野川 (川崎市)

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野川
川崎市高津区野川交差点。奥に第三京浜道路の高架橋が見える。
川崎市高津区野川交差点。奥に第三京浜道路の高架橋が見える。
野川の位置(神奈川県内)
野川
野川
野川の位置
北緯35度34分17.43秒 東経139度37分1.24秒 / 北緯35.5715083度 東経139.6170111度 / 35.5715083; 139.6170111
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Kawasaki, Kanagawa.svg 川崎市
高津区宮前区
面積
 • 合計 3.080km2
人口
2017年(平成29年)12月31日現在)[2]
 • 合計 33,048人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
213-0028(高津区北野川)
213-0029(高津区東野川)
216-0001(宮前区野川)
216-0041(宮前区野川本町)
216-0044(宮前区西野川)
市外局番 044 (川崎MA)[3]
ナンバープレート 川崎

野川(のがわ)は、神奈川県川崎市高津区宮前区に跨る町名住居表示は高津区側、宮前区側共に未実施区域[4]郵便番号は高津区側が213-0027、宮前区側が216-0001。

地理[編集]

広大な台地を中心とした地域で、平地は矢上川や有馬川(いずれも鶴見川の支流)の流域近辺に限られている。

台地平野問わず、広く農業が営まれてきたが、近年は平地や傾斜地での宅地開発が急速に進んでいる。台地においても、東急野川団地を初めとするマンション建設が増えた結果、この地域は川崎市内でも有数のベッドタウンとなった。[5]大小問わず、公園や手つかずの自然も多い。しかし、人口の増加に地域インフラの整備は追いついておらず、特に商業施設の不足が目立っている。多くの住民は、自家用車やバスで武蔵小杉溝口鷺沼港北ニュータウンへ買い物に出る。

面積[編集]

面積は以下の通りである[1]

大字 面積(km2
高津区 野川 0.424
宮前区 野川 2.656
3.080

地価[編集]

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、野川字西耕地3013番11の地点で19万7000円/m2となっている。[6]

歴史[編集]

野川の地名の由来は矢上川の流れによるものと考えられる。南北の丘陵のあいだを流れる矢上川が「野川」と呼ばれ、それに沿う村という意味で「野川村」になったと思われる。

1950年代までは古い農村の姿が残っていた。低地・谷戸には水田、台地上には畑作、雑木林は炭林に。大正時代には養蚕が盛んだったが、戦後は代わって養鶏養豚が盛んになった。

1950年頃からは東京急行電鉄(東急)による開発の手が入り、土地買収が盛んになり、県営や市営の住宅・団地が建ちはじめていく。

野川第一土地区画整理事業[編集]

東急が進めた多摩田園都市計画の中で、最初に開発を行うモデル地区として当地が選ばれ、事業が開始した[7]。モデルケースとして早期に結果を挙げ、残りの事業地買収に弾みをつけるという狙いがあったので、東急が比較的まとまった土地を確保していた当地が選ばれ、また事業面積は19.8 haと、あえて小さなものとされた[7]

ただ、このような組合施行の土地区画整理事業自体が川崎市で初めてであったこと、首都圏整備計画におけるグリーンベルト構想の存在、さらには反対する一部地主の存在などもあり、野川第一土地区画整理組合の発起人会(1957年5月)から設立認可(1959年5月)までに2年という期間を要することとなった[8]

事業の法的な施行者は土地区画整理組合であるものの、東急が多摩田園都市の一体開発を進めるために、組合が行うべき一切の業務を東急が代行し、その代行料として保留地を受け取るという、業務代行土地区画整理事業として行われ[9]1961年10月の換地処分によって完結した[10]。完成と前後して分譲が行われたが、モデルケースという事情もあってか東急の縁故者向けに別枠で募集が行われたほか、社宅も誘致された[11]

住居表示の実施[編集]

2015年度から住居表示の実施が検討されており、2018年度以降の実施に向けて協議等が行われている。住居表示の実施後はすべて別の町名になる見込みとなっている[12]

沿革[編集]

  • 1531年 - 影向寺十二神将のうち一体の頭部内墨書銘に、「武州野河郷加□谷村住侶、享禄四辛卯」とある。
  • 1559年 - 『小田原衆所領役帳』に次の記載がある。「布施弾正左衛門 15貫300文 小机野川地頭方」、「後藤惣次郎 16貫303文 小机野川」。
  • 1590年 - 徳川家康江戸入部、関東は徳川家の支配地となる。江戸初期、近世郷村制成立。野川郷がいくつかの小村に分立。両村の境界は複雑で、明確に分別しがたいため幕府は一緒の形で扱っている。
  • 1649年 - 上野川村は増上寺御霊屋料の村となる。
  • 1667年 - 下野川村は旗本大岡氏の知行所となる。
  • 1745年 - 野川新田の開拓なり、天領に組み入れられる。
  • 1834年 - 『天保郷帳』によれば、「上野川村 高537石2斗余、下野川村 高302石3斗余」である。
  • 1868年 - 明治維新により神奈川県管轄となる。『旧高旧領取調帳』の記載は次のと取りである。「天領 41石6斗余、大岡氏知行所 160石9斗余、影向寺領 5石、西蔵寺除地 3石4斗、増上寺領(上野川村)498石7斗余、同じく増上寺領(下野川村)133石4斗余」。
  • 1874年 - 大区小区制施行。上野川村・下野川村ともに5大区5小区に属す。
  • 1875年 - 上野川村・下野川村が合併して野川村となる。
  • 1878年 - 郡区町村編制法施行。大区小区制廃止。橘樹郡野川村となる。
  • 1889年 - 市制町村制施行、野川・梶ヶ谷馬絹土橋有馬の5村が統合して宮前村誕生。野川は大字となる。
  • 1938年 - 宮前村が川崎市に編入。川崎市野川となる。
  • 1972年 - 川崎市が区制施行、高津区野川となる。
  • 1982年 - 高津区から宮前区が分区。基本的に第三京浜道路より西側の部分が宮前区に編入される。
  • 2018年11月5日 - 第三京浜道路及びその東側で住居表示が実施され、以下の町丁が新設される[13][14]
    • 高津区
      • 北野川 - 野川字東耕地の一部
      • 東野川1丁目 - 野川字中耕地の一部
      • 東野川2丁目 - 野川字中耕地、南耕地のそれぞれ一部
    • 宮前区
      • 野川本町3丁目 - 野川字東耕地の一部
  • 2019年10月15日 - 宮前区野川本町1丁目・2丁目、宮前区西野川1丁目・2丁目・3丁目を新設[1]

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

大字 世帯数 人口
高津区 野川 2,067世帯 4,623人
宮前区 野川 12,251世帯 28,425人
14,318世帯 33,048人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[15][16]。なお、高津区側と宮前区側との区別されず共通である。

番地 小学校 中学校
1259番、1276~1279番、1281~1283番
2917~2920番、2929~2931番、2934番51
2935番、2937~2949番、2966~2996番
2999~3052番、3055~3057番、3069~3122番
3129~3144番、3146~3149番、3151~3154番
3158~3160番、3163~3168番、3171番
3192〜3193番、3195~3212番、3214番
3421番、3445~3449番、3477~3498番
3501~3517番、3525~3613番
川崎市立西野川小学校 川崎市立野川中学校
1419番、1422~1427番、1435〜1436番
1968~1977番、2043~2245番、2251番
2286~2301番、2314~2317番、2321~2391番
2482~2484番、2591~2855番、2904~2916番
2921~2923番、2932~2934番、2951~2965番
3181~3183番、3224番、3228〜3229番
3235~3254番、3255番5~21号、3256~3258番
3260番、3267番、3286番
3887~4393番
川崎市立南野川小学校
その他 川崎市立野川小学校

交通[編集]

当地域には旅客用の駅はないが、JR武蔵野線梶ヶ谷貨物ターミナル駅がある。この駅を旅客化する案もあるが、実現の可能性は低い。なお当駅は野川地域の住居表示実施完了に伴い、宮前区梶ケ谷への編入が予定されている。

東側を中原街道尻手黒川道路が走っている。両道路は高津区側で交差している(野川交差点)。また、中原街道にほぼ並列して第三京浜道路が通っており、尻手黒川道路との間に野川インターチェンジの建設が行われている(2021年に開通予定)。

武蔵小杉駅武蔵中原駅武蔵新城駅武蔵溝ノ口駅梶が谷駅宮前平駅、および鷺沼駅からバスが利用可能である。武蔵小杉駅、梶が谷駅、鷺沼駅からの便が多い。しかし、人口の増加に伴う乗客増に対応しきれないでおり、特に梶が谷行き、中原行き、鷺沼行きは朝ラッシュ時には多くの混雑を見せる。

また、バス路線は主に尻手黒川道路や中原街道、有馬街道といった「台地の下」にある道路を走る(台地の上を走る路線もある)。このため、台地の上からバス停までは急な坂道を徒歩で上り下りしなければならず、交通弱者の障害として問題に上げられている。2008年7月から、野川南台団地から中原街道を経由するコミュニティバスの運行が開始された。[2]

かつて川崎市交通局の計画では、川崎縦貫高速鉄道の久末駅を野川交差点付近に、野川駅を野川台西側の宮前区休日急患診療所付近に建設する予定が存在していた。[3]

施設[編集]

※以下、特に注記のない場合は宮前区側に所在する。

教育施設[編集]

  • 亀ヶ谷学園宮前幼稚園・第二宮前幼稚園
  • 野川保育園(高津区東野川2丁目)
  • 野川南台保育園
  • ティンクル上野川保育園
  • ティンクルくぬぎ坂保育園
  • 川崎市立野川小学校(高津区・宮前区共通)[4]
  • 川崎市立西野川小学校[5]
  • 川崎市立南野川小学校[6]
  • 川崎市立野川中学校(高津区・宮前区共通)[7]
  • 野川こども文化センター

住宅団地[編集]

  • 野川東住宅(高津区東野川1丁目)
  • 野川西団地
  • 県営野川南台団地

その他の施設[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”. 川崎市 (2015年10月26日). 2018年2月15日閲覧。
  2. ^ a b 町丁別世帯数・人口”. 川崎市 (2018年1月25日). 2018年2月15日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月15日閲覧。
  4. ^ 区別町名一覧表”. 川崎市. 2018年2月15日閲覧。
  5. ^ しかし、地名が平凡なためか、近年建てられたマンションには、知名度の高い鷺沼宮前平を冠した建物が多い。中には、「●●鷺沼」の隣に「●●宮前平」が建っている例もある。
  6. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  7. ^ a b 東急多摩田園都市開発50年史」第3章第1節「市街地建設計画の策定」
  8. ^ 東急多摩田園都市開発50年史」第3章第1節「初めての組合設立」
  9. ^ 東急多摩田園都市開発50年史」第3章第1節「一括代行方式の採用」
  10. ^ 東急多摩田園都市開発50年史」第3章第1節「事業実施の経過」
  11. ^ 東急多摩田園都市開発50年史」第3章第1節「野川第一地区の分譲と諸施設の誘致」
  12. ^ 野川地区住居表示についての「お知らせ」【平成29年6月】 (PDF)”. 野川地区住居表示検討委員会 (2017年6月). 2017年8月10日閲覧。
  13. ^ 平成30年度の住居表示実施地区”. 川崎市. 2018年11月1日閲覧。
  14. ^ 住居表示新旧対照案内図 (PDF)”. 川崎市. 2018年11月1日閲覧。
  15. ^ 川崎市立小学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。
  16. ^ 川崎市立中学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。

参考文献[編集]

  • 「川崎地名辞典(下)」 日本地名研究所編 川崎市発行 2004年
  • 東京急行電鉄「東急多摩田園都市開発50年史」(CD-ROM、2005年)