西尾市立西尾小学校

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西尾市立西尾小学校
西尾市立西尾小学校
過去の名称 西尾学校、西尾町立西尾尋常高等小学校、西尾町立西尾国民学校、西尾町立西尾小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 西尾市
設立年月日 1880年4月
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 445-0864
愛知県西尾市錦城町162-1
外部リンク 公式サイト
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西尾市立西尾小学校(にしおしりつ にしおしょうがっこう)は愛知県西尾市錦城町にある公立小学校

歴史[編集]

校内の遊具

沿革[編集]

1854年(嘉永7年)に創立した西尾藩の藩校「修道館」を起源としている[1]。修道館は1871年(明治4年)の廃藩置県とともに廃絶した[2]。1872年(明治5年)に学制が発布されると、西尾郷学校が創設された[2]。1894年(明治27年)7月には3校が統合され、高等科も設置され、西尾尋常高等小学校に改称した[2]

1928年(昭和3年)12月には地方都市としては珍しい鉄筋コンクリート造2階建の校舎(旧本館)が竣工した。

1947年(昭和22年)の児童数は2357人だった[1]。戦後の一時期には児童数2600人を超えるギガマンモス校だったこともあるが[1]、1952年(昭和27年)には西尾市立花ノ木小学校を分離し、1982年(昭和57年)には西尾市立鶴城小学校を分離したことで、適正人数に落ち着いている。

1990年(平成2年)に新本館が竣工すると、旧本館は後に取り壊されたが、旧本館正面玄関上部遺構のモニュメントが残されている。新本館の玄関は旧本館のデザインを踏襲している。

年表[編集]

  • 1854年(嘉永7年) - 西尾藩の藩校「修道館」が創設。
  • 1880年(明治13年)4月 - 西尾学校・錦丘学校・鶴翼学校が統合されて西尾学校が開校。
  • 1894年(明治27年)7月 - 西尾町立西尾尋常高等小学校に改称。
  • 1928年(昭和3年)12月 - 鉄筋コンクリート造2階建ての旧本館が竣工。
  • 1941年(昭和16年) - 西尾町立西尾国民学校に改称。
  • 1947年(昭和22年) - 西尾町立西尾小学校に改称。
  • 1952年(昭和27年)4月 - 西尾小学校から西尾町立花ノ木小学校が分離独立。[2]
  • 1953年(昭和28年)12月 - 西尾市の発足によって西尾市立西尾小学校に改称。
  • 1961年(昭和36年)7月 - 初代のプールが竣工。
  • 1972年(昭和47年)3月 - 新校舎が竣工。
  • 1977年(昭和52年)3月 - 鉄筋コンクリート造4階建ての校舎が竣工。
  • 1982年(昭和57年)4月 - 西尾小学校から西尾市立鶴城小学校が分離独立。[2]
  • 1982年(昭和57年)6月 - 現在のプールが竣工。
  • 1990年(平成2年)から1991年(平成3年) - 本館および体育館が竣工

児童数の変遷[編集]

『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[1]

1947年(昭和22年) 2357人
1957年(昭和32年) 2116人
1967年(昭和42年) 1406人
1977年(昭和52年) 1593人
1987年(昭和62年) 857人
1997年(平成9年) 775人
2007年(平成19年) 723人
2017年(平成29年) 724人

地理[編集]

西尾市街地の中心部に位置し、校舎がある位置はかつての西尾城東の丸にあたる[1]。敷地内には堀跡や太鼓門跡や古井戸跡などの施設が散在している[2]。敷地には大木も植わっており、堀の遺構をビオトープとして活用するなどしている[1]

周辺[編集]

  • 西尾市歴史公園(西尾城跡)
    • 西尾市資料館
    • 西尾神社
    • 本丸丑寅櫓
    • 鍮石門
    • 旧近衛邸
  • 西尾公園
    • 総合グラウンド
    • テニスコート4面
  • 西尾市立西尾幼稚園
  • 西尾市中央ふれあいセンター
  • 西尾市文化会館
  • 尚古荘

出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』p.612
  2. ^ a b c d e f 『校区の歴史散歩』東洋経済出版社、1982年、p.524

関連項目[編集]