。この年の10月、蕭昭文は蕭鸞が手を回した皇太后王宝明(嫡母)の詔により廃位され、海陵王に落とされた。その後継としては蕭鸞が自ら即位して明帝となった。翌月、廃帝蕭昭文は明帝の命によって殺害された。

先代:
廃帝鬱林王
の第4代皇帝
494年
次代:
明帝