談洲楼燕枝 (初代)

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初代 談洲楼(だんしゅうろう) 燕枝(えんし)
本名 長島 傳次郎
別名 あら垣痴文
自慢額成
生年月日 1837年11月13日
没年月日 (1900-02-11) 1900年2月11日(62歳没)
出身地 日本の旗 日本
師匠 初代春風亭柳枝
名跡 1. 春風亭傳枝(1856年 - ?)
2. 初代柳亭傳枝(? - 1861年)
3. 初代柳亭燕枝(1861年 - 1885年)
4. 初代談洲楼燕枝(1885年 - 1890年)
活動期間 1856年 - 1890年
所属 柳派
睦会
演芸矯風会

初代 談洲楼 燕枝(だんしゅうろう えんし、天保8年10月16日1837年11月13日) - 明治33年(1900年2月11日)は江戸出身の落語家。本名は長島 傳次郎。江戸小石川春日町の酒屋に生まれる。通称「二葉町の師匠」。妻の弟は春風亭錦枝(俗称「助太郎」)。

来歴[編集]

  • 万屋勘兵衛(親類で水戸家出入りの料理屋)の養子となるが、安政3年(1856年)に初代春風亭柳枝に入門、春風亭傳枝から初代柳亭傳枝を名乗る。一時、万屋に戻る。
  • 文久元年(1861年)、真打に昇進で初代柳亭燕枝と改名し小日向服部坂の席で披露。三遊派の初代三遊亭圓朝とは当時はライバル同士で燕枝は柳派の頭取、年齢が一つ違いで没も半年違い。
  • 明治元年(1868年)、「落語睦会」の頭取、議長、社長を勤めた。
  • 明治12年(1879年)、仮名垣魯文から「あら垣痴文」の名を貰う、のちに「自慢額成」も名乗った。
  • 明治14年(1881年)12月、落語史上初の「シカ芝居」を上演する。
  • 明治18年(1885年3月7日、初代談洲楼燕枝を名のり両国の中村楼で披露を行う。
  • 明治21年(1888年)、三遊亭圓朝等と共に「演芸矯風会」の評議員に就任。
  • 明治23年(1890年)、柳派の頭取を3代目春風亭柳枝に譲り引退。動脈瘤破裂で死去。

人物[編集]

  • 9代目市川團十郎とも親交があり、團十郎主催の「三升会」の会員でもあったため談洲楼としている。
  • 筆者でもあり仮名垣魯文の門で「あら垣痴文」や「自慢額成」も名乗り噺本も残し雑誌、新聞にも連載もしていた。
  • 噺以外の著書で『燕之巣立実痴必読』(通称『燕枝日記』)を残し幕末から明治から落語会の貴重な史料となっている。
  • 近代デジタルライブラリーでは「島鵆沖白浪」などの速記本を見ることが出来る。

演目[編集]

柳枝譲り
自作
  • 「島鵆沖白浪」(嶋千鳥沖津白浪)
    一節を「大阪屋花鳥」として10代目金原亭馬生が演じている。
    2010年には柳家三三が「三三 談洲楼 三夜」と題し、通しで演じている。
  • 「天保奇談孝行車」
  • 「西海屋騒動」
  • 「御所車花五郎」
翻案物
  • 「侠客小金井桜」
  • 「岡山奇聞筆之命毛」
  • 「善悪草園生咲分」
外国種
  • 「あわれ浮世」(福地桜痴作、『レ・ミゼラブル』の脚色物)
  • 「仏国三人男」(森田思軒に教えを乞うたフランス種の噺)

他に三題噺を得意とした。

弟子[編集]

脚注[編集]

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参考文献[編集]

『落語怪談咄集』新日本古典文学大系 明治編6(「雁風呂」を収録)

関連項目[編集]