許率母

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

許 率母(こ そちも[1] / きょ そつも[2]生没年不詳)は、百済官吏。官位は達卒。故国の滅亡に伴い倭国日本)へ亡命した。

記録[編集]

懐風藻』によれば、大友皇子の学士の一人で、沙宅紹明答㶱春初吉大尚木素貴子らとともに賓客とされた[2]

五経』に詳しく、671年天智天皇10年1月)、吉大尚・角福牟とともに小山上の冠位を授けられた[3]

676年天武天皇6年5月)、この時既に大博士(養老律令大学博士にあたる)であったが、大山下の位を授与され、改めて食封30戸を賜与されている[4]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 『日本書紀』のふりがな
  2. ^ a b 『懐風藻』淡海朝大友皇子二首 序文より
  3. ^ 『日本書紀』巻第二十七、天智天皇10年正月是月条
  4. ^ 『日本書紀』巻第二十九、天武天皇下 6年5月3日条

参考文献[編集]

関連項目[編集]