藤原家経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原家経
時代 平安時代中期
生誕 正暦3年(992年
死没 天喜6年5月18日1058年6月11日
別名 正字:家經
官位 正四位下式部権大輔
主君 三条天皇後一条天皇後朱雀天皇後冷泉天皇
氏族 藤原北家真夏流日野家
父母 父:藤原広業、母:安部信行の娘
兄弟 家経、家貞、広算、藤原兼綱
藤原能通の娘、藤原公業の娘
正家、行家、広家、長済、経円、藤原通宗室、藤原弘信室
テンプレートを表示

藤原 家経(ふじわら の いえつね)は、平安時代中期の貴族学者歌人漢詩人藤原北家真夏流(日野家)、参議藤原広業の長男。官位正四位下式部権大輔

経歴[編集]

後一条朝長和5年(1016年)頃文章得業生に補され、対策に及第。11月21日に文章博士・大江通直を問頭として家経へ試問が行われている[1]

六位蔵人右衛門尉を務めたのち従五位下叙爵し、寛仁4年(1020年刑部権少輔に任ぜられる。弾正少弼を経て、万寿2年(1025年)右少弁に遷ると、後一条朝の後半は弁官を務めたほか左衛門権佐も兼帯し、万寿3年(1026年従五位上長元3年(1032年正五位下と昇進した。なお、この間の治安4年(1024年)3月1日に邸宅が全焼している[2]

その後、民部権大輔を経て、正四位下式部権大輔に至る。

後冷泉朝天喜2年(1054年)5月11日に出家。天喜6年(1058年)5月18日卒去享年67。

人物[編集]

父・広業と同じく漢詩をよくした。さらに和歌にも通じ『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に16首が入集している。永承4年(1049年)の『内裏歌合』、永承5年(1050年)『祐子内親王家歌合』などに出詠している。長元9年(1036年)には後冷泉天皇の大嘗会和歌を詠進した。能因法師伊勢大輔藤原範永らと交流があった。

官歴[編集]

系譜[編集]

  • 父:藤原広業
  • 母:安部信行の娘
  • 妻:藤原能通の娘
  • 妻:藤原公業の娘
    • 男子:藤原行家(1029-1106)
    • 男子:長済(?-1077)
  • 生母不明の子女
    • 男子:経円
    • 女子:藤原通宗室
    • 女子:藤原弘信室

脚注[編集]

  1. ^ 桂林遺芳抄
  2. ^ 小右記治安4年3月2日条
  3. ^ 『左経記』
  4. ^ a b c 『小右記』
  5. ^ 『東宮御元服部類記』
  6. ^ 『小右記』寛仁4年10月18日条
  7. ^ a b c d e f g 『弁官補任』
  8. ^ 『左経記類聚雑例』
  9. ^ a b c 『尊卑分脈』
  10. ^ 『祐子内親王歌合』

参考文献[編集]