蛇塚古墳

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蛇塚古墳
Hebizuka Kofun-2-2.jpg
石室全景(左に玄室、右に羨道)
所在地 京都府京都市右京区太秦面影町
位置 北緯35度0分43.15秒
東経135度42分0.48秒
座標: 北緯35度0分43.15秒 東経135度42分0.48秒
形状 前方後円墳
規模 墳丘長約75m(非現存)
埋葬施設 横穴式石室
(内部に家形石棺か)
築造時期 6世紀末-7世紀初頭
被葬者 (推定)秦氏首長
史跡 国の史跡「蛇塚古墳」
地図
蛇塚古墳の位置(京都市内)
蛇塚古墳
蛇塚古墳
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石室入り口

蛇塚古墳(へびづかこふん)は、京都府京都市右京区太秦にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。

京都府で最大規模の横穴式石室を有する前方後円墳であったが、墳丘封土は失われ、現在は露出した石室のみが残る。

概要[編集]

京都盆地(山城盆地)の西部、嵯峨野台地の南縁に築造された古墳である。名称の「蛇塚」は、石室内に蛇が棲息していたことに由来するという[1]1920年大正9年)頃までは墳丘の一部を残していたというが、現在までの宅地化によって墳丘封土のほぼ全てが失われている[2]1936年昭和11年)に京都帝国大学考古学研究室による調査が実施されている[2]

墳形は前方後円形で、前方部を南西方向に向け、墳丘長は約75メートルを測った[2]。墳丘は現在までに失われたが、墳形の名残りは現在も周囲の宅地区画に見られる[2]。現在では、後円部の埋葬施設として巨石を用いて築かれた横穴式石室を露出する[1]。この石室は南東方向に開口し、全長17.8メートルを測り、石舞台古墳奈良県高市郡明日香村)にも匹敵する規模になる。石室内には家形石棺があったと伝わる[3]

この蛇塚古墳は古墳時代後期の6世紀末から7世紀初頭頃の築造と推定され[3]、現存する京都府の前方後円墳としては最後期に属する。被葬者は明らかでない。嵯峨野地域では天塚古墳(約71メートル、国の史跡)・清水山古墳(約60メートル、非現存)・垂箕山古墳(仲野親王墓古墳、約75メートル)・蛇塚古墳などの前方後円墳を中心とする6世紀以降の後期古墳が分布するが[2]、これらは嵯峨野一帯を開発した渡来系氏族の秦氏の活動に関係すると見られ、主な古墳は秦氏の首長墓と推測されている。

石室域は1977年(昭和52年)に国の史跡に指定された。現在は崩落の危険があるため、石室内部が鉄枠で補強されたうえで石室の周囲はフェンスで囲われて施錠され、普段は出入りできないようになっている。

構造[編集]

古墳の推定規模は次の通り[4]

  • 墳丘長:約75メートル
  • 後円部
    • 直径:約45メートル
  • 前方部
    • 幅:約30メートル

埋葬施設[編集]

埋葬施設には横穴式石室が使用されている。石室の規模は次の通り[4]

  • 石室全長:17.8メートル
  • 玄室
    • 長さ:6.8メートル
    • 幅:3.8メートル
    • 高さ:5.2メートル
    • 床面積:25.8平方メートル[1]
  • 羨道
    • 長さ:約11メートル
    • 幅:2.6メートル
    • 高さ:3.4メートル

石室の構造は、玄室の真ん中に羨道(玄室への通路)を取り付け、玄室の幅は羨道に比べて広くするという両袖型(りょうそでがた)に該当する[4]。側壁・奥壁とも巨石を2・3段に積んで形成されるが、天井石は一石を遺存するのみである[2]。この玄室内には家形石棺が存在したと伝わる[3]

石室の規模は、玄室の幅の点では石舞台古墳奈良県高市郡明日香村)を超える。また玄室の床面積の点では高倉山古墳三重県伊勢市)、こうもり塚古墳岡山県総社市)、石舞台古墳に次ぐ全国第4位に位置づけられる[1]

なお、石舞台古墳の石室は花崗岩(火成岩、深成岩)であるが、蛇塚古墳の石室はチャート(堆積岩)である。京都盆地北縁は、丹波層群(ペルム紀からジュラ紀(約2億9,900万年前-約1億4,550万年前)に海底でできた地層)に属するチャート・砂岩・頁岩などが山地を構成しており、チャートは京都市北部に多く見られるが、石室石材がどこから運ばれたのかは不明である。

文化財[編集]

国の史跡[編集]

  • 蛇塚古墳 - 1977年(昭和52年)5月4日指定[2]

交通アクセス[編集]

嵯峨・太秦の古墳[編集]

蛇塚古墳をはじめとして右京区の嵯峨・太秦地区には数多くの古墳があったが、都市開発によって消滅したものが多い。現存するものとしては以下のものなどがある。

  • 天塚古墳
    国の史跡。古墳時代後期、墳丘長71メートルの前方後円墳。全長10メートルと7.5メートルの2つの横穴式石室を有する。
  • 千代ノ道古墳
    古墳時代後期、直径16メートルの円墳。横穴式石室を有する。
  • 双ヶ岡古墳群
    雙ヶ岡名勝) にある古墳時代中期の古墳群で、20基ほどある。なかでも1号墳(一ノ丘古墳)は直径44メートルの円墳で、蛇塚古墳に匹敵する巨石を用いた横穴式石室を有する。
  • 大覚寺古墳群
    古墳時代後期。4基の古墳のうち1号墳(円山古墳)、2号墳(入道塚古墳)は陵墓参考地。3号墳(南天塚古墳)は喪失。
  • 甲塚古墳(かぶとづかこふん)
    古墳時代後期の円墳(墳丘は全壊)、横穴式石室。「安堵の塔(ルルゲさん)」は石室の一部と伝えられている。
  • 垂箕山古墳(たるみやまこふん、片平大塚古墳・仲野親王高畠陵)
    蛇塚の北方500メートルにある前方後円墳、墳丘長75メートル。蛇塚古墳と同じく古墳時代後期に属するが、築造は6世紀中葉とされる。垂箕山古墳は保存状態がよく、現在は宮内庁が管理している。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d 史跡説明板。
  2. ^ a b c d e f g 蛇塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ a b c 蛇塚古墳(平凡社) 1979.
  4. ^ a b c 蛇塚古墳(古墳) 1989.

参考資料[編集]

  • 史跡説明板
  • 「蛇塚古墳」『日本歴史地名大系 27 京都市の地名』平凡社、1979年。ISBN 978-4-582-49027-5。
  • 原田道雄「蛇塚古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 978-4-490-10260-4。
  • 「史跡・蛇塚古墳」『京都府埋蔵文化財情報 第94号 (PDF)』京都府埋蔵文化財調査研究センター、2004年、37-38頁。 - リンクは京都府埋蔵文化財調査研究センター。

関連項目[編集]