都維那

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都維那(ついな)とは寺院の僧職の1つ。維那(いな)・知事(ちじ)とも。衆僧の雑事を監督、また指導した。

中国[編集]

北宋の律僧であり、『宋高僧伝』の撰者としても知られる賛寧が著した『大宋僧史略』巻中によれば、中国の寺には三綱が設立されており、それは、寺主上座悦衆である、と記している。ここで悦衆と呼ばれているのが、都維那である。また、賛寧は、都維那という用語の意味を解説して、義浄の『南海寄帰伝』によれば、それは、漢語と梵語を混交したものである、と記している。つまり、とは綱を意味する漢語であり、とは梵語を略したもので、羯磨陀の三字を刪去したもの、という説明をしている。

歴史的には、北魏孝文帝が、皇舅寺の僧義法師を京邑(洛陽)の都維那とした、という事例を賛寧が挙げている。続けて、これは勅補であり、昭玄都維那と呼ばれるものである。また『隋書』「百官志」の記述によれば、北魏では、昭玄寺という役所を設置して仏教を管掌し、その昭玄寺には、大統1人、統1人、都維那3人を置いた、とある、と解説している。賛寧に近い時代の例としては、玄暢が勅によって総持寺の維那となった、という事例を挙げている。

日本[編集]

7世紀後半から設けられた。大寺院には上座寺主、都維那の三綱が置かれ、衆僧を統制した。禅宗では、六知事の第4位として衆僧の動作を指導した。