酒井忠美

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酒井忠美
Sakai Tadayoshi.jpg
時代 江戸時代末期(幕末) - 大正時代
生誕 安政5年10月29日1858年12月4日
死没 大正12年(1923年3月13日
改名 生次郎(幼名)→忠美
墓所 東京都府中市多磨町多磨霊園
官位 従五位下、大和
幕府 江戸幕府
主君 徳川家茂慶喜
安房勝山藩
氏族 雅楽頭酒井家
父母 父:酒井忠一
正室:酒井忠禄の娘・久宇
忠勇、忠尚、娘(福島茂富室)、娘(三井慶夫室)
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酒井 忠美(さかい ただよし)は、安房勝山藩の第9代(最後)の藩主。

安政5年(1858年)10月29日、第8代藩主・酒井忠一の長男として生まれる。万延元年(1860年)に父が死去したため、3歳で家督を継いだ。藩内は佐幕派と尊王派に分裂して抗争し、戊辰戦争でも抗争した上で新政府に恭順し、木更津に出兵している。慶応4年(1868年)5月、従五位下、大和守に叙任する。

明治2年(1869年)5月、同名の藩(越前勝山藩)が他にあるため、加知山藩と改名する。6月には版籍奉還により知藩事となるが、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で免官され、新たに加知山県知事となる。しかし11月の廃県により免職となった。

明治12年(1879年)、嫡男の忠勇に家督を譲って隠居する。大正12年(1923年)3月13日に死去、享年66。なお、明治17年(1884年)に忠勇は子爵となるものの、明治30年(1897年)に子爵の位を返上している。