遠藤庸治

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遠藤 庸治
えんどう ようじ
Endo Yoji.jpg
生年月日 1849年11月25日
出生地 仙台市
没年月日 (1918-01-10) 1918年1月10日(68歳没)

宮城県会議員

仙台市市長
在任期間 1889年明治22年)5月2日 - 1898年(明治31年)3月7日

衆議院議員
在任期間 1903年(明治36年) -

仙台市長
在任期間 1910年(明治43年)12月11日 - 1914年大正3年)11月4日
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遠藤 庸治(えんどう ようじ、嘉永2年10月11日1849年11月25日〉 - 1918年大正7年〉1月10日)は、大正時代から大正時代にかけて活動した官吏であり政治家である。初代仙台市長や、衆議院議員などを歴任した。

人物[編集]

江戸時代末期の仙台に生まれた[1]。仙台藩校養賢堂に学び、幕末には戊辰戦争に参加した[1]

代言人(弁護士)、宮城県会議員、同議会議長を経て、1889年明治22年)、初代・仙台市長に就任し[2]、同職を2期務めた後、1903年(明治36年)に政友会・衆議院議員に転じた。さらに宮城県農工銀行の頭取を務めた後、1910年(明治43年)、仙台市長職に復し、1期務めて引退した。仙台市長在任中には、五大事業(市区整備、市営電気、市街電車、上下水道、公園緑地整備)を訴えたほか、1896年(明治29年)には仙台市徒弟実業学校(後の仙台市立仙台工業高等学校)や、仙台市簡易商業学校(後の仙台商業高等学校)を開校させた[3]。また、宮城県内では、植林、養蚕、養豚を振興した。

遠藤は仙台市内で枝垂桜の一種、八重紅枝垂を植え増やしたことから、この櫻は「遠藤櫻」とも呼ばれるようにもなった[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『仙台人名大辞典』 菊田定郷編、仙台郷土研究会、2000年
  2. ^ 商都仙台400年 宮城建人 『七十七ビジネス情報』 2006年秋号
  3. ^ 沿革 仙台商業高等学校、2010年4月26日閲覧
  4. ^ http://ikimono.miyakyo-u.ac.jp/ikimono/neo/zukan/zukan_sakura.pdf