諸星清佳

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諸星 清佳
(もろほし さやか)
生誕 (1965-02-24) 1965年2月24日(54歳)
日本の旗 日本北海道釧路市
国籍 日本の旗 日本
教育 東京外国語大学中国語学科
東京外国語大学大学院博士前期課程
武漢大学留学
北京大学留学
職業北海道新聞記者
ジャーナリスト
活動期間 1990年 - 現在

諸星 清佳(もろほし さやか、1965年2月24日 - )は、日本のジャーナリスト北海道釧路市生まれの札幌市育ち[1]。旧姓・吉井。男性。

来歴 [編集]

留学と中国ルポ[編集]

北海道札幌西高等学校東京外国語大学中国語学科卒業。中国現代文学を専攻。大学在学中からルポを書き始め、学内誌に山谷の潜入ルポ[2]などを載せる。ルポの書き方や取材の仕方は、本多勝一竹中労の著作から学んだ。

北海道新聞記者を経て、東京外国語大学大学院地域文化研究科博士前期課程修了。歴史文化論を修める。1987年9月-1989年2月、武漢大学、1991年9月-1992年7月、北京大学に留学[3]

週刊金曜日』に同誌としては最初の長編ルポ「赤い夢から覚めて――改革開放下の中国を行く」を連載するが、編集部の中共礼賛派に様々な妨害を受けた。特にチベット報道では、中国のチベット政策に批判的だと自称する編集委員の本多勝一からも掲載を妨害された。同ルポは後に『ルポ中国』にまとめられる[4][5]

中国国民党党史委員会を1996年10月に訪れ、双十協定(1945年10月)と中国人民政治協商会議(1946年1月)の周辺資料を集めて『中国革命の夢が潰えたとき』を2000年1月に出版する。日本敗戦から中華人民共和国建国までの期間、中国民主化の可能性がいかにして生まれ、そしてそれがどのように潰えていったのかを、ドキュメンタリー形式で検証した。

1998年-2000年、国立高岡短期大学(現・富山大学)ビジネス外語専攻専任講師。中国事情、中国近現代史、時事中国語担当[6]

本多勝一批判[編集]

新潮45』2004年5月号に本多勝一批判を執筆した。本多はベトナム報道で共産勢力の側に立ち、中国の文化大革命を礼賛し、北朝鮮べったりのジャーナリスト・松本昌次を支持したが、諸星は本多を「『殺す側』にいるにもかかわらず『殺される側』に立っていると錯覚している、二流半の変なジャーナリスト」[7]と評した。

2009年11月発行の『別冊正論』では再度、本多批判を行い、主に本多の文化大革命礼賛に絞って批判を展開した。本多が過去の評論や雑文を著作集に収録する際、礼賛部分を無難な表現に書き換えた上で、出典のみ初出のままにしていることを例示し、文革礼賛の過去を隠蔽しようとしていると批判した(諸星は出典を「××号をもとに改稿」とするのならまだ分かる、としている)。こうした本多のやり方を諸星は「文筆詐欺」と断じ、本多の言論人としての責任を追及した。諸星によれば、本多の改竄行為は文化大革命以外にも広範囲に及び、たとえばポル・ポト派による自国民大虐殺を本多は当初、西側のデマと主張していた。

例によってアメリカが宣伝した『共産主義者による大虐殺』などは全くのウソだったが、しかし末端にはやはり誤りもあったようだ。                                        『貧困なる精神4集』第1刷(すずさわ書店、1976年3月)、p63

                   ↓

アメリカが宣伝した『共産主義者による大虐殺』によって全市民がただちに虐殺されたとも思わぬが、すべては事実そのものが全くわからず、噂や一方的宣伝ばかりでは軽々に論じられない。                      『貧困なる精神4集』第9刷(すずさわ書店、1990年3月)、p63

ここまで書き換えても、出典は初出の「『』1975年10月号 」になったままである[8]

劉賓雁の翻訳[編集]

中国のルポルタージュ作家・劉賓雁の翻訳を、最初の留学時から少しづつ始めていた。武漢大学の留学目的は、学部の卒論用に劉氏の資料を集めることだった(この卒論は後に『沈黙の国の記者』として出版)。しかし当の劉は1988年3月、ニーマン奨学金により、アメリカに出国した。本人に直接聞く以外、どうしてもわからない箇所を残した2003年5月、アメリカ亡命後の劉の住所に直接電話を掛けた。電話番号の候補をいくつかリストアップして、当てずっぽうで掛けたら、2軒目でつながった。劉と幾度か手紙でやり取りをし、翻訳上の疑問も解消して、翻訳は『劉賓雁ルポ作品集』として出版された。劉の死去の5か月前だった[9]

チベット潜入と中国崩壊論の否定[編集]

正論』2009年5月号にチベット潜入ルポを執筆。

中国の改革開放政策を基本的に評価しており、毛沢東思想ファシズムとして退け、文革支持者をファシストと断ずる[10][11]

2007年前後から流布してきた中国経済崩壊論(中国崩壊論)には、一貫して否定的だった[12][13][14]

ルポ[編集]

  • 「特別ルポ・山谷」『東京外国語大学新聞』No.175・176合併号(1984年11月22日)
  • 「赤い夢から覚めて――改革開放下の中国を行く」『週刊金曜日』第12-21号(1994年2月4日-4月8日)
  • 「赤い夢から覚めて――新疆ウイグル編」『季刊中国』№39(1994年冬季号)
  • 「今も中国の厳戒下にあえぐチベットの声を聞け」『正論』2009年5月号

寄稿 [編集]

  • 「ヘンなジャーナリスト 本多勝一が消した『過去』」『新潮45』2004年5月号
  • 「三度目には――追悼劉賓雁」『東方』301(2006年3月)
  • 「ああ勘違い、福島瑞穂大臣の見果てぬ夢」『正論』2009年11月号
  • 「ジャーナリズムの反面教師 本多勝一の“消せない過去”」『別冊正論』Extra.12(2009年11月)
  • 「本当の『ペテン師』は菅ではなく朝日新聞だ」『正論』2011年8月
  • コラム40×40 産経新聞2010年4月-11月
4月15日「昔の中共は国家政権転覆扇動罪」、5月20日「中国は多民族国家?」、6月17日「反米『平和』市民団体の方へ」、7月15日「『偏向教育』なんぞ影響なし」、8月12日「ああ美しきアジア?」、9月9日「『ハーツ・アンド・マインズ』にご用心」、10月7日「千載一遇のチャンス逃した日本」、11月4日「西蔵ツワンさんのこと」

著書[編集]

  • 『沈黙の国の記者――劉賓雁と中国共産党』(すずさわ書店、1992年12月)
  • 『ルポ中国――「解放の夢」と「開放の現実」』(晩聲社、1996年7月):『日刊ゲンダイ』1996年7月27日に書評あり
  • 『中国革命の夢が潰えたとき――毛沢東に裏切られた人々』(中公新書、2000年1月):『北海道新聞』2000年3月19日に明治大学教授・福本勝清の書評あり
  • 『チベットの現在――遥かなるラサ』(日中出版、2014年1月):『チベット文化研究会報』2014年4月号に評論家・三浦小太郎の書評あり

翻訳[編集]

  • 『劉賓雁ルポ作品集――橋梁工事現場にて/他』(白帝社、2004年7月)

脚注[編集]

  1. ^ 『劉賓雁ルポ作品集』奥付
  2. ^ 「特別ルポ・山谷」『東京外国語大学新聞』№175・176合併号(1984年11月22日)、p14-39
  3. ^ 『中国革命の夢が潰えたとき』奥付
  4. ^ 「今も中国の厳戒下にあえぐチベットの声を聞け」『正論』2009年5月号、p112-113
  5. ^ 「赤い夢から覚めて――新疆ウイグル編」『季刊中国』№39(1994年冬季号)、p59
  6. ^ 『中国革命の夢が潰えたとき』奥付
  7. ^ 「ヘンなジャーナリスト 本多勝一が消した『過去』」『新潮45』2004年5月号、p153
  8. ^ 「ジャーナリズムの反面教師 本多勝一の"消せない過去"」『別冊正論』Extra12(2009年11月)、p131-132
  9. ^ 「三度目には――追悼劉賓雁」『東方』301(2006年3月)、p12-15
  10. ^ 『劉賓雁ルポ作品集』、p284-285
  11. ^ 『チベットの現在』、p191-192
  12. ^ 「今も中国の厳戒下にあえぐチベットの声を聞け」『正論』2009年5月号、p114
  13. ^ 書評「中国共産党」『北海道新聞』2011年7月24日
  14. ^ 『チベットの現在』、p21-23、p34-37

関連項目[編集]