藤沢親雄

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藤沢 親雄(ふじさわ ちかお、1893年9月18日 - 1962年7月23日)は、日本の国家主義者。

経歴[編集]

藤沢利喜太郎の子として東京に生まれる。1917年東京帝国大学法学部卒、農商務省入省。19年ジュネーヴの国際連盟会議に出席、連盟事務局員。文部省在外研究員としてベルリン大学に学び、23年哲学博士。帰国後東大講師、25年九州帝国大学法文学部教授。31年辞職、北京大学に勤務。34年国民精神文化研究所嘱託。35年大東文化協会理事、大東文化学院教授。38年日独同志会思想部長としてドイツに行く。42年大政翼賛会東亜局長。43年国民精神文化研究所辞任。陸軍省の委嘱により北京燕京大学に赴任。戦後公職追放。55年日本大学教授。58年日本文化連合会結成。61年国士舘大学教授。

国家主義者で、ファシズム、ナチズムの讃美・紹介に努めるいっぽうで、皇国思想をひろめるうち、契丹古伝・竹内文献ムー大陸などを評価するようになった[1]

著書[編集]

  • 外交史講義-近世帝国主義概論 第1冊 九州帝大法文学部 1928
  • 共産主義排撃の根拠 国際主義と「日本」の新しき解釈 タイムス出版社 1929
  • 日本の思想的独立へ 先進社 1932
  • 皇道政治学概論 大東文化協会 1933
  • 西欧近代思想と日本国体 日本文化協会、1934 
  • 近代政治思想と皇道 青年教育普及会 1935
  • 自由主義の批判 国民精神文化研究所、1935
  • 政治指導原理としての皇道 国民精神文化研究所 1935 (国民精神文化研究
  • 国際思想と国家観念に就いて 日本外交協会 1935
  • 皇道に依る自由主義批判 海軍省教育局 1935 (思想研究資料)
  • 帝国憲法に就て 日本文化協会出版部 1936
  • 世界の動きと日本 国民精神文化研究所、1937
  • 日本民族の政治哲学 巌松堂 1937
  • 日本国家学 大串兎代夫共著 高陽書院、1937 
  • 防共協定の強化と國民精神總動員 防共協定記念會 1937.11
  • 新民主義の哲理的基礎 日本外交協会 1938
  • 大陸経綸の指導原理 第一出版社 1938 
  • 日本人間学 第一出版社 1938 
  • 日本学の理念 作品社 1939 (作品文庫)
  • 日本政治学の基礎理念 国民精神文化研究所 1939
  • 日本を中心とする国際思想の動向 金光教典籍出版部 1939 (時局叢書)
  • 全体主義と皇道 東洋図書 1940
  • 伊太利の立場と日本 伊太利大使館情報部 1941
  • 皇道世界経綸の理念 甲子社書房 1941
  • 我が国体と世界新秩序 日本放送出版協会 1941 (ラジオ新書
  • 戦時下のナチス独逸 アルス 1941 (ナチス叢書)
  • 日本的思惟の諸問題 人文書院 1941
  • 日満関係に於ける皇道の顕現 皇道世界政治研究所 1942 
  • 世紀の預言 偕成社 1942.3
  • 日満華一体化論 東亜新秩序研究会 1943
  • 国家と青年 潮文閣 1943 (青年文化全集)
  • 神国日本の使命 巌松堂 1943
  • 日本国家学原理 三省堂出版 1944
  • 東洋政治哲学と新しき世界平和原理 新生社 1957
  • 日本民族共同体の自覚的再建 神道指令と現行憲法との関連性について 日本文化連合会事務局 1959
  • 神道アッピールの旅 北南米知識層の反響 神社本庁 1959序
  • 創造的日本学 藤沢親雄遺稿 附諸家追悼・随想録 小見山登編 日本文化連合会 1964
復刊
  • 日本的思惟の諸問題 大空社 1997.1 (叢書日本人論)

翻訳[編集]

  • ファッシズムの理念と日伊の政治的提携 Mirko Ardemagni ストラミジヨーリ 1940.7

脚注[編集]

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  1. ^ 横山茂雄『聖別された肉体』(白馬書房/風の薔薇)

参考[編集]

  • 国民精神文化研究所における危機の学問的要請と応答の試み 藤澤親雄・大串兎代夫・作田荘一・河村只雄

今井隆太「ソシオサイエンス」2001-03

  • 『愛国心について』