郎坊事件

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郎坊事件(ろうぼうじけん、廊坊事件)とは、1937年昭和12年)7月、中華民国廊坊で起きた事件である。

概要

1937年(昭和12年)、7月7日夜の蘆溝橋事件以来、日中関係は緊迫していた。7月25日、日本の支那駐屯軍は中国側責任当局と折衝の上、その了解のもとに電信部隊を少数の護衛部隊を付け、廊坊付近の軍用電信機の修理に派遣した。しかし同方面に駐屯していた張自忠麾下の第三十八師の一部が作業中の日本軍を不意に襲撃し、日本軍はこれと激戦の末、撃退した。

橋本群中将は「このような厄介な事件を防ぐために我々は中国側に修理作業を事前に通知していたのだが」と証言しており、中国軍当局もこれを了承済であった。一方では、緊迫した状況の中で軍用無線を修理するという一般中国兵の抗日・排日・反日意識を軽視した行動[要出典]であったとの見方もある。

この事件は広安門事件とともに、中国の非抗戦・抗戦でゆれる実情を反映したものであった。しかし、この事件は中国側の不誠意を証明するものとされ、蘆溝橋事件の現地停戦協定成立によって漸次落着するかに見えた華北の事態は重大化することとなった。不拡大・拡大(対支一撃論)でゆれる日本は現地の不拡大方針の転換に踏み出し、北平天津地区を制圧、やがて第二次上海事変勃発によって戦火は華中に拡大し、日中両国は全面戦争状態へと突入することになった

関連項目

今日は何の日(7月17日

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