逆瀬川仁次郎

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逆瀬川 仁次郎(さかせがわ にじろう、1883年明治16年)12月8日[1]1930年昭和5年)10月29日[2])は、日本の衆議院議員政友本党立憲民政党)。ジャーナリスト

経歴[編集]

鹿児島県姶良郡敷根村(現在の霧島市)出身[3]鹿児島県立加治木中学校 (旧制)を卒業して東京高等師範学校に進むが退学[4]第一高等学校 (旧制)を卒業し[4]1916年大正5年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業。大阪毎日新聞社に勤務した。

1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙政友本党で立候補して落選するが、1926年(大正15年)11月1日の衆議院鹿児島7区補欠選挙で当選[4][5]

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第54回帝国議会衆議院議員名簿』、1928年。
  2. ^ 衆議院議員名鑑 1962.
  3. ^ 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』 衆議院事務局、1940年。
  4. ^ a b c 南日本新聞社『郷土人系 上』(春苑堂書店、1969年)p125
  5. ^ 『官報』第4276号、大正15年11月24日。

参考文献[編集]

  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。