裏松家

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裏松家
家紋
つるのまる
鶴の丸
本姓 藤原北家烏丸庶流
家祖 裏松資清
種別 公家名家
華族子爵
出身地 山城国
主な根拠地 山城国
東京府
著名な人物 裏松光世(固禅)
凡例 / Category:日本の氏族

裏松家(うらまつけ)は、藤原北家烏丸庶流公家である。家格名家江戸時代前期の権中納言烏丸光賢の次男・参議資清を祖とする。江戸時代石高は130石[1]


家の歴史[編集]

江戸時代[編集]

光世(固禅)有職故実家として知られる。宝暦事件連座永蟄居となったが、この間に『大内裏図考證』を著した。この大内裏の考証は天明8年(1788年)の皇居焼失に際し、老中松平定信の指揮による皇居再建に当たって古式に則った再建に大きな役割を果たした。

明治時代以降[編集]

明治維新の後、良光子爵に叙せられ、陸軍少佐貴族院議員を務めた。友光も貴族院議員を務めた[2]


なお、かつて室町時代前期に烏丸家宗家筋にあたる日野家庶流裏松資康を祖とする裏松家が存在していた[3]。同家からは足利将軍家御台所を4名、足利将軍の生母を1名輩出しているが、後に裏松家の当主であった勝光(資康の玄孫・日野富子の兄)が断絶していた日野家宗家の家督を継承して子孫に伝えたために、裏松家の系統(裏松資康 - 重光 - 義資 - 重政 - 勝光)が日野家の嫡流扱いを受け、今日では「日野家」と称されることが多い[4]

系譜[編集]

実線は実子、点線(縦)は養子。
烏丸光賢
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
資慶
烏丸家
裏松資清1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
資直意光2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
益光3交野惟粛
 
 
 
祐光4
 
 
 
光世5[5]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
謙光6[6]恭光
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
明光7堀河親実
 
 
 
恭光8
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
勲光9勘解由小路資生
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
良光10水無瀬忠輔
 
 
 
友光11

幕末の領地[編集]

国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』より算出した幕末期の裏松家領は以下の通り。(2村・130石)

  • 山城国相楽郡菅井村のうち - 50石
  • 山城国相楽郡千童子村のうち - 80石

脚注[編集]

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  1. ^ 公卿類別譜(公家の歴史)裏松
  2. ^ 裏松家(名家) (日本語)
  3. ^ 烏丸家の初代烏丸豊光は裏松資康の実子であるため、烏丸家そのものが(室町前期の)裏松家の分家筋と言える。
  4. ^ 橋本政宣編『公家事典』吉川弘文館2010年、「日野家」P412
  5. ^ 烏丸光栄の五男
  6. ^ 四辻実長の次男

参考文献[編集]