赤坂プレスセンター

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ヘリポートと研究所建屋。六本木ヒルズ52F大展望台より代替地返還前の2006年撮影。宿泊施設は画面左側にあり写真には写っていない
赤坂プレスセンター入口(2020年撮影)
敷地内の南東隅にある宿泊施設(2012年撮影)
地図

赤坂プレスセンター(あかさかプレスセンター、英語: Akasaka Press Center)とは、東京都港区六本木7丁目にある在日米軍基地である[1]。別名麻布米軍ヘリ基地[2]

東京都区部にある唯一のアメリカ軍基地[3]で、占有面積は3万1670平米[1]である。

在日米軍はハーディー・バラックス (Hardy Barracks) とも称される[4]

概要[編集]

2017年現在、東京都内に残る8か所の在日米軍基地の1つ[5]。元は「麻布三連隊」こと陸軍歩兵第3連隊の敷地であった。太平洋戦争敗戦して連合国最高司令官総司令部に接収され、ハーディー・バラックスと称されている。

2017年現在、敷地内はヘリポート・ガレージ・将校宿泊施設・米軍準機関紙「星条旗新聞」(Stars and Stripes) [6]、米陸軍国際技術センター・太平洋 (International Technology Center-Pacific) [6]アメリカ空軍のアジア宇宙産業開発事務所 (AOARD) 、アメリカ海軍のグローバルアジア研究所 (ONRG-Asia) [6]などが設けられている。

ハーディー・バラックスは、1950年(昭和25年)7月1日、朝鮮戦争で任務行動中に航空機事故で戦死した20名の1人である「エルマー・ハーディー伍長」に由来する。ヘリポート、宿泊施設のほか、アメリカ陸海空軍の最先端技術研究局のアジア出張事務所があり10数名の研究者が勤務する。勤務する研究者は日本人もおり、アジア各国の学会に参加して軍事に転用可能な民間研究に資金を提供するなど、情報収集のアジア拠点として利用されている[7]

敷地内の南東隅に、鉄筋コンクリート6階建ての宿泊施設「ハーディー・バラックス」(バラックス=兵舎)がある。アメリカ軍関係者の紹介で日本人も宿泊できる。基地内の建物の建築費や光熱費は日本の思いやり予算で賄われ、1泊15から25米ドルの安価である。

東京都心の六本木の一等地に位置し、東京都は全面返還を求めている[1]。付属のヘリポートヘリコプターの騒音問題や不安も根強い[3]

沿革[編集]

  • 1889年(明治22年)1月 - 陸軍歩兵第3連隊麻布台に駐屯を開始
  • 1936年(昭和11年)2月26日 - 二・二六事件発生、歩兵第3連隊から叛乱部隊の過半数に当たる900名以上の下士官兵が参加
  • 1936年(昭和11年)5月 - 歩兵第3連隊の主力が中国東北部に派遣される
  • 1939年(昭和14年)8月 - 近衛歩兵第5連隊編成
  • 1943年(昭和18年)5月 - 近衛歩兵第7連隊編成
  • 1945年(昭和20年)8月 - 敗戦。連合国軍最高司令官総司令部により接収される
  • 1958年(昭和33年)12月 - 赤坂プレスセンター以外の敷地の接収解除
  • 1984年(昭和59年)- トンネル工事に伴い、青山公園の南側にヘリポート移設
  • 1993年(平成5年)- ヘリポートの不当占拠開始
  • 2008年(平成20年)- ヘリポート用地返却断念。代替地の返却で合意
  • 2011年(平成23年)7月 - 代替地返却
  • 2019年(平成31年)2月 - 港区、防衛相と都に米軍のヘリ基地撤退返還求める[8]

所在地[編集]

〒106-0032 東京都港区六本木7-23-17

交通[編集]

ヘリポートを巡る話題[編集]

ブラックホークから降り立つ国防長官チャック・ヘーゲル、2014年5月

赤坂プレスセンターに併設されるヘリポートは港区赤坂1丁目の駐日アメリカ大使館まで直線距離で1.7キロメートルに位置し、横田基地厚木基地の間で一日数便の定期ヘリコプターが運用され、アメリカの軍人や政府高官も横田基地から本施設を経由して大使館へ向かう。港区南麻布にある在日米軍の宿泊施設「ニュー山王ホテル」へ要人を運ぶ経由地としても活用されている[10]

1993年1月に、横田基地から赤坂プレスセンターへ向かっていたヘリコプターが杉並区内の中学校校庭に不時着した[7]。東京都、港区、港区議会はヘリポートの撤去を防衛省に要請しているが、防衛省は「在日米軍にとって都心で唯一、ヘリコプターによる迅速な要人等の輸送が可能な施設であり、現時点での返還は困難」「運用にあたっては周辺住民への影響が最小限になるよう、今後とも米側に働きかけを続ける」と返答している[11]

用地の未返却問題[編集]

環状3号線の建設工事による移転[編集]

六本木トンネル(下側)とヘリポート(トンネル上の敷地)
代替地として2011年に返還された基地北側の敷地 (写真左下隅の細長い緑地)。中央の建造物は国立新美術館、左端の道路は都道319号・環状3号線。

1985年昭和60年)までのヘリポートは2015年現在より狭かった。1990年平成2年)にヘリポートの地下で環状3号線六本木トンネルが工事されて使用不可となり、東京都が工事期間中の代替用地として青山公園の一部を提供して移設した[1]。移設工事に際して在日米軍・東京防衛施設局・東京都は、道路工事終了後に提供地を返還して原状回復する協定を結んだ[1]

拡大されたヘリポート[編集]

六本木トンネルの建設工事が1993年(平成5年)に竣工したのちも、在日米軍は移設地のヘリポートが周囲に高層建築物が少なく安全運航に適している、などと占有を続けて代替用地返却に応ぜず[1]、工事終了後は旧来ヘリポートと代替用地を合わせて運用し、ヘリポートは道路工事前よりも実質で1,000平方メートル (m2) 広くなった[7]

東京都は原状回復と返却を13年間近くアメリカ側に求めたが、アメリカ側は東京都の要求に応じなかった。

東京都の譲歩[編集]

2007年(平成19年)に東京都は、ヘリポート占有地の代替として施設北側の隅地などの不使用地を東京都に返還する案をアメリカ側に提案[1]すると、アメリカ側も了承して2008年(平成20年)年末に合意した。

東京都は「敷地の全面返還」を求めており代替地の返却も「全面返還への暫定措置」としている[1]。代替地は施設北側の4,700m2で2010年(平成22年)中の引き渡しを求めていたが[12]、敷地内の給油所や街灯を移設する工事が遅れ、早くても2011年(平成23年)にずれ込んだ[12]

アメリカは日米地位協定により返還する土地の原状回復義務はなく、諸費用の1億円は全て日本国政府が負担し、敷地に残された旧給油所の撤去作業等にも追加費用を要した[12]

代替地として返還されたプレスセンター北側の敷地は、2007年に開業した国立新美術館と環状3号線の間の狭隘地で用途に乏しく、返還後は緑地帯となった。

防災計画上のヘリポート[編集]

2007年1月12日に石原慎太郎都知事は、災害時の救援物資搬送などで東京都も米軍ヘリポートを共同使用する事を確認し[1]、以降は東京都の総合防災訓練で同基地のヘリポートを使用している[3]

反対運動[編集]

  • 在日米軍ヘリコプターは学校幼稚園を含む近隣エリアを超低空で飛行している[13]が、アメリカ軍機は日米地位協定により航空法が定める最低高度規制に従う義務がない。運用されているヘリコプターは大型機で騒音も大きい[2]
  • 隣接する六本木公園で、「麻布米軍ヘリ基地撤去実行委員会」が2015年(平成27年)まで毎年4月18日に累計48回集会[2][13]している。
  • 1996年(平成7年)に地域住民は、当時の青島幸男東京都知事が在日米軍及び日本国政府に当施設の返還請求措置をしない事で「違法性確認」を求める住民訴訟を起こしたが[4]1998年(平成10年)7月に東京地方裁判所は訴えを却下した。
  • 2015年(平成27年)9月1日の東京都と立川市の合同総合防災訓練で、航空自衛隊のヘリコプターが搬送訓練に初参加したが、港区区長は基地の恒久利用につながりかねないとして、基地撤去への協力を要請する要望書を当時の舛添要一東京都知事に渡した[3][14]
  • 2019年(平成31年)2月6日に港区の武井雅昭区長と区議は、防衛相と都に「赤坂プレスセンター」の早期撤退と返還を求める要請書を提出した。区は2004年(平成16年)から要請を続けており、防衛省に騒音被害と事故発生の不安より基地の早期返還を、都に緊急搬送ヘリポートの使用による基地の恒久使用や機能拡大につながらないよう求めた[8]

特記事項[編集]

  • 基地職員の定期健康診断は北関東防衛局横田防衛事務所が管理し、一般入札で民間医療機関が実施している[15]
  • 基地内施設の建築物は、防衛省北関東防衛局が発注して日本国内の建設業者に委託している[16][17]
  • 基地研究室に勤務していた亀田純博士(アメリカ海軍研究局勤務)の仲介で[7]金沢工業大学宮野靖教授が研究するカーボン繊維複合材の耐久性調査研究に、アメリカ海軍が45万ドルを拠出している[7]

近隣施設[編集]

全て東京都港区。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 米軍「赤坂プレスセンター」ヘリポート 代替地返還で合意 産経新聞 2007年01月13日 東京朝刊 30頁 第2社会 (全565字)
  2. ^ a b c ひと/麻布米軍ヘリ基地撤去実行委員会実行委員長川崎悟さん (48) 2011年05月07日 しんぶん赤旗 日刊紙 3頁 総合 (全565字)
  3. ^ a b c d 港区長:「米基地撤去協力を」 知事に申し入れ /東京 2015.08.27 毎日新聞 地方版/東京 25頁 (全347字)
  4. ^ a b 星条旗新聞 1996年9月13日
  5. ^ 地上にも空にも… 東京に残る“アメリカ支配”2012年10月21日 テレビ朝日 報道ステーション SUNDAY 報道/ニュース/報道特集 (全294字) 2015年12月検索して内容閲覧
  6. ^ a b c 米陸軍国際技術センター太平洋地区司令官、リチャード R.ライルス米陸軍大佐 「戦争の質的変化に対する米陸軍装備司令部の対応」 『月刊 JADI』 687号, 日本防衛装備工業会, 2004年8月, p.4.
  7. ^ a b c d e (東京ウオッチ)ヒルズそばに米軍施設 協定無視、居座り13年 港区 /東京都 2006年05月17日 朝日新聞朝刊
  8. ^ a b 『米軍のヘリ基地撤退返還求める』「港区、防衛相・都に」朝日新聞、2019年2月7日、P25、2019年2月7日閲覧
  9. ^ 歩いて平和を考えて 早乙女勝元さんが新著 横川国民学校など35カ所紹介 /東京都 2013.07.04 朝日新聞 東京地方版/東京 33頁 東京西部 写図有 (全893字)
  10. ^ (東京ウオッチ)ヒルズそばに米軍施設 協定無視、居座り13年 港区 /東京都 2006年05月17日 朝日新聞朝刊
  11. ^ 米軍ヘリ基地、実は六本木ヒルズそばに 港区が返還要請『朝日新聞』2018年2月9日(東京面)
  12. ^ a b c 米軍施設 赤坂プレスセンター 来年3月の返還不可能 手続き進まず 2010年02月28日 中日新聞 朝刊 1頁1面 (全550字)
  13. ^ a b 六本木も米基地いらない/撤去求めデモ行進/東京 2015年04月19日 しんぶん赤旗 日刊紙 13頁 社会 (全412字)
  14. ^ 1日の総合防災訓練 米軍ヘリポート使用に懸念 「恒久化につながる」 港区が都に申し入れ書 2015年08月27日 中日新聞 朝刊 24頁 山手版 (全280字)
  15. ^ 【落札情報】平成25年度定期健康診断等(赤坂プレスセンター)の業務委託/防衛省北関東防衛局横田防衛事務所 【落札日】 2013.04.22 落札情報ナビ。株式会社データウエア
  16. ^ 赤坂PC保安施設 設計はISS創研らで 2013.03.27 建通新聞社 東京版 1頁 官庁 (全329字)
  17. ^ 北関東防衛=赤坂PCの保安施設新設へ設計 2012.12.19 建通新聞社 東京版 1頁 官庁 (全423字)

関連項目[編集]

座標: 北緯35度39分47.7秒 東経139度43分31.9秒 / 北緯35.663250度 東経139.725528度 / 35.663250; 139.725528