許文龍

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許 文竜
プロフィール
出生: (1928-02-25) 1928年2月25日(90歳)
出身地: 日本の旗台湾台南州台南市
職業: 実業家
各種表記
繁体字 許文龍
簡体字 许文龙
拼音 Xŭ Wénlóng
和名表記: きょ ぶんりゅう
発音転記: シュー・ウェンロン
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許 文龍(シュー・ウェンロン、きょ ぶんりゅう、台湾語発音:Kho bûn-liông、1928年2月25日 - )は、台湾の実業家、。奇美実業の創設者。ヴァイオリンの愛好家でもある。

人物[編集]

日本統治時代台南州台南市に生まれる。台南高級工業学校機械科卒業。1959年に奇美実業を設立して以降は、自社を世界のABS樹脂生産世界一にまで成長させ[1]、、フォーブス誌世界長者番付にランクインした事もある。また、週休2日制を国内の他企業に先駆けて[要出典]実施する[1]、自身は週2日しか出社しない[1]社員へのボーナスに自社の株を付け加える[要出典]セールスマンの全廃[1]、現金決済の重視[1]などを実施した。2004年6月に会長職を辞任。

李登輝と親しく[1]外交面では、1996年から約4年間総統府の国策顧問を務めた他、2000年から2006年まで総統府資政を務め、陳水扁総統の相談役として台湾独立運動を支持している事で知られている。しかし、2005年には「台湾と中国は一つの中国に属している。台湾の独立は支持しない。反分裂国家法を支持する」などといった、事実上「一つの中国」を主張する中華人民共和国政府の政治原則に同調する書簡を発表したこともあった[2]櫻井よしこは、中華人民共和国政府が、中国大陸に進出した奇美実業に圧力をかけたためとしている[2]。櫻井は、「中国経済に寄与したことなど一顧だにせず、感謝もせず、中国経済に貢献した人物をもたたきつぶすこの徹底した冷酷非情と現世利益追求が中国のやり方」と評している[2]

日本に対しては、「台湾の基礎の殆どは日本統治時代に完成したもの」「日本人が来てまず治安が一挙に良くなり、衛生状態も良くなった」「守る法ができ、税金も清朝統治時代に比べてかなり良くなった」と日本による統治を肯定的に評価しており、また満州国統治も同様の評価がある。慰安婦の強制連行を否定する旨の発言もしている。そのためか中国など反日勢力からは「日本の植民地統治を美化している」として批判を浴びせられる事も多い[要出典]

蔡焜燦とともに小林よしのり台湾論に登場している。

また、世界的に価値ある美術品を収蔵する奇美博物館のオーナーも務める。この美術館を建設した動機について許は、「日本時代、台南に日本がつくった博物館があり、無料で見せてくれたので、いつも通っていました。」「そこへ通った思い出が忘れられないから」[3]としている。

2005年には市内水上区にある旧台南水道整備に尽力した台湾総督府の技師浜野弥四郎の胸像が戦時中に撤去されたことを嘆き、再製作。当地に寄贈している[4]

2017年4月に中華統一促進党の党員によって烏山頭ダムにある八田與一の銅像から首が切断されたが、許がレプリカを製作・所持しており、すぐさまそれを提供しての修復が行われ、5月8日に完了、八田の命日である慰霊祭開催に間に合わせた[5]

家族[編集]

兄弟に奇美電子(現在は鴻海グループ)の元董事長廖錦祥。その娘(文龍からみて姪)である廖婉如は民主進歩党立法委員台中市長を歴任する林佳龍の妻[6]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 日本経済新聞 アジアの未来 許文龍(シー・ウンロン)氏
  2. ^ a b c 櫻井よしこ. “投資も友好もすべて“人質” 冷酷非情と現世利益追求 これが中国のやり方だ”. 週刊ダイヤモンド2005年5月28日号. 2013年5月4日閲覧。
  3. ^ 彌吉博幸「台湾独立への胎動4」『祖国と青年』平成13年1月号
  4. ^ 台湾を変えた日本人シリーズ:台湾の上下水道を整備した日本人・浜野弥四郎 2018-05-03 古川勝三/nippon.com
  5. ^ 壊された八田与一像、台南・奇美博物館が週内に修復へ/台湾2017年4月17日,フォーカス台湾
  6. ^ (繁体字中国語)林佳龍談新書 分享許文龍「空白論」2017年4月30日,聯合報

関連項目[編集]