西川好次郎

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西川 好次郎
にしかわ よしじろう
生誕 1903年
出身地 日本の旗 日本 和歌山県日高郡寒川村(現:日高川町
死没 1990年
ジャンル 県民歌市町村歌校歌
職業 作詞家、小学校教員
活動期間 昭和時代

西川 好次郎(にしかわ よしじろう、1903年 - 1990年)は、昭和時代に活動した日本作詞家和歌山県出身。

経歴[編集]

1903年明治36年)、和歌山県日高郡寒川村美山村を経て現在の日高川町)に生まれる。尋常小学校訓導であった1934年(昭和9年)、報知新聞社皇太子明仁上皇)の生誕を記念して歌詞を一般公募した「皇太子殿下御降誕奉祝歌」で応募作が全国から寄せられた約5800編の中から一等入選で採用され[1]東京音楽学校の作曲によりキングレコードから発売される。これ以降、全国の学校から校歌の作詞依頼が相次ぎ、西條八十からは「私がいっさいの面倒をみる」と上京を薦められたがこの誘いを固辞して生まれ故郷の美山で生涯を過ごした[1]

懸賞歌謡で生涯に140編余りの入選・採用を勝ち取り「清純、正統派の作風で、オリジナリティーがあり言葉にリズム感と躍動感がある」と評されている[1]1948年(昭和23年)の「和歌山県民歌」(作曲・山田耕筰)を筆頭に県内外の市町村歌音頭小唄に至るまで数多くの作品を手掛け、1976年(昭和51年)に和歌山県文化功労賞を受賞した[1]

本業の教員としては美山村立(現在は日高川町立)川原河小学校、(同)寒川第一小学校、上初湯川小学校で校長を務め、1957年(昭和32年)に校長を依願退職した後は家業の旅館経営に専念した。1983年(昭和58年)、文化庁から地域文化功労者表彰を受ける[1]

1985年(昭和60年)11月、村民の8割にのぼる747世帯が集めた270万円の浄財を当てて村役場(現在の日高川町役場美山支所)にほど近い自宅横に歌碑が建立された[1]1990年平成2年)没。享年88歳。

作品[編集]

  • 歌集 瞼の青魚(芸術教育社「藝術・方法シリイズ」、1934年NCID BN06057833

作詞[編集]

自治体歌
  • 和歌山県民歌(作曲・山田耕筰)
  • 御坊市歌(作曲・片山頴太郎)
  • 宝塚市歌(作曲・酒井協
  • 諫早市歌(作曲・伊藤英一)
  • 美山の歌(作曲・北原雄一、編曲・福田正)[注 1]
  • ふるさと中津(作曲・北原雄一)[注 1]
校歌
  • 白浜町立白浜中学校校歌(作曲・打垣内正)
  • 和歌山市立新南小学校校歌(作曲・打垣内正)
  • 紀ノ川市立田中小学校校歌(作曲・北原雄一)
  • 御坊市立塩屋小学校校歌
  • 御坊市立野口小学校校歌
  • 御坊市立藤田小学校校歌
  • 田辺市立第二小学校校歌(作曲・竹中重雄)
  • 田辺市立甲斐ノ川小学校校歌(作曲・楠本数雄)
  • 田辺市立中山路小学校校歌(作曲・永井幸次)
  • 田辺市立東小学校校歌(作曲・北原雄一)
  • 新宮市立千穂小学校校歌(作曲・平井康三郎
  • かつらぎ町立渋田小学校校歌(作曲・水田勝美)
  • 紀美野町立小川小学校校歌(作曲・竹中重雄)
  • 紀美野町立志賀野小学校校歌(作曲・竹中重雄)
  • みなべ町立南部小学校校歌(作曲・竹中重雄)
  • みなべ町立岩代小学校校歌(作曲・楠本数雄)
  • みなべ町立上南部小学校校歌(作曲・竹中重雄)
  • 印南町立山口小学校校歌(作曲・芝憲三)
  • 印南町立真妻小学校校歌(作曲・廣田達男)
  • 印南町立上洞小学校校歌(作曲・北原雄一)
  • 日高川町立江川小学校校歌(作曲・田端実)
  • 日高川町立川中第一小学校校歌(作曲・永井幸次)
  • 日高川町立大星小学校校歌(作曲・永井幸次)
  • 美浜町立和田小学校校歌(作曲・祐田信雄)
  • 串本町立和深小学校校歌(作曲・樋口昌道)
  • 旧南部川村立城西小学校校歌(作曲・楠本数雄)
  • 日高川町立川原河小学校校歌(作曲・山田耕筰)
その他

参考文献[編集]

pp 1170-1171 「西川好次郎歌碑」。

出典、脚注[編集]

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出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 朝日新聞大阪本社)和歌山県版、2005年1月14日付「西川好次郎歌碑」

注釈[編集]

  1. ^ a b 日高川町への新設合併に伴い廃止。
  2. ^ 中津分校が1997年第69回選抜高等学校野球大会へ出場した際は3番が歌唱された。