賄賂

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賄賂防止キャンペーン(ザンビア

賄賂(わいろ)、または(まいない)とは、主権者の代理として公権力を執行する為政者官吏が、権力執行の裁量に情実をさしはさんでもらうことを期待する他者から、道徳に反する形で受けるサービスのこと。賄賂を受け取ることを「収賄」、贈ることを「贈賄」、両方の行為を合わせて「贈収賄」と呼ぶ。

概要[編集]

賄賂は、権力機構の成立に付随して出現する。歴史上、法で明確化された徴税機構が機能している際には賄賂は違法とされるが、法制上の徴税機構が存在しないか機能不全に陥った際には、貢租と賄賂の区別が不明確になる。官職売買なども、主権者の定める法制によって公認された行為であれば賄賂とはされない。

また、近代以前の日本では、礼銭と賄賂の区別は明確ではなく、裁判などで礼銭名目で官吏に賄賂を贈って有利を得ようとする行為は、当時の常識的範囲内のものであれば賄賂とは考えられず、官吏側から見れば役得として考えられていた。なので、こうした礼銭の遣り取りは当時の社会通念に照らせば、私的な行為に公的権力(お上)の手を煩わせた事に対する「当然払うべき謝礼」と考えられていた。

もっとも、近代以降の国民主権国家おいては、官職売買のような行為が、主権者たる国民や市民から公認される余地は無い。このため、いずれの国家も賄賂を取り締まる法律を有するが、官吏に十分な給料が支払われていない国家では、官吏が賄賂を受け取ることにより生活を支えることが、暗黙の了解となっていることもある。

賄賂を取り締まるには収賄者・贈賄者双方への取締・厳罰が重要である。しかし賄賂の授受は密室で行うことが容易であり、かつ直接的な被害者なき犯罪であって被害者による申告が期待できない。そのため、実際に賄賂の授受が行われたとしても、その事実を立証は困難を伴う場合が多く、公権力への発覚を前提とした厳罰のみによって、賄賂を防止することは、おのずと限界が存在する。 従って、賄賂の防止に当たっては発覚時の厳罰の他に

  • 官吏の労力・責任・地位に見合った十分な報酬を保障し、官吏に収賄の動機を失わせる。
  • 賄賂の隠れ蓑となる官吏の裁量権を制限し、細部に至るまで法令に基づいた機械的な権限行使のみを認める法制度を導入する。
  • 「賄賂は違法行為」「賄賂によって官吏の裁量が揺らぐことはない」といった社会的な認識を浸透させる。

といった、賄賂の動機・機会そのものを奪う施策が肝要となる。

なお、日本国などの賄賂罪は贈賄先が公務員であることが要件である。法人の責任者や従業員が他者から利得を得て株主などの利益や団体の趣旨に反する裁断を下した場合は、背任罪に問われることになるが、日本においては以下の例外がある。

  • 法律上のみなし公務員規定により、公務員と同様に刑法の賄賂罪が適用される場合。(例:国立大学法人の役職員)
  • 個別法が当該法人の役職員に対する贈収賄の処罰を定めている場合(例:日本郵政について、日本郵政株式会社法17条~19条)
  • 会社の取締役監査役など(会社法967条・969条)、一般社団法人や一般財団法人における理事など(一般社団法人及び一般財団法人に関する法律337条)のように、法人に関する法律が贈収賄の処罰を定めている場合。

現代における国際的規制[編集]

また1997年に国際贈賄防止条約が制定され、外国公務員に対する贈賄も法規制の対象になった。贈収賄いずれの当事者も所属しない国家から摘発の対象とされることもある(例:アメリカ合衆国連邦海外腐敗行為防止法イギリス2010年贈収賄法)。

国際標準化機構(ISO)が2016年10月に発効させた「ISO37001」は、贈収賄防止に特化した国際標準規格である。日本では双日コンプライアンスの一環として2019年に取得しており、金銭を贈ることを禁止しただけでなく、贈答や接待、旅費負担についてもルールを設けた[1]

中国[編集]

中華人民共和国では、公務員を始め、商談の場や医療を受ける際などで、賄賂が盛んに行われている[2]。2005年には、発覚したものだけで一ヶ月当たり約29億円(うち23%が国家公務員のもの)という調査もある[2]

公務員の賄賂に対しての処罰は厳しく、2007年にも賄賂を受け取った高官が死刑に処されている。

中央政府は腐敗防止局を2008年に新設したが、手口の巧妙化や予算の制約による限界が指摘されている[2]

2012年に就任した習近平中国共産党総書記は、「汚職は国を滅ぼす」と述べ腐敗撲滅を目指している。

医療では、賄賂は長い間「暗黙の了解」とされてきた[3]という。これについては、調査対象の約7割が医者へ賄賂を渡したという報告がある[3]

  • 渡す側の理由としては、「“袖の下”を渡すと医者の態度が全然違う」が一番多い[3]
  • 受け取る側の理由としては、外国と比べ医者の収入が低いなどが言われている[3]

隠語[編集]

菓子箱の底に小判を隠すのは、時代劇等でもよく使われ、その小判のことを「山吹色のお菓子」「黄金色のお菓子」という隠語で表現される[4]

また袖の下(そでのした)という隠語もある[5]

備考[編集]

  • 歴史的には『日本書紀』に賄賂に関する記事が7例見られ、表記としては、「貨賂」「賂」と記して、「まいない」と読ませている(武光誠 『古事記・日本書紀を知る事典』 東京堂出版 p.294)。その最初の記事は、継体天皇6年(512年)12月条であり(前同 p.294)、百済の使者が任那の4県を得るために倭人に送ったとされる。
  • TV時代劇において、代官が賄賂を受け取るイメージが作られているが、実際には代官の下僚である手代の方が賄賂を受け取ることがあり、その原因として、薄給であり、保証の無い不安定な身分であるため、自分が働ける内に家族の為に不正金銀を貯えようとしたためと『よしの冊子』に実情が記されている(西沢敦男 『代官の日常生活 江戸の中間管理職』 角川ソフィア文庫 2015年 p.245)。手代が賄賂を受け取らないよう、特別手当として、1人5両ほど与えるも、1度の賄賂で2、30両ほどもらえるため、やはり賄賂は横行したとされる(前同 p.246)。農民の方も願い事のために金銀を差し出すことが習慣化されており、手代が求めずとも出された(前同 p.247)。ただし立件され、摘発されることは稀とされる(前同 p.251)。結果として、寛政2年(1790年)に代官の下僚として、御家人格の手付が創設されることとなる(前同 p.252)。有能な手代を手付に登用、昇進させるチャンスを与えることで賄賂を防ごうとしたが、失敗している(前同 pp.253 - 256)。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 「双日、贈収賄防止へ厳格管理」『日経産業新聞』2020年1月8日(働き方面)
  2. ^ a b c 「わいろ蔓延、勢いとまらず」茨城県上海事務所 ビジネスレポート
  3. ^ a b c d 7割近くが「医者に“袖の下”を渡したことがある」Record China(2008年1月31日付配信)
  4. ^ これを逆手に取った菓子折りが存在する
  5. ^ 袖の下 コトバンク

関連項目[編集]