ボインダライ

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ボインダライ
Puyingdalai.jpg
プロフィール
出生: 1886年
死去: 不詳
出身地: China Qing Dynasty Flag 1889.svg 察哈爾省廂黄旗
職業: 軍人
各種表記
繁体字 補英達賴
簡体字 补英达赖
Bǔyīngdálài
和名表記: ほえいたつらい
発音転記: ブーインダーライ
  

ボインダライ中華民国の政治家。モンゴル族。蒙古自治運動の指導者の1人。

事跡

察哈爾省都統署調査委員、シリンゴル盟(錫林郭勒盟)ソニド右旗(蘇尼特右旗)札察克公署顧問、察哈爾省都統署諮議を歴任する。1922年民国11年)、臨時参政院参政となった。翌年、陸海軍副司令行営少将参事、北京綏靖公署主任少将参議となる。1928年(民国17年)からは国民政府でシリンゴル盟駐張家口弁事処長となった。

1933年(民国22年)、デムチュクドンロブ(徳王)らの蒙古自治運動が起こると、ボインダライもこれに参加した。蒙古地方自治政務委員会が成立すると、高等顧問・保安処処長に任ぜられている。1936年(民国25年)、蒙古軍総司令部秘書長となった。翌年、蒙古軍政府弁公庁主任となる。

そして同年10月に蒙古聯盟自治政府が成立するとともに、ボインダライはバエンタラ(巴彦搭拉)盟盟長に任命された。1939年9月、晋北・察南の両自治政府の合流とともに政府が改組されると、ボインダライは最高法院院長となっている。1944年(民国33年)からは司法長官も兼任した。

蒙古聯盟自治政府崩壊後の1945年(民国34年)9月、ボインダライはモンゴル青年党と連合して、民族独立を主張し始める。そして故郷のソニド右旗で内モンゴル人民共和国臨時政府を組織し、その主任となった。しかし、中国共産党から派遣されてきたウランフとの政争に敗れ、11月に政府は解散に追い込まれている。

その後、ボインダライの行方は不詳である。

参考文献

  • 徐友春主編 『民国人物大辞典 増訂版』 河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03140-1。
  • 劉寿林ほか編 『民国職官年表』 中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
  • 『最新支那要人伝』 朝日新聞社、1941年。 

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