藤田達生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤田 達生(ふじた たつお、1958年10月8日[1] - )は、日本の日本史学者[2]三重大学教授。専門分野は、日本近世国家成立史の研究である[3]

経歴[編集]

愛媛県新居浜市生まれ[1]1981年愛媛大学教育学部中学校教員養成課程(社会科)卒業、1987年神戸大学大学院博士課程修了、「日本中世における地域的権力の研究 -近江国を事例として」で学術博士[3]。同年神戸大学助手、1993年三重大学教育学部助教授、2003年教授[3]

学説[編集]

本能寺の変の原因について、明智光秀の単独行動ではなく足利幕府最後の征夷大将軍である足利義昭が黒幕であるとの説を発表して話題となった。また、そのなかで天正9年(1581年3月までに、羽柴秀吉は甥秀次三好康長養子にして羽柴・三好の提携関係が成立したとしている[4]が、これについては谷口克広による反論がある。

さらに、豊臣秀吉について史実として伝わっていることの多くは、情報操作の重要性を理解した秀吉自身によって作られた、きわめて政治性の強いものであることを指摘し、「秀吉神話」として批判・検討を加えた。また、豊臣平和令は存在しなかったという学説を説いている[5]

なお、秀吉の家臣加藤光泰の死については、石田三成による毒殺説に信憑性をみとめる見解を表明している[6]

著書[編集]

単書[編集]

  • 『日本中・近世移行期の地域構造』校倉書房、2000年
  • 『本能寺の変の群像:中世と近世の相剋』(雄山閣出版、2001年3月)ISBN 4639017308
  • 『日本近世国家成立史の研究』校倉書房、2001年
  • 『謎とき本能寺の変』講談社現代新書、2003年/「本能寺の変」講談社学術文庫、2019年
  • 『江戸時代の設計者:異能の武将・藤堂高虎』講談社現代新書、2006年
  • 『秀吉神話をくつがえす』講談社現代新書、2007年
  • 『証言 本能寺の変:史料で読む戦国史』(八木書店、2010年)ISBN 9784840620482
  • 『信長革命:「安土幕府」の衝撃』(角川選書、2010年)ISBN 9784047034846
  • 『秀吉と海賊大名:海から見た戦国終焉』(中公新書、2012年)ISBN 9784121021465
  • 『蒲生氏郷:おもひきや人の行方ぞ定めなき』(ミネルヴァ書房日本評伝選〉、2012年)ISBN 9784623064908 
  • 『天下統一:信長と秀吉が成し遂げた「革命」』(中公新書、2014年) ISBN 9784121022653
  • 『城郭と由緒の戦争論』(歴史科学叢書:校倉書房、2017年)
  • 『織田信長:近代の胎動』(山川出版社〈日本史リブレット人〉、2018年)
  • 『藤堂高虎論 初期藩政史の研究』塙書房、2018年

共編著[編集]

  • 『伊勢国司北畠氏の研究』(吉川弘文館、2004年)
  • 『小牧長久手の戦いの構造』(岩田書院(戦場論(上))、2006年)
  • 『近世成立期の大規模戦争』(岩田書院(戦場論(下))、2006年)
  • 『都市をつなぐ』(伊藤裕偉・中世都市研究会共編、新人物往来社(中世都市研究)、2007年)
  • 『朽木家文書』(西島太郎共編、八木書店、2007年8月)
  • 『明智光秀』(福島克彦共編、八木書店古書出版部(史料で読む戦国史3)、2015年10月) ISBN 9784840622103
  • 『半島をゆく第1巻 信長と戦国興亡編』(安部龍太郎共著、小学館、2016年11月)

監修[編集]

  • 『藤堂藩の研究:論考編』(三重大学歴史研究会編、清文堂出版、2009年2月)ISBN 9784792406691
  • 『地域社会における「藩」の刻印:津・伊賀上野と藤堂藩』(三重大学歴史都市研究センター編、清文堂出版、2014年8月)ISBN 9784792410209

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.340
  2. ^ 藤田達生『謎とき本能寺の変』(2003)の著書プロフィールによる。
  3. ^ a b c 三重大学教員紹介
  4. ^ 『謎とき本能寺の変』(2003)ほか
  5. ^ 『秀吉神話をくつがえす』(2007)
  6. ^ 「濃尾武士団と豊臣政権『大洲加藤文書』の世界」(2001)