野田商誘銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

野田商誘銀行(のだしょうゆうぎんこう)は、かつて千葉県野田市にあった銀行、ならびにその運営株式会社。

概要[編集]

近代化産業遺産 野田商誘銀行
 


1899年(明治32年)茂木啓三郎が発起し、1900年明治33年)、茂木を中心とした野田の醤油醸造業者らによって発行株式5000株・資本金25万円で設立。各醤油製造家がそれぞれの醤油仕込み高に比例して資本金を払い込み、キッコーマンの創業家8家である高梨・茂木一族が3,715株 (74.3%) を出資したことから、事実上の“キッコーマン醤油銀行”である(ただし、当時はキッコーマンは商標で社名は野田醤油株式会社)。また、銀行名の「商誘」も「醤油(しょうゆ)」にちなんで名づけられた[1]。株主も融資先も醤油の関係者が中心だったが、小規模ながらも堅実経営に徹し、1901年(明治34年)の金融恐慌も乗り越え、1910年ごろには千葉県内の銀行の中では大手に成長した。太平洋戦争中に当時の政策で千葉銀行と合同させられた[2]。野田商誘銀行の建物は千葉銀行と合同後は千葉銀行野田支店となる。建物はその後使用されなくなるが、1970年キッコーマン創業家一族の資産管理会社である千秋社の所有になり、近代化産業遺産に認定されている[3]

高梨・茂木一族の出資・役職

  • 頭取 茂木房五郎 400株
  • 常務取締役 茂木七郎右衛門 1300株
  • 取締役 茂木七左衛門 500株
  • 取締役 高梨兵左衛門 395株
  • 取締役 茂木佐平治  300株
  • 取締役 中野長兵衛 125株
  • 監査役 茂木勇右衛門 100株
  • 監査役 茂木七郎治 100株
  • 支配人 茂木要三郎 100株
  • 相談役 茂木啓三郎 100株
  • 相談役 茂木林蔵  65株
  • 相談役 茂木利平  50株
  • 相談役 石川仁平治 50株
  • 相談役 高梨政之助 50株 

キッコーマンの創業家8家である高梨・茂木一族以外ではキノエネ醤油の山下家からも唯一役員が出ていたが、山下家は1905年(明治38年)以降は取締役を出さず、1905年以降の役員は高梨・茂木一族が占めた。

参考文献[編集]

  • 『千葉県の歴史 通史編近現代1』704-706頁
  • 『目で見る野田・流山の歴史』17頁

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 近現代(コラム)野田の金融と商業 (PDF)”. 野田市. 2019年2月4日閲覧。
  2. ^ 沿革”. 千葉銀行. 2019年2月4日閲覧。
  3. ^ 平成19年度「近代化産業遺産群 33」 (PDF)”. 経済産業省. 2019年2月4日閲覧。 p.60

関連項目[編集]