藤川三之助

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ふじかわ さんのすけ
藤川 三之助
本名 平田 三彌 (ひらた さんや)
生年月日 1884年
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 神奈川県横浜区(現在の同県横浜市中区あたり)
職業 俳優、元女形
ジャンル 新派関西歌舞伎劇映画現代劇サイレント映画トーキー
活動期間 1900年代 - 1932年

藤川 三之助(ふじかわ さんのすけ、1884年 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4][5]。本名平田 三彌(ひらた さんや)[1][2]

人物・来歴[編集]

1884年明治17年)、神奈川県横浜区(現在の同県横浜市中区あたり)に生まれる[1][2]。1930年代に日活京都撮影所で脇役を務めた時代劇俳優の藤川三之は、1889年(明治22年)3月22日生まれであり、年齢も近いが、別人である[2]

旧制中学校に進学したが、2年次で中途退学し、三井物産の郵船部門(現在の商船三井)に勤務した[1]。その後、職替えののちに新派俳優となり、佐藤幾之助や木村猛夫らの一座に参加、各地を巡業する[1]。1911年(明治44年)に福宝堂東京府北豊島郡日暮里村(現在の東京都荒川区西日暮里3丁目7番)に自社の撮影所を建てたが、これに入社して、映画俳優に転向する[1]。1912年(大正元年)9月10日、福宝堂は他社と合併して「日本活動写真株式会社」(日活)を設立するが、藤川は、元福宝堂が1914年(大正3年)3月17日に設立した天然色活動写真天活)に移籍している[1]

1916年(大正5年)2月、改めて日活に入社、向島撮影所に所属し、当初は女形として出演、のちに男役に転向する[1]。1922年(大正11年)12月、田中栄三が監督した『京屋襟店』の完成試写後に、藤野秀夫衣笠貞之助荒木忍東猛夫ら幹部俳優13名が集団退社の辞表を提出、石井常吉の計画によって国際活映(国活)に引き抜かれる事件が起きるが、藤川もこれに連座し、国活に電撃的に移籍している[6][7]

1923年(大正12年)3月、国活が製作を停止すると、同社を退社し、衣笠貞之助ら同様に京都に移り、等持院に撮影所を持つ、牧野省三マキノ映画製作所に移籍、衣笠が監督する映画に出演している[3][4]。等持院撮影所が東亜キネマに吸収されてからは、高松豊次郎の娘婿の山根幹人、高松の三男・高松操(のちの吉村操)の監督作等に出演、1925年(大正14年)に高松が、牧野省三のマキノ・プロダクションと連携するタカマツ・アズマプロダクションを設立すると、東京に戻り、これに参加している[3][4]。1927年(昭和2年)に同プロダクションが活動停止、それ以降は、1929年(昭和4年)に日活太秦撮影所での出演記録がみられる[3][4][5]。別人である「藤川三之」が映画界に参入するのが1933年(昭和8年)であるとされているが[2]、多くの資料で混同されており、詳細は不明である[3][4][5]没年不詳

フィルモグラフィ[編集]

クレジットはすべて「出演」である[3][4]。公開日の右側には役名[3][4]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[8][9]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。資料によってタイトルの異なるものは併記した。

日活向島撮影所[編集]

特筆以外すべて製作は「日活向島撮影所」、配給は「日活」、すべてサイレント映画である[3][4][5]

  • 悲劇百合子 前篇』 : 監督不明、原作菊池幽芳、1913年10月製作・公開
  • 渦巻 前篇』 : 監督不明、脚本篠山吟葉、原作渡辺霞亭、1913年11月5日公開
  • 渦巻 後篇』 : 監督不明、脚本篠山吟葉、原作渡辺霞亭、1913年11月24日公開
  • 『橘花子』 : 監督小口忠、1913年12月製作・公開
  • 『蝉しぐれ』 : 監督不明、1916年8月1日公開 - 主演
  • 『侠芸者』 : 監督不明、1916年8月15日公開
  • 『落胤』 : 監督不明、1916年8月15日公開 - 主演
  • 『夜の鶴』 : 監督不明、1916年9月5日公開 - 主演
  • 『磯千鳥』 : 監督不明、1916年9月10日公開
  • 『怨みの鐘』 : 監督不明、1916年9月15日公開
  • 『みだれ菊』 : 監督不明、1916年9月25日公開 - 主演
  • 『ホトトギス』 : 監督不明、1916年10月1日公開
  • 『女舞鶴』 : 監督不明、1916年10月8日公開
  • 『恋の仇波』 : 監督不明、1916年10月21日公開
  • 『お夏文代』 : 監督不明、原作菊池幽芳、1916年11月2日公開
  • 残月』(『残んの月』[5]) : 監督不明、1916年11月8日公開
  • 『鹿笛』 : 監督不明、1916年11月20日公開
  • 『木枯し』[3][5](『木枯らし』[4]) : 監督不明、1916年11月29日公開
  • 『鬼いばら』[4][5] : 監督不明、1916年12月7日公開
  • 『想夫憐』[3][4](『想夫恋』[5]) : 監督不明、原作渡辺霞亭、1916年12月8日公開
  • 『吉丁字』 : 監督不明、1916年12月31日公開
  • 孝女白菊』 : 監督不明、1916年12月31日公開
  • 二人静』 : 監督小口忠、脚本新海文次郎、原作柳川春葉、撮影坂田重則、1917年1月14日公開
  • 『あかね染』 : 監督不明、1917年1月14日公開
  • 『あわ雪』 : 監督不明、1917年1月26日公開
  • 『竜巻』 : 監督不明、原作渡辺霞亭、1917年2月1日公開
  • 『罪の子』 : 監督不明、1917年2月5日公開
  • 『憂き身』 : 監督不明、原作柳川春葉、1917年2月15日公開
  • 『若き女の半生』 : 監督不明、1917年2月15日公開
  • 『迷の夢』[3][4](『迷ひき夢』[5]) : 監督不明、1917年2月28日公開
  • 毒草』 : 監督小口忠、脚本桝本清、原作菊池幽芳、1917年3月11日公開
  • 『八重霞』 : 監督不明、1917年3月11日公開
  • 己が罪』 : 監督不明、原作菊池幽芳、1917年4月7日公開
  • 『都鳥』 : 監督不明、1917年4月28日公開
  • 銀の鍵』 : 監督不明、1917年5月6日公開
  • 『結婚の夜』[3][4][5](『婚礼の夜』[5]) : 監督不明、製作日活京都撮影所、1917年5月11日公開
  • 『捨小舟』 : 監督不明、1917年5月20日公開
  • 『旅衣』 : 監督不明、1917年5月21日公開
  • 『人の情』 : 監督不明、原作小栗風葉、1917年6月1日公開
  • 『後の仇浪宮島心中』 : 監督不明、1917年6月1日公開
  • 『誘惑』 : 監督小口忠、脚本桝本清、原作徳田秋声、1917年6月10日公開
  • 『青葉の宿』[4][5](『若葉の宿』[3]) : 監督不明、1917年6月11日公開
  • 『雨夜の女』 : 監督不明、1917年6月21日公開
  • 『幼き母』 : 監督不明、1917年7月1日公開
  • 『女ごころ』(『女心』[5]) : 監督不明、1917年8月26日公開 - 佐々木準三
  • 『子故の闇』 : 監督不明、1917年9月9日公開
  • 藤袴』 : 監督不明、1917年9月23日公開
  • 『木の間の月』(『樹間の月』[5]) : 監督不明、1917年9月30日公開
  • 『秋の声』[3][4](『三人少尉』[3][4][5]) : 監督不明、1917年10月7日公開
  • 『さんざ時雨』 : 監督不明、1917年10月17日公開
  • 『手向の曲』 : 監督不明、1917年10月18日公開
  • 『孔雀草』 : 監督不明、1917年10月31日公開
  • 『秋之助とお澄』 : 監督不明、1917年11月12日公開
  • 『霜夜の月』 : 監督不明、1917年12月10日公開
  • 『黒潮』 : 監督不明、1917年12月14日公開
  • 『女の誓』 : 監督不明、1917年12月31日公開
  • 『犠牲』 : 監督小口忠、1918年2月1日公開
  • 『雪枝夫人』 : 監督小口忠、脚本岩崎春禾、1918年2月14日公開
  • 『毒煙』 : 監督小口忠、脚本桝本清、1918年2月15日公開
  • 『二人娘』 : 監督小口忠、脚本桝本清、1918年2月28日公開
  • 『忘れ子』[3][4](『わすれ子』[5]『忘れ児』[5]) : 監督小口忠、原作渡辺黙扇、1918年2月28日公開
  • 『涙の雨』 : 監督小口忠、脚本岩崎春禾、1918年4月30日公開
  • 『続金色夜叉』 : 監督小口忠、脚本岩崎春禾、原作長田幹彦、撮影坂田重則、1918年5月1日公開
  • 黒水晶』 : 監督田中栄三、脚本栗島狭衣、原作渡辺霞亭、1918年5月13日公開
  • 乳姉妹』 : 監督田中栄三、脚本岩崎春禾、原作菊池幽芳、1918年5月17日公開 - 主演
  • 『兄と弟』 : 監督小口忠、脚本桝本清、撮影大洞元吾、1918年5月26日公開
  • 『父の涙』 : 監督田中栄三、脚本桝本清、撮影大洞元吾、1918年6月1日公開
  • 『うすき縁』[3][4](『薄き縁』[5]) : 監督田中栄三、脚本鬼頭磊三、撮影坂田重則、1918年6月6日公開
  • 『国の誉』[3][4](『ひもんや美談』[3][4]『国の誉踏切番』[5]『ひもんやびだん』[5]) : 監督小口忠、脚本桝本清、撮影坂田重則、1918年6月18日公開
  • 『侠艶録』 : 監督田中栄三、原作佐藤紅緑、1918年7月1日公開 - 主演
  • 『つきぬ恨』 : 監督田中栄三、脚本舟橋碧川[3](桝本清[4][5])、撮影大洞元吾、1918年8月4日公開
  • 『乳屋の娘』 : 監督田中栄三、脚本遅塚麗水、1918年8月31日公開
  • 恋の浮島』 : 監督不明、原作江見水蔭、1918年10月1日公開
  • 『新橋情話』 : 監督田中栄三、原作小島孤舟、1919年7月13日公開
  • 『新聞売子』 : 監督小口忠、原作菊池幽芳、1919年9月14日公開
  • 『恋の津満子』 : 監督小口忠、脚本桝本清、1919年9月27日公開
  • 野蛮人』(『吾妻照之助』) : 監督不明、原作江見水蔭、1919年10月28日公開
  • 『恋の犠牲』 : 監督不明、1919年12月7日公開
  • 『黒髪』 : 監督田中栄三、原作遅塚麗水、1920年2月29日公開 - 海鏡庵庵主・妙鏡
  • 『運命の影』 : 監督田中栄三、1920年7月15日公開 - 嗣子・正篤
  • 『尼港最後の日』 : 監督坂田重則、脚本鬼頭磊三、撮影大洞元吾、1920年8月2日公開
  • 『噫川島巡査の死』 : 監督坂田重則、原作藤井泰三、1921年4月1日公開 - 川島巡査の友人・越野
  • 『我子の歌』(『我が子の歌』[5]) : 監督不明、1922年1月13日公開
  • 『碑文谷美談』 : 監督不明、1922年5月15日公開
  • 『血すぢの縁』 : 監督不明、1922年10月8日公開 - 友人・吉山
  • 『永遠の謎』 : 監督・脚本若山治、原作長田幹彦、1922年10月20日公開 - 佐藤中将(主演

国活巣鴨撮影所[編集]

特筆以外すべて製作は「国活巣鴨撮影所」、配給は「国際活映」、すべてサイレント映画である[3][4]

  • 『鷲津村の娘』 : 監督坂田重則、1922年12月31日公開
  • 『噫! 祖国』 : 監督帰山教正、製作・配給桑野桃華プロダクション、1922年製作・公開
  • 『義血』 : 監督内田吐夢、撮影円谷英二、1925年2月6日公開

等持院撮影所[編集]

特筆以外すべて製作は「マキノ等持院撮影所」、配給は「マキノ映画製作所」、すべてサイレント映画である[3][4]

  • 『熱血の洗礼』 : 監督本山裕見、原作・脚本曾根純三、製作東亜キネマ甲陽撮影所、配給東亜キネマ、1924年7月31日公開 - 新二(お菊の従妹)
  • 『明暗の巷』 : 監督山根幹人、脚本上月吏、原作上島量、製作・配給東亜キネマ、1924年製作・公開
  • 『馬賊の唄』 : 監督本山祐児、製作東亜キネマ甲陽撮影所、配給東亜キネマ、1925年2月11日公開 - 主演
  • 『幻の帆船』 : 監督・主演山本冬郷、原作・脚本大島十九郎、製作大東キネマ、配給松竹キネマ、1925年12月12日公開 - 呉恒仙
  • 『噫飯束巡査部長』 : 指揮山根幹人、監督高松操、脚本青木優、撮影持田米彦・高城泰策、製作マキノプロダクション御室撮影所、配給マキノプロダクション、1925年12月31日公開 - 父

タカマツ・アズマプロダクション[編集]

特筆以外すべて製作・配給は「タカマツ・アズマプロダクション」、すべてサイレント映画である[3][4]

  • クロスワード』(『クロス・ワード』[4]) : 監督高松操、製作マキノ東京派(タカマツ・アズマプロダクション)、1926年1月1日公開 - 大河内宏男爵・張天仇お君(二役・主演
  • 『銅銭会事変』 : 監督横田豊秋、脚本青木優、原作国枝史郎、1926年7月1日公開 - 神道徳次郎
  • 『涙の黎明』 : 監督友成用三、原作・脚本青木優、1926年7月23日公開 - 相良伴之丞
  • 『国境の血涙』 : 監督・原作友成用三、撮影持田米彦、1926年製作・公開 - 馬賊連長
  • 『神の姿』 : 監督・原作岩藤思雪、脚本秦哀美、製作・配給太平フィルム、1927年製作・公開 - 主演
  • 『愛染手網 前後篇』 : 監督高松操、脚本青木優、原作今東光、1927年製作・公開 - 大坪流村田大次郎(「藤川三之祐」と混同)
  • 『金四郎半生記』 : 監督辻吉郎、原作・脚本異木草二郎、製作日活太秦撮影所、1929年10月1日公開 - 目明し丈五郎[5]
  • 『修羅城 水星篇 火星篇』 : 監督池田富保、製作日活太秦撮影所、1929年10月1日公開 - 渡辺内蔵之助
  • 『一番目の女』 : 監督・脚本三枝源次郎、製作日活太秦撮影所、1929年11月1日公開 - 恒夫の父[5]
  • 『傘張剣法』 : 監督辻吉郎、原作・脚本異木草二郎、製作日活太秦撮影所、1929年11月1日公開 - 画家大島松鵬(高利貸・源兵衛[5]
  • 故郷の空』 : 監督山根幹人、製作・配給日本教育映画研究所、1930年前後 - 山中三造[10]、12分尺で現存(マツダ映画社所蔵[9]
  • 『嘆きの女間諜』 : 監督仁科熊彦、製作・配給富国映画社、1932年製作・公開

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h 高沢[1919], p.151.
  2. ^ a b c d e キネマ旬報社[1979]、p.502-503.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 藤川三之助日本映画データベース、2013年3月26日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 藤川三之助、日本映画情報システム、文化庁、2013年3月26日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 藤川三之助日活データベース、2013年3月26日閲覧。
  6. ^ 田中[1975], p.363-366.
  7. ^ 佐相[2001], p.106.
  8. ^ 所蔵映画フィルム検索システム東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年3月25日閲覧。
  9. ^ a b 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇マツダ映画社、2013年3月25日閲覧。
  10. ^ 故郷の空、マツダ映画社、2013年3月27日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]