酒井忠胤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
酒井 忠胤
時代 江戸時代中期
生誕 延宝7年(1679年
死没 正徳2年7月20日1712年8月21日
改名 勝之助(幼名)→忠胤
別名 忠純
戒名 耀巌院殿巨山浄琳大居士
墓所 東京都港区愛宕青松寺
官位 従五位下、備後
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣
安房勝山藩
氏族 雅楽頭酒井家
父母 父:酒井忠国、母:毛利就隆の娘
兄弟 忠胤、忠成
正室:石川憲之の娘
忠篤

酒井 忠胤(さかい ただたね)は、安房勝山藩の第2代藩主。初代藩主・酒井忠国の長男。

天和3年(1683年)、父の死去により家督を継ぐ。このとき、弟の忠成に3000石を分与した。宝永6年(1709年)3月に叙任する。正徳2年(1712年)7月20日、34歳で死去し、跡を長男の忠篤が継いだ。