赤田隼人

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赤田 隼人(あかだ はやと、生没年不詳)は戦国時代武将である。諱は正堅(正隆とも)。

人物[編集]

嵯峨源氏赤田氏は越後赤田保の地頭職であったが、嘉禎四年(1238年)、兵衛尉源等の時に赤田姓を賜り、その子備が近江曾我村へ移住し、その後百年余り隼人正隆に至るまで同地に居を構えた。近江守護佐々木氏に属し、家臣の夏原氏や伊藤氏らと共に殊勲を立てることも度々で、その武勇の誉れは近隣にひびいた。やがて永正年間に隼人は家臣を引き連れ曾我の地を去り、八町城へ移っていった。天文元年(1532年)には同地に曹洞宗の常禅寺を建て、今もなおその子孫が法灯を固く守っている。なお、赤田隼人正堅と呼ばれたのは、源等8世孫の滋、10世孫の隆、13世孫の堅の3名である。また、隼人の正室決光院は丹羽長秀の娘である。

脚注[編集]

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