谷時中

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

谷 時中(たに じちゅう、慶長3年(1598年) - 慶安2年12月29日1650年1月31日))は、江戸時代前期の儒学者。生年については1599年(慶長4年)の説もある。名は素有。通称は大學・三郎右衛門、別号は鈍斎[1]。子に儒学者谷一斎がいる。土佐国,甲浦の出身。高知では同じ谷姓の谷秦山谷干城の祖先)と異なり、知られておらず、そのため顕彰されることは殆どない[要出典]

経歴[編集]

清川神社

若いころに高知真常寺(浄土真宗)に入り慈沖と号したが、仏道のほかに中国の古典も読んだ。南学朱子学の祖とされ、土佐吉良宣経に仕えた南村梅軒に朱子学を学んで還俗し、時中と号した。高知で儒学を講じたが、藩などには仕えず、生涯在野ですごした。門下に野中兼山山崎闇斎、小倉三省などがいる[2]。墓所は高知市横浜東町11にある「清川神社」であり、高知県指定の史跡となっている。

逸話[編集]

2代土佐藩主山内忠義が 瀬戸巡行の折、日が暮れたので、真常寺境内を通過しようとしたところ、「ここは寺域である。官道を通られたい」と諌めた、という。

高知市横浜で、新田開発し、その新田を子の一斎のために、播磨屋に売却したという。

脚注[編集]

  1. ^ 長澤規矩也・監修『漢文学者総覧』汲古書院、1979年、P.187。
  2. ^ 松崎慊堂『慊堂日暦3』平凡社、1973年、P.145。

関連項目[編集]