野口明 (教育者)

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野口 明(のぐち あきら、1895年(明治28年) - 1979年(昭和54年)9月3日)は、日本の官僚・教育者。お茶の水女子大学初代学長などを歴任した[1]

略歴[編集]

1895年東京市麹町区下六番町で陸軍に奉職する獣医の子として生まれる[2]

暁星学園中学校旧制第二高等学校宮城県仙台市)文科独法(1916年卒)を経て、1919年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[2]

同年、文部省に入省し、高等文官試験に合格。長崎県警務課長(1922年)、神奈川県警務課長(1923年)を経て、文部省普通学務局第三課長(1924年[2]、同庶務課長。

1925年一木喜徳郎大臣の秘書官として宮内省入省。1927年昭和天皇の即位後に侍従を務めた。二・二六事件では宮中に参内して籠城した。1936年に宮内省宗親課長[3]

1941年帝室林野局管理部長となるが、1943年阿刀田令造の後任として旧制第二高等学校校長となり教育界に転身[2][3]1949年お茶の水女子大学学長[1][2]、1962年に白梅学園短期大学学長[2]にそれぞれ就任。

1971年には社団法人日本弘道会会長。1979年9月3日逝去[要出典]

その一方では小林新大下藤次郎に師事した画家でもあり[要出典]、1979年に『野口明画集』を刊行した。

親族[編集]

警察官僚土田國保の前妻、民子は娘。民子が土田・日石・ピース缶爆弾事件の犠牲者となり死亡した際に、野口は「数万の教員に代わって逝ったことだろうから、民子も悔いてはいないだろう」と語っている[4]

著書[編集]

  • 『野口明画集』(1979年)野口明画集刊行会
  • 『カムチャッカ訪問記』(1927年)
  • 『追憶の二高』(2001年)里文出版

脚注[編集]

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  1. ^ a b お茶大の歩み 新制大学へ”. お茶の水女子大学デジタルアーカイブズ. 2020年4月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 学園の先駆者たち”. www.shiraume.ac.jp. 学校法人白梅学園. 2020年4月18日閲覧。
  3. ^ a b 野口明 (1969). “宮中生活の思い出”. 弘道 807: 2-6. 
  4. ^ 山野車輪 (2016). 革命の地図. イースト・プレス. pp. 86. 
  • 野口明文書”. 東北大学デジタルアーカイブズ. 東北大学史料館. 2015年11月11日閲覧。