豊島岡女子学園中学校・高等学校

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豊島岡女子学園中学校・高等学校
High schools in Toshima 2019c.jpg
正門(2019年3月12日撮影)
過去の名称 東京女子裁縫専門学校
東京家政女学校
牛込高等女学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人豊島岡女子学園
校訓 道義実践
勤勉努力
一能専念
設立年月日 1892年5月1日
創立者 河村ツネ
共学・別学 女子校
中高一貫教育 併設型(外部混合有)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 13693A
所在地 170-0013
東京都豊島区東池袋一丁目25番22号

北緯35度43分43.0秒 東経139度42分59.3秒 / 北緯35.728611度 東経139.716472度 / 35.728611; 139.716472座標: 北緯35度43分43.0秒 東経139度42分59.3秒 / 北緯35.728611度 東経139.716472度 / 35.728611; 139.716472
外部リンク 豊島岡女子学園中学校・高等学校
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豊島岡女子学園中学校・高等学校(としまがおかじょしがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都豊島区東池袋一丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立女子中学校高等学校

高等学校において、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から進学した外部進学生徒との間で、3年生でクラスが混合する併設型中高一貫校である[1]

2021年度まで女子進学校で高校募集もする学校だったが、2022年度から高校募集を停止し完全中高一貫校となる予定である。

概要[編集]

1892年5月1日、河村ツネと2人の娘が東京府東京市牛込区(現:東京都新宿区下宮比町に東京女子裁縫専門学校[2]を設立。1898年に校舎を牛込区新小川町に移転、1904年に東京家政女学校と改称。1924年に牛込区弁天町において牛込高等女学校を開校する。しかし東京大空襲で牛込の校舎が全焼し、1947年に現在地へ移転。豊島岡女子学園と校名変更して、今日に至る。

女子校で東大合格者数を近年20名前後出すなど、「女子御三家」(桜蔭女子学院雙葉)に引けを取らない合格実績を出し、「女子新御三家」の一つに数えられている。2021年度(予定)まで高校からも生徒募集をする数少ない難関女子校であるが、2022年度より高校募集を停止し、完全中高一貫校となる予定である。

年間授業料はおよそ40万円と、都内の私立中学・高校の中で比較的安い方である。寄付金制度が無い。

試験のとき以外は毎朝5分間の「運針」がある(#毎朝の運針参照)。

日本経済新聞STOCKリーグ部門賞(2005年)受賞[3][4]やコーラス部の全日本合唱コンクールNHK全国学校音楽コンクールにおける全国大会出場など、生徒の自主性も高い。

教育[編集]

教育方針[編集]

第四代校長・二木謙三が教育方針として、三項目を示した[5]

道義実践
いつの時代、どこの国民も、皆、道義正しい人間でなければならないことは言うまでもないことであります。生徒に道徳を実行することの大切さ尊さを諭し、更にこれを実行する習慣と喜びを体得させたいものです。
勤勉努力
物事をなすに当たって勤勉努力することほど尊いものはありません。これこそ事の成敗の鍵と言えましょう。日常の学習やクラブ活動を通じて、真面目に努力を積み重ねていくことを目標とします。
一能専念
人間には、必ずその人特有の才能があるものと信じております。今それを「一能」といってみましょう。まだはっきり表われていないかも知れない生徒たちのすぐれた才能を発見し、育成し、磨かせることこそ、人を生かす所以であると信じております。

毎朝の運針[編集]

長さ1メートル程度の細長い白さらし木綿布を二つ折りにし玉止めしない赤い糸でひたすら運針し、最後まで行ったら引き抜くというもの。 その理念は

  1. 無心になる
    一つのことに無心になって集中する。
  2. 基礎の大切さを知る
    物事にはすべ基礎が大切。一枚の布、一本の針を通して、「基礎の大切さ」を悟らせる。
  3. 努力の積み重ねの大切さを知る
    物事は地味な努力を積み重ねてこそ、他の追随を許さないものに大きく伸びてゆく。毎朝5分間の運針、3年乃至6年の間、入学当初の自分と現在の自分を比較し、それがいかに大切なものであるかを体得させる。
  4. 特技を持つ
    個人はみなめいめい特技を持っている。これを持たなければならないし、伸ばさなければならない。運針も豊島岡女子学園にとって他校にない特技でもある。

実際に、大学受験の試験場で自らを落ち着かせるため「運針」をした卒業生がいるとの逸話もある。

象徴[編集]

校章[編集]

大正時代の初めに作られたもようで、創立に関わる人々の紋章であるをあしらっている。柏は邪気を払う神木、梅は好文木と称され、鳩は八幡神のお使い、今は平和のシンボルとして親しまれている。

制服[編集]

夏冬ともに基本デザインが同じ伝統的なデザインのセーラー服(中高共通)。夏は上着の色が白、冬は紺。セーラーカラーと袖口には白い3本線が入っており、スカートは紺色の前ひだである。胸元のリボン(本校では、ネクタイと称されている)の形が特徴的である(大妻高校のセーラー服と類似)。これは校章ともなっている「ハト」をかたどったもので、新入生にネクタイの結び方を上級生が教えるのも伝統になっている[6]

カリキュラム[編集]

一学年、中学校は6クラス、高校は8クラスで、高校1・2年は中学からの入学生と高校からの入学生と別クラス編成である。

5教科(国語・社会・数学・理科・英語)に増加時間を確保し、特に英語・数学の授業時間数を多くしている。先取りした学習を行い、中学3年生の2学期に高校分野に進む。小テストを小刻みに実施し、練習問題の量を多くし熟し、習熟度を確認しながら基礎力を定着させている。基礎学力の充実だけでなく、思考力、表現力を養う。

礼法・マナーは、社会に出て必須であり、場にふさわしいマナーを身につけた品位ある女性に成長して欲しいとの願いから、小笠原流の礼法・マナーに関する講義と、和室と洋室での立ち振舞いの指導を行っている。

高校2年で志望により文系・理系に分かれる。高校2年時の編成は、中学入学生文系2クラス、理系4クラス、高校入学である。高校3年で、文系Ⅰ(3教科型)1クラス、文系Ⅱ(5教科型)2クラス、理系(医歯薬理工)5クラスの志望校別コースに分かれる[5]

学校行事[編集]

主な年間行事[編集]

  • 4月 - 入学式、1学期始業式・オリエンテーション、クラブ紹介、入間体育、総合学習(中学)、遠足(高1)
  • 5月 - 創立記念日、授業参観日(中学、高1)、中間考査
  • 6月 - 進学懇談会、修学旅行(高2、九州・中国地方)、高校立会演説会、個人面談
  • 7月 - 期末考査、総合の時間、豊島岡1日体験、1学期終業式、林間学校(高1、中1、小諸林間学校)、海外研修(中1、高1・2、希望者)、夏期講習(中3、高1・2・3、希望者)
  • 8月 - 林間学校(中1、小諸林間学校)、夏期講習(中3、高1・2・3、希望者)、異文化体験研修(中2、希望者)、エンパワーメントプログラム(高1・2、希望者)
  • 9月 - 2学期始業式、避難訓練、全校運針記録会、豊島岡生による学校紹介、入間体育、修学旅行(中3、京都奈良)、宿泊研修(中2、東北)
  • 10月 - 運動会(入間総合グラウンド)、中間考査
  • 11月 - 桃李祭(文化祭)、中学立会演説会、個人面談
  • 12月 - 期末考査、2学期終業式
  • 1月 - 3学期始業式、英語弁論大会(中学)、SSH生徒研究発表会(高1)
  • 2月 - 英語ディベート大会(高1)、合唱コンクール(中学、東京芸術劇場)
  • 3月 - 学年末考査、総合的な学習(中1・2、校外学習)、Academic Day、SSH生徒研究発表会、3学期終業式、卒業式、ボストン短期研修(高1・2、希望者)

文化祭[編集]

『桃李祭』といい、毎年文化の日前後に行われる。これは「桃李(とうり)言(い)わざれども下(した)自(おの)ずから蹊(みち)を成(な)す」『史記・李将軍・賛』(スモモは何も言わないが、実が美味しいので人が集まってきてその下に自然と道が出来るの意)の故事成語による。来場者は毎年1万数千人を誇る。

部活動[編集]

部活は全員参加し、毎日1時間の活動に集中し充実させ、創意と工夫により過ごす。

文化系部[編集]

文芸部、政経部、地歴部、数学部、生物部、科学部、天文部、英語劇部、高校英会話部、美術部、漫画イラスト部、書道部、コーラス部、ギター部、マンドリン部、吹奏楽部、ピアノ部、軽音楽部、弦楽合奏部、洋裁部、手芸部、割烹部、演劇部、新聞部、珠算部、放送部、映画部、写真部、囲碁部、将棋部、コンピュータ部、英文タイプ部、花道部、茶道部、琴部、礼法部、百人一首部。

書道部
日本書道美術院 - 教育部展で入賞。
コーラス部
中学校、高等学校ともに2010年以後は全日本合唱コンクールNHK全国学校音楽コンクールの全国大会へ多く出場しており、そのほとんどで金、銀、銅賞を受賞している。
  • 全日本合唱コンクール全国大会
    • 中学校部門
      • 1996年度同声合唱の部 銅賞[7]
      • 2003年度同声合唱の部 銅賞[8]
      • 2006年度同声合唱の部 銀賞[9]
      • 2010年度同声合唱の部 金賞[10]
      • 2011年度同声合唱の部 金賞・文部科学大臣賞[11]
      • 2015年度同声合唱の部 銀賞[12]
      • 2016年度同声合唱の部 金賞[13]
      • 2018年度同声合唱の部 金賞・長野市長賞[14]
    • 高等学校部門
      • 2010年度Aグループ 金賞・文部科学大臣賞[10]
      • 2015年度Bグループ 銀賞[12]
      • 2016年度Bグループ 銀賞[13]
      • 2018年度Bグループ 金賞[14]
  • NHK全国学校音楽コンクール全国コンクール
    • 中学校の部
      • 2011年度 銀賞[15]
      • 2012年度 優良賞
      • 2013年度 金賞・内閣総理大臣杯[15]
      • 2014年度 銅賞[15]
      • 2016年度 金賞・内閣総理大臣杯[15]
      • 2017年度 銀賞[15]
      • 2018年度 金賞・内閣総理大臣杯[15]
      • 2019年度 銅賞[15]
    • 高等学校の部
      • 2010年度 銅賞[16]
      • 2011年度 優良賞
      • 2012年度 銅賞[16]
      • 2013年度 銅賞[16]
      • 2014年度 優良賞
      • 2015年度 銅賞[16]
      • 2016年度 優良賞
      • 2017年度 銅賞[16]
      • 2018年度 銀賞[16]
      • 2019年度 金賞・内閣総理大臣杯[17]
吹奏楽部
東京都高等学校吹奏楽コンクールで金賞を受賞している。
囲碁部
2006年度[18]、2014年度[19]全国高校囲碁選手権大会団体女子の部で優勝、2012年度全国高等学校囲碁選抜大会女子の部で団体優勝している[20]
その他の文科系受賞歴

運動系部[編集]

バレーボール部、バスケットボール部、テニス部、卓球部、ダンス部、体操部、エアロビクス部、登山部、水泳部、剣道部、桃李連、舞踏研究部。
ダンス部
桃李祭(文化祭)での講堂における公演が毎年入場制限になるほどの人気を博す。
剣道部
過去にインターハイ出場の経験がある。
桃李連
全国の女子高の中で唯一の阿波踊り部である。毎年8月には豊島区大塚でのお祭りに参加するほか、ラジオ・新聞への出演もしている。

スーパーサイエンスハイスクール (SSH)[編集]

2018年度から2022年度までの5年間、文部科学省スーパーサイエンスハイスクール (SSH)(開発型)に指定されている。研究開発課題は「科学的思考力で人類が抱える問題解決に貢献できる女性の育成」で、教科の枠を超えた課題を探究するAcademic Dayやモノづくりプロジェクト、グローバルな視点を育む海外研修や模擬国連活動などを行っている。

入学試験[編集]

中学入試においては、2月2日(第1回)、2月3日(第2回)、2月4日(第3回)の3回実施している。 募集人員はそれぞれ160名、40名、40名(計140名)で、国語(100点、50分)・算数(100点、50分)・理科/社会(100点、50分)の4教科である。

2021年度までは高校募集も行っているが、2022年度から高校募集停止予定である。

大学進学実績[編集]

2020年度の大学合格者数は、東京大学が29名、早稲田大学が146名、慶應義塾大学が109名、上智大学が73名などである[23]

2020年度の系統別大学合格状況は、理学・工学 (29.1%)、経済学・経営学・商学 (14.6%)、医学 (13.2%)、法学 (11.5%)、人文科学 (10.4%)、薬学 (8.6%)、語学・国際関係学 (3.8%)、社会学 (3.6%)、農学・獣医学 (3.3%)、歯学 (1.3%)、教育学 (0.6%)[23]

豊島岡女子学園は、女子御三家(桜蔭女子学院雙葉)と同様、新御三家で1校だけ鉄緑会(東大受験の専門塾)の指定校となっている。

学校施設[編集]

  • 本校舎 - エントランス、ホワイエ、講堂、図書館、試食室、食堂、ギャラリー、展示ケース、茶室、音楽室、物理室、実験室、トレーニングルーム、体育館、屋上プール
  • 入間総合グラウンド - 埼玉県入間市豊岡4-7-44、西武池袋線 入間市駅下車 徒歩約12分
  • 小諸林間学校 - 長野県小諸市甲4756、しなの鉄道 小諸駅下車、高峰高原行バス 御衣黄の里停留所下車 徒歩約5分

交通機関[編集]

豊島岡女子学園中学校・高等学校の位置(東京都内)
豊島岡女子学園中学校・高等学校

沿革[編集]

戦前[編集]

  • 1892年(明治25年)5月1日 - 河村ツネと2人の娘が東京府東京市牛込区下宮比町(現在の新宿区下宮比町)に東京女子裁縫専門学校[2]を創設。
  • 1898年(明治31年) - 校舎を牛込区新小川町(現在の新宿区新小川町)に移転。
  • 1904年(明治37年) - 東京家政女学校に校名変更。
  • 大正初期(不詳) - 校章が作られる(柏と梅)[5]
  • 1924年(大正13年)
    • 2月18日 - 文部省より東京市牛込区弁天町(現在の新宿区弁天町)に牛込高等女学校を設置し、4月より開校の許可[24]
    • 4月 - 東京市牛込区弁天町に牛込高等女学校を開校。
  • 1928年(昭和3年)
    • 3月10日 - 文部省より東京市牛込区弁天町に東京家政女学校を設置し、4月より開校の許可[25]
    • 4月 - 東京市牛込区弁天町に東京家政女学校を開校[25]
  • 1929年(昭和4年)10月 - 世界大恐慌始まる。
  • 1932年(昭和7年) - 文部省より東京家政女学校の廃止の認可[26]
  • 1933年(昭和8年)3月 - 東大教授を定年退官した二木謙三が、牛込高等女学校の経営に参加[27]
  • 1936年(昭和11年) - 東京家政女学校を廃止[26]
  • 1940年(昭和15年) - 二木謙三が牛込高等女学校の第四代目校長に、第三代目理事長に就任[27][28]
  • 1944年(昭和19年)3月 - 豊島区日出町三丁目(現在地・東池袋一丁目)[29]に牛込の借用校地と別に学校用地を買収[30][27]
  • 1945年(昭和20年)
    • 4月12-13日 - 城北大空襲により当時の区の人口の7割が被災者した[31]
    • 5月25日 - 東京大空襲により日出町の校舎が全焼[27]

戦後[編集]

  • 1947年(昭和22年)4月 - 日出町に女子中学校を設置[27]
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月 - 日出町に女子高校を設置[27]
    • 10月 - 校名を豊島岡女子学園中学校・高等学校に改称[27]
文化勲章授与式、前列中央が二木謙三[32]
  • 1955年(昭和30年)11月3日 - 二木謙三は文化勲章を授与される[33]
  • 1956年(昭和31年)7月 - 校舎を全面改築[27]
  • 1960年(昭和35年) - 二木賞を設け、中学・高校の各学部に年2回の学業優秀者(2名)を表彰[27]
  • 1962年(昭和37年)12月 - 二木謙三は学園長に就任し、第四代目理事長・望月一二と第五代目校長・二木友吉となる[27]
  • 1966年(昭和41年)11月1日 - 住居表示に伴い日出町三丁目から東池袋一丁目となる[29]
  • 1972年(昭和47年) - 『豊島岡女子学園八十年史』刊行[34]
  • 1982年(昭和57年)5月 - 『創立九十周年記念誌』刊行[35]。『豊島岡女子学園九十年史』刊行[36]
  • 1992年(平成4年)5月 - 『豊島岡女子学園百年史』刊行[37]
  • 2002年(平成14年)4月 - 『豊島岡女子学園創立110周年記念誌』刊行[38]
  • 2012年(平成24年) - 創立120周年。
  • 2018年(平成30年) - 文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール (SSH) の指定を受ける(2022年度まで)[5]

学校関係者[編集]

関連書籍[編集]

脚註[編集]

  1. ^ 豊島岡女子学園高校の学校情報 - 高校受験パスナビ旺文社
  2. ^ a b 新式裁縫教授書. 上 - 国立国会図書館デジタルコレクション 樋口米子著、麹町区飯田町6丁目8番、東京女子裁縫専門学校、明治25年8月23日、2020年3月11日閲覧。
  3. ^ 第6回実施記録と入賞レポート | 日経STOCKリーグ | man@bowまなぼう 日経STOCKリーグ公式サイト
  4. ^ 第6回ストックリーグ入賞レポート 部門賞・中学 (PDF) 日経STOCKリーグ公式サイト
  5. ^ a b c d 『TOSHIMAGAOKA JOSHIGAKUEN JUNIOR HIGH SCHOOL SCHOOLGUIDE 2020』豊島岡女子学園中学校・高等学校、2020年3月10日閲覧
  6. ^ 安田誠『図説 女子高制服百科』幻冬舎コミックス、2010年、72頁。ISBN 978-4344818910。2014年1月25日閲覧。
  7. ^ 第49回全日本合唱コンクール全国大会 全日本合唱連盟
  8. ^ 第56回全日本合唱コンクール全国大会 全日本合唱連盟
  9. ^ 第59回全日本合唱コンクール全国大会 全日本合唱連盟
  10. ^ a b 第63回全日本合唱コンクール全国大会 全日本合唱連盟
  11. ^ 第64回全日本合唱コンクール全国大会 全日本合唱連盟
  12. ^ a b 第68回全日本合唱コンクール全国大会 全日本合唱連盟
  13. ^ a b 第69回全日本合唱コンクール全国大会 全日本合唱連盟
  14. ^ a b 第71回全日本合唱コンクール全国大会 全日本合唱連盟
  15. ^ a b c d e f g NHK全国学校音楽コンクール 歴代受賞校 中学校の部 NHKオンライン
  16. ^ a b c d e f NHK全国学校音楽コンクール 歴代受賞校 高等学校の部 NHKオンライン
  17. ^ 全国学校音楽コンクール 高校の部 豊島岡女子学園高が初の金賞”. NHK (2019年11月28日). 2019年11月28日閲覧。
  18. ^ 第30回高校囲碁選手権結果日本棋院
  19. ^ 全国高校囲碁選手権大会|公益財団法人日本棋院
  20. ^ 過去の結果|第8回全国高等学校囲碁選抜大会|一般財団法人関西棋院
  21. ^ 高円宮杯第57回全日本中学校英語弁論大会 決勝大会 高円宮杯全日本中学校英語弁論大会 公式サイト
  22. ^ ABOUT | キャリア甲子園2017
  23. ^ a b 大学合格実績 | 豊島岡女子学園 中学校・高等学校
  24. ^ 官報 第3443号、文部省告示第47号”. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 231 (1924年2月18日). 2020年3月17日閲覧。 “牛込高等女学校を東京府東京市牛込区に設置し大正13年4月より開校の件認可せり 文部大臣 江木千之”
  25. ^ a b 官報 第382号、文部省告示第262号”. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 213 (1928年4月10日). 2020年3月17日閲覧。 “「職業学校規程に依り実業学校を設置し昭和3年4月より開校の件許可せり 文部大臣 水野錬太郎、名称:財団法人東京家政女学校、位置:東京府東京市牛込区弁天町、設置者:財団法人東京家政女学校、入学資格:本科第1部 尋常小学校卒業程度、本科第2部 高等小学校卒業程度、修行年限:本科第1部 4年、本科第2部 2年」”
  26. ^ a b 官報 第1801号、文部省告示第255号”. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 964 (1932年12月29日). 2020年3月17日閲覧。 “、「東京府東京市牛込弁天町に設置せる財団法人家政女学校を昭和11年3月31日限、廃止の件 昭和7年12月28日認可せり、文部大臣 鳩山一郎”
  27. ^ a b c d e f g h i j 『名誉館長館話実施報告抄』、新野直吉著、「二木謙三」、秋田県立博物館研究報告 第36号、2011年3月、2020年3月17日閲覧。
  28. ^ a b c 学校概要 | 豊島岡女子学園 中学校・高等学校 2020年4月19日閲覧。
  29. ^ a b 江戸時代は旗本三千石中西公の拝領地で「中西の森」と呼ばれ、明治時代に根津嘉一郎が買収し「根津山」と呼ばれた小さな丘だった。
  30. ^ 『顕微鏡と玄米と 二木謙三・伝』43、「実父の死 屋敷も人手に渡る - 樋口家(二木謙三の生家)は二木が買い取る形で管理し、昭和10年代までは、かつての面影をとどめた。だが、それも二木が東京で学校経営に乗り出して資金が必要になったためであろうか、人手に渡ってしまう。今、屋敷跡はほとんどが秋田中央警察署となっている。」秋田魁新報、1987年(昭和62年)2月23日、夕刊7頁、2020年3月17日閲覧。
  31. ^ 「4・13根津山小さな追悼会」開催”. 豊島区 (2018年4月13日). 2020年3月19日閲覧。 “城北大空襲は、昭和20年4月13日、深夜から翌14日未明に東京城北部一帯を襲った空襲。豊島区で死者778人、全焼家屋34,000戸、被災者161,661人(当時の区の人口の7割)もの被害をもたらした。池袋東口グリーン大通り周辺は当時「根津山」と呼ばれ、その一角(現・南池袋公園)には大勢の犠牲者がトラックで運ばれ、仮埋葬されたという。”
  32. ^ 『秋晴れ 文化の日 文化勲章授与式』「天皇陛下から励ましのお言葉」、前列左から平沼享三、二木謙三、大谷竹次郎、後列左から増本量、前田青邨、和辻哲郎、毎日新聞、1995年11月3日。
  33. ^ 『顕微鏡と玄米と 二木謙三・伝』69、秋田魁新報、1987年(昭和62年)4月27日、夕刊7頁、2013年10月30日閲覧
  34. ^ 『豊島岡女子学園八十年史』豊島岡女子学園八十年史編集委員会編、1972年、p.304、2020年3月21日閲覧。
  35. ^ 『創立九十周年記念誌』豊島岡女子学園編、1982年5月、p.350、2020年3月21日閲覧。
  36. ^ 『豊島岡女子学園九十年史』二木友吉著、1982年5月、p.415、2020年3月21日閲覧。
  37. ^ 『豊島岡女子学園百年史』二木友吉著、1992年5月、p.507、2020年3月21日閲覧。
  38. ^ 『豊島岡女子学園創立110周年記念誌 いざや我らも』豊島岡女子学園編、2002年4月、p.142、2020年3月21日閲覧。

関連項目[編集]