本項では相対論的効果を考えない量子力学の数学的定式化(りょうしりきがくのすうがくてきていしきか)を厳密に述べる。本項では量子力学に対する最低限の知識を仮定する。
量子力学
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不確定性原理
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序論(英語版) · 数学的定式化
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状態空間のヒルベルト空間による定式化[編集]
量子力学において系 の(純粋)量子状態は、状態ベクトルと呼ばれる単位ベクトルによって表現され、状態ベクトルとその定数倍のなすベクトル空間を状態空間という。状態空間はヒルベルト空間という数学的概念によって定式化される。そこで本節ではヒルベルト空間の定義を述べる。
ヒルベルト空間[編集]
定義[編集]
を複素ベクトル空間とする。任意の
に対して以下の性質を満たす二項演算子
を
上の内積もしくは計量という:
- (共役対称性)

- (線形性)
に対し、 
- (正定値性)
であり、しかも
である。
複素ベクトル空間上に内積を一つ指定してできる組
を複素計量ベクトル空間という。
複素計量ベクトルの元
に対し、内積
に対応する
のノルム
を

により定義し、
の間の距離を

により定義すると
はこの距離に関して距離空間の公理を満たす。この距離空間が完備であるとき、複素計量ベクトル空間
を複素ヒルベルト空間、あるいは単にヒルベルト空間という。紛れがなければ以下内積
を省略し、記号
だけでヒルベルト空間を表すものとする。特に断りがない限り、本項ではヒルベルト空間として可分なもののみを考える。
上述の定義より、内積
は、第二成分に関しては線形であるが、第一成分に対しては反線形性
に対し、 
が成立する。なお、ここで提示した内積の定義は量子力学では一般的なものだが、数学の文献では、ここに載せたのとは逆に、第一成分に対して線形、第二成分に対して反線形であるものを用いる事が多い。
ヒルベルト空間の一意性[編集]
ヒルベルト空間
、
に対し、全単射線形写像
で

が全ての
に対して成立するものが存在するとき、
と
は同型であるという。
可分な無限次元ヒルベルト空間は同型を除いて1つしか存在しない。すなわち以下が成立する:
、
を任意の可分な無限次元ヒルベルト空間とするとき、
と
は同型である。
本項ではヒルベルト空間として可分なもののみを取り扱う。よって本項で登場するヒルベルト空間で次元が無限のものは全て同型である。
状態空間[編集]
量子力学では以下の仮定を課す:
- 状態空間に関する仮定:量子力学において状態空間は複素ヒルベルト空間である新井(p210)。状態空間の単位ベクトルを状態ベクトルと呼び、各状態ベクトルは何らかの量子状態に対応している。また2つの状態ベクトルψ、φが|a|=1を満たす何らかの複素数aでφ=aψという関係を満たすとき、ψとφは同一の量子状態を表す新井(p210)。
本節では以降、こうした量子力学の仮定を幾つか述べるが、新井の本やHallの本など多くの本ではこうした仮定の事を公理(axiom)と呼んでいる。しかしこうした仮定は数学的な意味での公理ではないH13(p64)ので、本項ではその事を明確化するため、F15に従い、「公理」と呼ばず「仮定 (postulate)」と呼ぶものとする。
L2空間[編集]
すでに述べたように(可分な)無限次元ヒルベルト空間は全て同型なので、任意に一つ無限次元ヒルベルト空間を持って来れば、原理的にはそのヒルベルト空間を状態空間とみなした量子力学を定式化できる。しかし通常の量子力学では、物理的な解釈をわかりやすくするため、L2空間というヒルベルト空間を用いて量子力学を展開する事が多い。そこで本節ではL2空間の定義を述べる。
定義[編集]
を自然数とし、
とする。
から
への関数

で積分概念が定義可能な関数を可測関数という(厳密な定義は可測関数の項目を参照)。さらに可測関数ψで

となるものをX上のL2関数という。そして
はL2関数
と定義し、L2(X)上の内積を

により定義すると、組
はヒルベルト空間をなすことが知られている。このヒルベルト空間をX上のL2空間という。粒子がk個からなる系の場合、各粒子が3次元分の自由度を持つので、d=3kの場合のL2空間を利用すれば量子力学を自然に展開できる。
上ではX=Rdの場合にL2空間を定義したが、一般にXが可測空間であればL2空間を定義できることが知られている。特にXがRdの開集合や閉集合であれば、X上のL2空間を定義できる。したがって例えば(ポテンシャルの壁に遮られるなどして)粒子が有限の区間Iの内部しか動けないようなケースに対しても、X=Idの場合のL2空間を利用できる。
注意[編集]
以上で述べたように、量子力学の数学的定式化にはヒルベルト空間、特にL2空間の概念が有効である。しかしこれは、物理学者が量子力学で用いている議論の全てをヒルベルト空間上で数学的に正当化できる事を意味しているわけではない。
例えば物理学者が量子力学の記述に通常用いるデルタ関数は、そもそも通常の意味での関数ではないので、L2空間には属さない。後の章でL2空間にさらに元を添加する事でデルタ関数をも取り扱う数学的手法についても述べるが、この手法は万能ではなく、例えばデルタ関数同士の積が定義できないという欠点を抱える。よって特にデルタ関数同士の内積を定義できず、デルタ関数を添加した空間はヒルベルト空間にはならない。
こうした数学的な困難を避けるため、以降の議論は、基本的にデルタ関数のような「関数もどき」は慎重に排除した上で展開するものとする。
有界作用素[編集]
ヒルベルト空間上で定義可能な関数のクラスとして最も自然なものの一つに有界作用素があり、量子力学における主要概念の一つであるユニタリ作用素は有界作用素の一つである。そこで本節では有界作用素の概念とユニタリ作用素の概念を定式化する。
有界作用素[編集]
定義[編集]
、
をヒルベルト空間とする。線形作用素
が有界作用素であるとは、実定数C≧0が存在し、任意の
に対し、
が成立する事を言う。ここで
は
の内積に対応するノルムである。Tが有界とは限らないとき、Tを非有界作用素というH13(p56)。
線形作用素Tが有界である必要十分条件は、Tが連続であることである新井(p65)。したがって有界線形作用素とは、連続線形作用素と言い換えても良い。
ユニタリ作用素[編集]
定義[編集]
をヒルベルト空間とする。全射線形作用素
が任意の
に対し、

を満たすとき、Uをユニタリ作用素という。
上記の条件をみたすときは、明らかにUは単射なので、Uは全単射である事になる。したがってユニタリ作用素とは
から自分自身への同型写像(自己同型写像)である。
なお、
が有限次元の場合には、単射性から全射性が従うため、ユニタリ作用素の定義において全射という条件は必要ない。しかし
が無限次元の場合には、全射ではない単射線形作用素も存在するため、全射の条件は必須となる。
性質[編集]
定義から明らかに次が成立する:
- ユニタリ作用素は有界作用素である
ブラベクトルとケットベクトル[編集]
本節では共役ベクトル空間の概念を定義することでディラックのブラベクトル、ケットベクトルの概念を数学的に定式化し、さらにリースの表現定理を導入することで、ブラベクトルの概念を別の角度から眺める。
共役ベクトル空間[編集]
ヒルベルト空間
で使われている足し算「+」、(スカラーとの)掛け算「・」、および内積
を明示して、
を
と書くことにし、a∈C、
に対し、

と定義すると、
もヒルベルト空間になる。ここで
はaの複素共役である。
を
の共役ベクトル空間(英語版)という。定義より、共役ベクトル空間は掛け算以外は元の空間と同一である。以下、掛け算を明示しなくても共役ベクトル空間を区別できるようにするため、
の共役ベクトル空間を
と表記する。また
が
の元である事が文脈から明らかな場合は、
を略記して単に
と表記する。
ブラベクトルとケットベクトル[編集]
ヒルベルト空間
上の内積
は、第一成分に対して反線形、第二成分に対して線形であった。しかし内積の第一成分を共役ベクトル空間を
とみなして

だとすれば、内積
は、第一成分、第二成分双方に関して線形である事になるので便利である。そこで量子力学では
の元と
の元とを区別して考え、
の元をブラベクトル、
の元をケットベクトルと呼ぶF15(p23)[注 1]。
リースの表現定理[編集]
ブラベクトル
に対し、線形作用素

を考えると、コーシー=シュワルツの不等式

より、この作用素は有界作用素である。実は複素数値の有界作用素はこの形のものに限られる事が知られている:
- (リースの表現定理)
を有界線形作用素とすると、以下の性質を満たす
が一意に存在する:任意の
に対し、
なお
が有限次元であれば上に述べた事実は自明であるが、無限次元であってもこの事実が成り立つ所にこの定理の主眼がある。以上の事実から、ブラベクトルと複素数値の有界作用素は1対1に対応する。
オブザーバブル[編集]
既に述べたように作用素が有界である事はその作用素が連続である事を意味している為、有界性はヒルベルト空間上の作用素の最も自然な概念の一つである。しかし量子力学で用いられる作用素の多くは有界ではないし、しかも
の部分領域でしか定義できない。この原因は、量子力学で用いられる作用素の多くが微分を用いて定義されており、微分作用素が有界でもなければ
全域で定義できるわけでもない事にある。
幸運な事に、これら量子力学で用いる作用素は「稠密に定義された可閉作用素」という、比較的扱いやすいクラスに属している事が知られている。そこで本節では、まず「稠密に定義された」という概念と「可閉」という概念を定式化する。
次に本節では、この「稠密に定義された可閉作用素」の概念をベースとして、量子力学におけるオブザーバブルの概念を定式化する。すなわち、稠密に定義された可閉作用素の共役作用素の概念を定式化し、共役作用素の概念を用いて自己共役作用素の概念を定式化し、最後に量子力学におけるオブザーバブルの概念を自己共役作用素により定式化する。
稠密に定義された作用素[編集]
定義[編集]
オブザーバブルは状態空間の全域で定義されているとは限らないが、状態空間の稠密部分集合上では定義が可能である。そこでまず、稠密に定義された作用素の概念を導入する。
、
をヒルベルト空間とする。
の部分集合Dom(T)で定義された線形作用素
が
で稠密に定義されているとは、Dom(T)が
の稠密部分集合である事を言う新井(p71)。とくに
が成立しているとき、Tは
の全域で定義されているという。
記法[編集]
本項では参考文献新井、H13と同様、以下、線形作用素
が
で稠密に定義されている場合は、これを略記して、
(稠密に定義されている)
と書き表す。
稠密に定義された線形作用素の拡大[編集]
稠密に定義された2つの線形作用素
が、 Dom(S) ⊂ Dom(T) かつT|Dom(S) = Sを満たすとき、TはSの拡大であるといい、
- S ⊂ T
と書き表す。
稠密に定義された有界作用素[編集]
有界作用素に関しては、次の重用な性質が知られている:
- (BLT定理)稠密に定義された作用素 Tがその定義域において有界な線形作用素であれば、Tを全域に一意に拡張可能である。すなわち、全域で定義された
が一意に存在し、
である新井(p71)
したがって有界作用素に限定すれば、稠密に定義されている事は全域で定義されている事と実質的な差がない。しかし量子力学で用いる作用その多くは有界ではないので、この定理を用いる事ができない。
可閉作用素[編集]
稠密に定義された線形作用素
が以下を満たすとき、Tは閉作用素であるという:
- 点列
が
となる(φ,χ)を持てば、
であり、しかもχ=T(φ)が成立する新井(p86-87)。
また稠密に定義された線形作用素
が、拡大
でSが閉作用素であるものを持つとき、Tは可閉作用素であるという新井(p86-87)。Tが可閉作用素であるとき、Tの拡大線形作用素
で上記の性質を満たす(包含関係に関する)最小のもの
が必ず存在することが知られており、
をTの閉包作用素という新井(p86-87)。Tが可閉作用素である必要十分条件は、任意の点列ψn∈Dom(T)に対し、n→∞のときψn→0かつT(ψn)→χであればχ=0が成立する事である新井(p87)。
共役作用素[編集]
を稠密に定義された線形作用素とする。ベクトル
に対し、以下の性質を満たす
を考える:
- 任意の
に対し、
このような
は常に存在するとは限らないが、存在すれば一意である事を示せる新井(p82-83)[注 2]。そこで
上述の性質を満たす
が存在する
とし、線形写像T*を

により定義し、T*をTの共役作用素という新井(p82-83)。
Tが有界とは限らない時、Tが稠密に定義されていたとしてもT*が稠密に定義されることもT**=Tが成り立つ事も保証されない新井(p83-84)。これらを保証するには、Tが可閉である事が必要である:
- T*が稠密に定義される⇔Tが可閉作用素新井(p90)
自己共役作用素[編集]
をヒルベルト空間とし、
を稠密に定義されているとは限らない線形作用素とする。
- 任意のφ, ψ∈Dom(T)に対し、
が成立するとき、Tをエルミート作用素という新井(p102)。
- Tが稠密に定義されたエルミート作用素であるとき、Tを対称作用素であるというH13(p56)
- Dom(T) = Dom(T*)を満たす対称作用素Tを自己共役作用素という新井(p102)。
- Tが可閉作用素で、その閉包が自己共役であるとき、Tは本質的に自己共役であるという新井(p165)。
明らかに次が成立する:
- Tは自己共役作用素⇒Tは対称作用素⇒Tはエルミート作用素
しかし逆向きは一般には成り立たない。与えられた作用素が自己共役かどうかを決定する問題を自己共役性の問題といい、それだけで一冊の本が書けるほど難しい問題である新井(p228)。
次が知られている:
- Tは本質的に自己共役作用素なら、Tの閉包
は自己共役であり、しかもTの拡大で自己共役なものは
に限るH13(p173)
したがって以下、Tが本質的に自己共役な場合には、紛れがなければTと
を混用する。
共役作用素の定義より、
- Tがエルミート作用素なら、共役作用素T*をDom(T)上で定義でき、しかもをDom(T)上でT*=Tである。 …(B1)
すでに述べたように、Tが可閉作用素である必要十分条件はT*が稠密に定義されることであった新井(p90)。よって上述した事実より特に以下が成立する:
- Tが対称作用素⇒Tは可閉作用素 …(B2)
対称作用素Tの閉包は以下のように具体的に書き表す事ができることが知られている新井(p90,101):
- Tが対称作用素⇒
かつ
さらに、
- Tが自己共役作用素⇒Tは閉作用素
自己共役作用素は必ず掛け算作用素として表現できる事が知られている(掛け算作用素によるスペクトル定理)H13(p207):
を自己共役作用素とする。このときσ-有限(英語版)な可測空間(X,μ)とユニタリ作用素
と可測な実数値関数
が存在し、TU:=UTU-1とすると以下が成立する:

量子力学では以下の仮定を課す:
オブザーバブルに関する仮定:量子力学におけるオブザーバブルは自己共役作用素として表現される。
オブザーバブルの具体例[編集]
本節では
の場合に対して、オブザーバブルの具体例を述べる。
微分作用素[編集]
量子力学で登場する代表的なオブザーバブルは、いずれも偏微分を用いて表現できるので、まず本節では微分作用素の定義と性質を述べる。まず記法を導入する。非負整数α1、…、αd≧0からなるベクトル(α1、…、αd)に対し、


とする。
非負整数α1、…、αd≧0に対し、
の形で書ける作用素を微分作用素という。ここでψα(x)は局所自乗可積分な関数である。なおDの定義において、α1=…=αd=0の項
はψ0(x)倍する演算子とみなす。
本節の目標は、微分作用素Dのうち性質の良いものを
上定義されたオブザーバブルとみなす事である。しかしそもそも偏微分
は
が可微分でなければそもそも定義できないので、単純にDを
の元に作用させることはできない。そこで
の部分集合C∞
0(Rd)を
C∞級関数 s.t. ある有界閉集合Kが存在し、ψはRd\K上で恒等的に0である
と定義すると次が成立する:
- C∞
0(Rd)は
の稠密部分集合である新井(p43)
微分作用素DはC∞
0(Rd)上で明らかに定義可能であり、しかもC∞
0(Rd)の元をL2(Rd)に写すので、微分作用素Dを
上稠密に定義された線形作用素とみなす事ができる。
位置作用素[編集]
実数値可測関数

に対して線形作用素Mfを

と定義し、Mfの閉包を掛け算作用素という。ここで

である。
特にj = 1,...,dでf(x)=xjという形の掛け算作用素を第j位置作用素という。
掛け算作用素は自己共役作用素である。実際可測性から
なのでMfは稠密に定義された作用素であり、しかも明らかにMfは対称作用素である。さらに
とすれば、任意の
に対し、
をみたすので、

である。
の任意性より、これは
a.eを意味する。χの自乗可積分性とDom(Mf)の定義より、
である。よってDom(Mf*)=Dom(Mf)であり、掛け算作用素Mjは自己共役作用素である。
運動量作用素、軌道角運動量作用素[編集]
線形作用素

の閉包を第j運動量作用素という。
Pjは本質的に自己共役である事が知られている。より一般に
…(A1)
という形で書ける微分作用素は本質的に自己共役である新井(p198)。特に

の閉包として書ける軌道角運動量作用素も自己共役である。
(A1)の形の微分作用素Dが自己共役である事の証明は本項の範囲を超えるため省略するが、Dが対称作用素である事は以下のように示すことができる。φ, ψ ∈C∞
0(Rd)に対し、部分積分の公式から

である。(A1)の形の微分作用素は
の実数係数多項式であるので、
が成立する。Dの定義域C∞
0(Rd)は
で稠密だったので、これはDが対称作用素である事を意味する。
シュレディンガー作用素[編集]
量子力学では時刻tに依存するかもしれないポテンシャルと呼ばれる実数値局所可積分関数V(x,t)を固定し、シュレディンガー作用素と呼ばれる作用素
を考える。ここでmjは何らかの定数で、物理的にはj番目の粒子の質量を表す。またlは次元であり、物理学的なセッティングでは3である。各時刻tに対しシュレディンガー作用素は常に対称作用素であるが新井(p227)、本質的に自己共役であるか否かはポテンシャルによる。
時間非依存かつ一粒子のシュレディンガー作用素
に関しては、以下の条件をみたすときには本質的に自己共役である事が知られているP01(p82):
を満たす非負かつ非減少な連続関数Q(r)で
となるものが存在する。
また時間非依存かつ一粒子のハミルトニアンが以下の条件を場合もハミルトニアンは本質的に自己共役であるP01(p88)H13(p192):
で、しかも
超関数によるデルタ関数の定式化[編集]
量子力学を定式化するため、ディラックはデルタ関数
を導入した。数学的に見た場合、このような「関数」は存在しないものの関数概念を一般化した「超関数」の概念を使う事でデルタ関数を数学的に定式化でき、これによりディラックの議論をある程度の部分まで数学的に正当化ができる(全ての議論を正当化できるわけではない。詳細後述)。そこで本稿では超関数の概念を導入し、デルタ関数を超関数の概念を使って定式化し、超関数の性質を調べる。
準備[編集]
本節では超関数の概念を定式化するのに必要な概念を導入する。
C∞
0(Rd)と
の定義[編集]
C∞級関数 s.t. ある有界閉集合Kが存在し、ψはRd\K上で恒等的に0である
とする。
さらにα=(α1,...,αd)、β=(β1,...,βd)に対し、及びC∞級関数ψ : Rd → Cに対し、
、ここで
と定義する。C∞級関数ψ : Rd → Cが
- 任意のα=(α1,...,αd)、β=(β1,...,βd)に対し、
という性質を満たすとき、ψを急減少関数といい、Rn上の急減少関数全体の集合
と書き、
をシュワルツ空間というF15(p109)。
性質[編集]
明らかに

である。また前述したようにC∞
0(Rd)はL2(Rd)の稠密部分空間なので、次の事実が成り立つ:
はL2(Rd)の稠密部分空間である新井(p190-191)。
定義から明らかなように
は次を満たす
- ψ(x1,...,xn)∈
なら、任意のα=(α1,...,αd)、β=(β1,...,βd)に対し、
よって特に、位置作用素や運動量作用素は
の元を
の元に写す。
収束[編集]
C∞
0(Ω)の元の列および
の元の列の収束性を定義する。
以下の2条件を満たす時、C∞
0(Ω)の元の列{φn}はC∞
0(Rd)の元φに収束するというF15(p103):
- nに依存しない有界閉集合K⊂Ωで、supp φn⊂Kが任意のnに対して成立するものが存在する。
- 任意のβ=(β1,…,βn)に対し、
が成立する。
また以下の性質が満たされているとき、
の元の列{ψn}は
の元ψに収束するという:
- 任意のα=(α1,...,αd)、β=(β1,...,βd)に対し、
超関数の定義[編集]
シュワルツ超関数の定義[編集]
ΩをRdの開集合とし、ψ : Ω → Cを局所可積分関数とするとき、C∞
0(Ω)上の線形汎関数Tψを
、 
により定義することで、局所可積分関数ψにC∞
0(Ω)上の線形汎関数Tψを対応させる事ができる。この対応関係が単射な事は容易に確かめられるので、ψとTψを自然に同一視することにすると、C∞
0(Ω)上の線形汎関数の集合は局所可積分関数の集合を部分集合として含むことになるので、C∞
0(Ω)上の線形汎関数を局所可積分関数よりも広いクラスの「関数」であるとみなせる。そこでC∞
0(Ω)上の線形汎関数で「連続」なものの事をシュワルツ超関数、あるいは単に超関数と呼ぶことにする。ここでC∞
0(Ω)上の線形汎関数Tが連続であるとは、C∞
0(Ω)の元の列{φn}がC∞
0(Rd)の元φに収束するときは常に

が成立する事を言うF15(p103)。2つの超関数に対してその線形和を自然に定義できるため、超関数全体の集合はベクトル空間をなす。
同様に、線型汎関数

で、
の元の列{ψn}が
の元ψに収束するなら

を満たすものを連続であるといい、
からCへの連続な線型汎関数を緩増加超関数といい、緩増加超関数全体の集合を
と書き表す。
以下、超関数Tと局所可積分関数ψに対し、

と表記する。緩増加超関数に対しても同様の表記を用いる。なお上述の表記は内積に似ているが、内積の定義では複素共役を取っている事が原因で、

となることに注意されたい。
超関数と緩増加超関数の関係[編集]
Tを緩増加超関数とするとき、Tの定義域を
の部分集合C∞
0(Rd)に制限した

は超関数になる。よって制限写像により緩増加超関数全体の集合
から超関数全体の集合
への写像
、
を考える事ができる。この写像は単射である事が知られているので、この写像により自然に
を
の部分集合とみなすことができる。
デルタ超関数[編集]
ディラックのデルタ関数の概念は、緩増加超関数の概念を用いて定式化する事ができる。ΩをRdの開集合とするとき、以下のように定義される超関数をデルタ超関数という:
、 
内積の定義より、これは

を意味する。上式をL2空間における内積の定義と照らし合わせると、上式はディラックの議論における

を数学的に正当化したものとみなせる。
超関数の偏微分[編集]
超関数に対する偏微分の概念を定義する為、まずはC∞
0(Ω)の元の偏微分に関して簡単な考察をする。φ、ψをC∞
0(Ω)の2つの元とするとき、C∞
0(Ω)の定義よりφ(x)、ψ(x)が0でないxの集合は有界閉集合であるのに対し、ΩをRdの開集合であるので、Ωの境界上ではφ(x)、ψ(x)は0になる。よって微分積分学の基本定理から、

が成立する。よってライプニッツルールにより


が成立する。そこで上式を参考にして、超関数Tの偏微分を

により定義する。C∞
0(Ω)の元は無限回微分可能なので、上記の定義は常に意味を持つ。より一般に微分作用素を

も定義可能である。
ここで注意すべきことは、局所可積分関数ψそれ自身が偏微分不能な関数であっても、
は定義可能な事である。これはψの偏微分は通常の関数としては存在しなくとも、超関数の中にはψ(と同一視されるTψ)の偏微分が存在する事が原因である。紛れがなければ以下
の事を単に
と書き、
をψの超関数としての偏微分と呼ぶ。
また通常の関数の場合、仮に二階偏微分可能であっても
と
が異なる関数になる場合があるが、超関数としての微分を考えた場合、
と
は必ず同一の超関数になる事を簡単に確認できる。
限界[編集]
以上で示したように、超関数の概念を用いる事でディラックによるデルタ関数の議論の一部を数学的に正当化できるが、超関数を用いても全ての議論を正当化できるわけではない。例えば以下の議論は超関数では正当化されない:
- 公式
:そもそも超関数同士の積は定義不可能である。(詳細はシュワルツ超関数の項目を参照されたい)
- C∞
0(Ω)以外のL2空間の元とデルタ関数との内積を取ること:前述した内積の定義は超関数とC∞
0(Rd)の元との間にのみ定義されているので、C∞
0(Ω)に属していない元とは内積を取れない。
- デルタ関数は超関数であり、L2空間の元ではないので、デルタ関数をあたかも通常の状態ベクトルであるかのように扱う議論は必ずしも正当化できない。
弱微分[編集]
ΩをRdの開集合とする。局所可積分関数ψ、χ : Ω → Cに対応する超関数Tψ、Tχが

を満たす時、χはψの弱微分であるとい、

と表記する。
運動量作用素(の閉包作用素)Pjの定義域は以下のように書くことができる事が知られている:

フーリエ変換[編集]
本節では、関数 f: R → C のフーリエ変換

とその逆変換に当たるフーリエ逆変換

の厳密な定義を述べ、その性質を調べ、そして最後に位置作用素と運動量作用素が(換算プランク定数を除いて)フーリエ変換で移り合う関係にある事を見る。
フーリエ変換とその逆変換を定義する上で問題になるのは、fやgがどのようなクラスに属すればこれらの変換が定義でき、変換によってできあがる関数
、
がどのようなクラスに属するか、という事である。本節ではまずシュワルツ空間という関数空間のクラスを定義し、フーリエ変換がシュワルツ空間上の全単射になっている事を示す。次に本節では、シュワルツ空間上の線型汎函数である「緩増加超関数」に対してもフーリエ変換が定義可能なことを見る。そして最後にフーリエ変換がL2空間上の全単射になっている事を見る。
と
の上のフーリエ変換[編集]
上のフーリエ変換[編集]
次が成立する事を簡単な計算で確かめることができる:
- フーリエ変換とフーリエ逆変換を
上で定義する事ができる。しかもこれらの変換は
上の全単射であり、フーリエ変換とフーリエ逆変換は逆写像の関係にあるF15(p112)
またこれらの変換は連続である:
の元の列{ψn}が
の元ψに収束するなら、
と
が成立するF15(p112)。
シュワルツ関数の埋め込み[編集]
に対し、超関数の時と同様

と定義する事で、シュワルツ関数
に緩増加超関数Tψを対応させることができる。この対応

は単射かつ連続で、しかもその像は値域において稠密である事が知られているM07(p17)。
上のフーリエ変換[編集]
の元ψ、χに対し、プランシュレルの定理


が成り立つので、
とする事で、


となる事が分かる。これを参考にして緩増加超関数Tのフーリエ変換を

により定義し、同様にフーリエ逆変換を

により定義する。これらの変換は緩増加超関数全体の集合
で逆写像の関係にある事を以下のように簡単に示すことができる:


上のフーリエ変換が連続であることから、上に定義した
上のフーリエ変換も連続である事が従う。
L2空間上のフーリエ変換[編集]
定義[編集]
L2関数ψに緩増加超関数

を自然に対応させることで、L2空間を
の部分集合とみなせる。よって
上でフーリエ変換の定義域をL2空間に制限する事でL2空間にもフーリエ変換が定義できる。次の事実が成り立つことが知られている:
- L2関数のフーリエ変換はL2関数であり、しかもフーリエ変換は
上の内積を保つ新井(p197)M07(p17)
すなわち、
- L2関数のフーリエ変換
上ユニタリ変換である新井(p197)
実はこのような性質を満たすフーリエ変換の拡張は一意である:
上ユニタリ変換で、
への制限が
上のフーリエ変換と一致するものはただ一つである新井(p197)。
性質[編集]
L2関数ψのフーリエ変換は

という形式で書くことができない。なぜならψがL2関数の場合は上述の積分は一般には定義できるとは限らないからである。しかし

は定義でき新井(p197)、L2関数のフーリエ変換は以下を満たすことが知られている:
- R→∞のとき、

すなわちFR(ψ)は
にL2収束する新井(p197)。
運動量作用素のフーリエ変換[編集]
最後に、位置作用素と運動量作用素とがフーリエ変換で移り合う関係にある事を見る。
そのためにより一般に微分作用素
(の閉包作用素)を考え、多項式Fを

と定義すると、以下が成立することが知られている新井(p198):

ここでMFはFを乗じる掛け算作用素である。よって特に運動量作用素

(の閉包作用素)は

を満たす。xj倍する掛け算作用素は位置作用素であったことから、上式は換算プランク定数を除いて位置作用素と運動量作用素が移り合うことを意味する。
スペクトル[編集]
スペクトルとは、有限次元における固有値・固有ベクトルの理論の「無限次元版」であり、量子力学では物理量を観測する時に得られる値の集合となる。本節の目標は、ヒルベルト空間上定義された自己共役作用素のスペクトルの概略を述べる。
有限次元における固有値[編集]
無限次元におけるスペクトル理論について述べる前に、まず有限次元の固有値の性質を調べる。λが
の固有値である事は明らかに

を意味し、これはA-λIは単射ではない事を意味する。
が有限次元であれば線形写像が単射である事は全射である事と同値なので、λがAの固有値である事はA-λIが全単射でない事と同値である。したがってλがAの固有値ではない場合、A-λIは全単射である為、

が存在し、逆にRλが存在すればλはAの固有値ではない。
しかし無限次元の場合には
- 単射ではない全射線形作用素
- 全射ではない単射線形作用素
が存在するため、このような単純な関係は存在しない。スペクトル理論は、上述のような作用素の存在を考慮した上で、固有値・固有ベクトルの理論を適切に「無限次元化」したものである。
スペクトルの定義[編集]
これまで同様
をヒルベルト空間とし、
を稠密に定義された(有界とは限らない)閉作用素とし、λを複素数とする。恒等写像Iは全域で定義されているので、A-λIもAと同一の定義域を持つ作用素として定義できる。

が全単射である複素数λ全体の集合をρ(A)と書き、Aのレゾルベント集合といいS12(p7)、その補集合
をAのスペクトルというS12(p7)K12(p30)。さらにスペクトルσ(A)に属するλをAのスペクトル点であるというH13(p177)。なお、本稿で述べているレゾルベント集合を狭義のレゾルベント集合と呼び、「レゾルベント集合」という語には別の意味を与えているテキストも存在するので注意されたい。
レゾルベント[編集]
λがレゾルベント集合ρ(A)に属していれば
は全単射なので、A-λIの逆写像

が定義できる。RλをAのλにおけるレゾルベントという。Aが閉作用素の場合、Rλは必ず有界である事が知られているL04(p38)。なお本稿ではAが閉作用素の場合に限定してレゾルベント集合を定義したが、Aが閉作用素でない場合にレゾルベント集合の定義を拡張する際は、A-λIが全単射になり、しかもRλが有界になるλの全体をレゾルベント集合と定義する新井(p125)。
点スペクトル[編集]
スペクトルσ(A)の定義より、λがσ(A)に属する場合、A-λIは全単射でない。すなわちA-λIは「全射でない」かもしくは「単射でない」事を意味する。σ(A)の元のうち、A-λIが単射でない複素数λ全体の集合をσP(A)と書き、σP(A)をAの点スペクトルというK12(p30)新井(p92)。λがσP(A)の元であれば明らかに

であるので、

となる0でない
が存在する。すなわち点スペクトルσP(A)の元はAの固有値であるK12(p30)。σP(A)の元λに対し、
の0でない元をAのλに対応する固有ベクトルといい、
をλの多重度というK12(p30)。
有限次元の場合と違い、A-λIが単射であるにも関わらず、全射ではない事が起こりうる。よって
は一般には空集合ではない。
の詳細については後述する。
剰余スペクトル、連続スペクトル[編集]
スペクトルσ(A)に属するλのうち、A-λIが単射でないもの全体が点スペクトルσP(A)であった。それ以外のσ(A)の元、すなわちA-λIが単射ではあるが全射でないものは2つのタイプに分類できる。A-λIが単射であるが全射でなく、しかもその像

が値域
で稠密になるλ全体の集合をσc(A)と書き、Aの連続スペクトルという。一方A-λIが単射であるが全射でなく、しかも
が
で稠密ではないもの全体の集合をσr(A)と書き、Aの剰余スペクトルというS12(p12)。
λがAの剰余スペクトルもしくは連続スペクトルに属していれば、A-λIは単射であるので、A-λIの像
の上定義された逆写像
を定義できる。この意味において、レゾルベント集合においてもA-λIの逆写像が定義できるので、この意味で剰余スペクトルや連続スペクトルはレゾルベント集合に類似しているが、違いは逆写像の定義域にある。レゾルベント集合においては
は
の全域で定義され、しかも(Aが閉作用素であれば)
は必ず有界である。それに対し連続スペクトルの場合は
の
の稠密部分空間で定義されているに過ぎず、しかも
は有界ではない新井(p125)。さらに剰余スペクトルにおいては
の定義域は
で稠密ですらない。
以上で定義した概念をまとめると次のようになる。まず全空間Cはレゾルベント集合ρ(A)とスペクトルσ(A)により、

と互いに交わらない和として書き表す事ができ、さらにスペクトルσ(A)は点スペクトルσP(A)と連続スペクトルσc(A)と剰余スペクトルσr(A)により、

と互いに交わらない和として書き表せる。なお連続スペクトルは本稿で述べたのとは別の定義があり、その定義を採用した場合には連続スペクトルと剰余スペクトルは排他的になるとは限らないK12(p30)。
点スペクトルσP(A)以外ではA-λIが単射になるので、A-λIの像の上で逆写像
が定義できるが、剰余スペクトルでは
の定義域は有界ではなく、連続スペクトルでは稠密に定義されているが有界ではなく、レゾルベント集合では全域で定義されていてしかも有界である。
自己共役作用素のスペクトル[編集]
本節では以下、
を(稠密に定義された有界とは限らない)自己共役作用素とする。このときσ(A)は実数体Rの閉部分集合である事が知られているH13(p177-178)。またσ(A)の元は必ずしも点スペクトルではないため、
が0となるψ≠0が存在するとは限らないが、
をいくらでも0に近く取る事ができるH13(p177-178):
である必要十分条件は、Dom(A)に属する単位ベクトルの列{ψn}n∈Nが存在して
となる事である。
なお上の後半の性質を満たすλ全体の集合をσapp(A)と書き、近似スペクトルというS12(p12)。したがって上述の事実は、自己共役作用素のスペクトルは近似スペクトルと一致する事を意味する。さらに次が成立する事が知られている:
- 自己共役作用素の剰余スペクトルσr(A)は必ず空集合であるK12(p30)。
以上をまとめると、

が成立する。
スペクトル分解と観測[編集]
スペクトル分解とは、有限次元ベクトル空間における線形作用素の固有値分解を無限次元に拡張したものであるが、単純に有限次元の固有値分解を無限次元に拡張することはできない。これは無限次元の場合、有限次元と違って連続スペクトルが存在し、連続スペクトルには点スペクトル(=固有値)と違い、対応する固有ベクトルが存在しないことに起因する。
本稿では自己共役作用素をスペクトル分解する方法として、以下の3種類を紹介する:
- 直積分によるスペクトル分解
- スペクトル測度によるスペクトル分解
- ゲルファントの3つ組によるスペクトル分解
これら3つのスペクトル分解のうちで、量子力学において通常用いられるスペクトル分解の定式化、すなわちデルタ関数を用いたスペクトル分解に最も近いのは最後にあげたゲルファントの三つ組によるものである。しかしこのゲルファントの三つ組によるスペクトル分解は、すべての自己共役作用素に対して適応できるわけではないという欠点を持つ上、この手法でスペクトル分解するには数学的な準備が必要となる。そこでこの手法によるスペクトル分解は後の節にまわし、本節では残り2つのスペクトル分解を紹介する。
直積分によるスペクトル分解[編集]
が有限次元の場合、
を
のように直和として表記可能である。ここでAは
上の自己共役作用素であり、
は固有値λに対応する固有空間である。さらに任意の
に対し、
である。
一方
が無限次元の場合には、Aは非可算無限個のスペクトル点を持ちうるので、単純に上式を無限次元に拡張する事はできない。しかしベクトル空間の「直和」の代わりに「直積分」という概念を用いる事で無限次元の場合も同種の公式が成立する事が知られており、これをAの直積分によるスペクトル分解と呼ぶ。本節では直積分の概念を数学的に定式化し、直積分を用いて上式を無限次元の場合に拡張する。
直積分の定義[編集]
まず直積分の概念を定式化する。X⊂Rを可測な集合とし、
を(有限次元または無限次元の可分な)ヒルベルト空間の族とし、
上の内積を
と書き表す。さらにμをσ-有限(英語版)なX上の測度とする。
で
を満たすもので、「可測」(詳細後述)なものを
の切断(section)と呼ぶ。さらに2つの切断
、
に対し、sとtの内積を
により定義することができる。自分自身との内積
が有限になる切断全体のなすベクトル空間を考え、このベクトル空間を測度μに関してほとんど至る所等しい切断を同一視する事で得られるベクトル空間を
と表記し、
のμによる直積分(英語版)と呼ぶH13(p144-147)。直積分は前述した内積に関して完備であることが知られており、よって直積分はヒルベルト空間になるH13(p144-147)。
可測性の定義[編集]
前節でペンディングしていた
の可測性の定義を述べる。
可測性を定義するには、
に技術的な付加構造を加える必要がある(よって直積分は
にこの付加構造を付け加えた場合のみ定義可能である)。以下の3条件を満たす可算個の切断の組
が存在するとき、
を
の同時正規直交基底(simultaneous orthonormal basis)といいH13(p144-147)、
と同時正規直交基底
の組を可測構造(measurability structure)つきのヒルベルト空間族というH13(p144-147):
- 任意のλ∈Xと任意の相異なるj, k ∈ Nに対し、

- 任意のλ∈Xと任意のj ∈ Nに対し、
は0もしくは1である。
- 任意のλ∈Xに対し、

なお、写像
が可測であるときは、
は必ず同時正規直交基底を持つことが知られている。
上の可測構造を一つ固定したとき、以下の性質を満たす切断
は可測であるというH13(p144-147):
- 任意のj∈Nに対し、
は可測。
スペクトル分解[編集]
をヒルベルト空間とし、Aを
上の自己共役作用素とする。このときAのスペクトルσ(A)上のσ-有限測度μAと可測構造つきヒルベルト空間族
が存在し、次の事実が成り立つことが知られている(直積分によるスペクトル定理)H13(p206-207)
- ヒルベルト空間としての同型写像
が存在する。さらにAU := UAU-1とするとき、任意の
に対し、

- である。ここで、
。
上述の定理は
が無限次元の場合も、
をAの「固有空間」
の直積分に分解でき、しかも直積分の元sのAUによる像AU(s)の「
成分」である(AU(s))(λ)はsの「
成分」s(λ)を「固有値」λ倍したものになっている事を意味するように見えるので、
をλに対応するAの一般化した固有空間、
の元をλに対応するAの一般化した固有ベクトルであるとみなし得るH13(p147-148)。実際、スペクトル点τ∈σ(A)においてμ({τ})>0であれば、sτ∈
に対し切断を
により定義すると、写像

は


を満たすので、
の元はAUの0でない固有ベクトルになる。しかしμ({τ})=0の場合にはmτが恒等的に0である為、
は通常の意味での固有空間にはならない。
直積分によるスペクトル定理は、掛け算作用素によるスペクトル定理から容易に従う[注 3]。実際、掛け算作用素によるスペクトル定理より、
は何らかのL2空間
と同型で、Aは
上で実数値関数
を乗じる作用素として表現できるので、hの像である実数直線R上に測度h*(μ)を入れれば、
、 ここで
と表記できる。
が{0}でないλの集合がσ(A)と一致する事を容易に確認できるので、上記の積分をσ(A)に制限すれば、直積分によるスペクトル定理が従う。
スペクトル測度によるスペクトル分解[編集]
本節では、非有界作用素のスペクトル分解に必要となるスペクトル測度という概念を定式化する。まず、スペクトル測度の概念を定式化する動機を与える為に、有限次元における固有値分解を復習する。
を有限次元のヒルベルト空間とし、Aを
上の自己共役作用素とする。有限次元の場合、自己共役作用素は必ず固有値分解可能な事が知られている。すなわちAの固有値をλ1、…、λnとし、これらの固有値に対応する固有空間をV1、…、Vnとすると、
の元ψは必ず
- ψ=ψ1+…+ψn、 ψ1∈V1、…、ψn∈Vn
と表現でき、
- Aψ=λ1ψ1+…+λnψn
が成立する。そこで
の元のVjへの射影変換をPjとすると、明らかに
が成立する。
スペクトル測度μは、以上の考察を無限次元に拡張する事を可能にする概念であり、Rのボレル可測部分集合Bに対し、
の閉部分線形空間への正射影変換μ(B)を対応させる。スペクトル測度μの概念を直観的に説明するため、再び有限次元の場合を考えると、Bとスペクトルσ(A)={λ1,…,λn}の共通部分が
であるとき、スペクトル測度μによるBの像μ(B)は、
の元を
の部分空間
に射影する射影変換である。
スペクトル測度[編集]
スペクトル測度の概念を厳密に定式化する。なお、スペクトル測度の概念それ自身は、Aのスペクトルとは無関係に定義する。スペクトル測度の概念がAのスペクトルと結びつくのは、後述するスペクトル定理においてである。
を
の元を
の閉部分線形空間に対応させる正射影作用素全体の集合とする。すなわち
(閉部分線形空間) s.t.
さらに
をR上のボレル加法族とする。直観的にはこのRは、自己共役作用素のスペクトルやレゾルベントの取りうる値の集合である。
写像
が以下の3性質を満たすとき、μをスペクトル測度、正射影作用素値測度、もしくは単位の分解というH13(p138)新井(p136):

が互いに素であれば、
である。ここで収束は作用素ノルムの意味でのもの(すなわち強収束)である。
であれば、
スペクトル分解[編集]
をスペクトル測度とするとき、次の事実が成り立つことが知られているH13(p139)新井(p138)。ここで
は
の内積である:
- ψを
の元とする。この時、写像
はRd上の複素数値の測度である
上述のように定義される測度をμψと書くとき、μψによる(有界とは限らない)可測関数fのルベーグ積分は何らかの非有界線形作用素Ffを用いて、
for
、
と書ける事が知られているH13(p202)。この線形作用素Ffを
と表記し、スペクトル測度μによるfの作用素値積分(operator-valued integral)というH13(p139)。
なお任意の可測関数fに対しDom(Ff)は
で稠密であることが知られているのでH13(p203)、作用素値積分は
上稠密に定義された線形作用素である。またfが実数値可測関数の場合は作用素値積分は必ず自己共役作用素になる事も知られているH13(p204)。
をヒルベルト空間するとき次の事実(スペクトル測度によるスペクトル分解定理)が成り立つ事が知られているH13(p141):
- 稠密に定義された非有界な任意の線形作用素
に対し、スペクトル測度μが一意に存在し、
なお、μはAのレゾルベント集合上で0になる事が知られているのでH13(p141)、上述の積分を
と書き表す事もできる。
スペクトル分解定理は前述した有限次元の場合の固有値分解
の無限次元版である。実際、ディラック測度δx(B)を
により定義し、スペクトル測度μを
とすれば、両者が一致する事を確認できる。
直積分によるスペクトル分解との関係[編集]
スペクトル測度によるスペクトル分解定理は直積分によるスペクトル定理から容易に従う。実際、直積分によるスペクトル定理から
は直積分
として表現できるので、B⊂σ(A)に対してμ(B)を
とすればよい。ここでχBはBの特性関数である。
観測[編集]
観測確率[編集]
Aを何らかの物理量を表す自己共役作用素とし、μをAのスペクトル測度とする。量子力学では以下を仮定する:
- 物理量の観測確率に関する仮定:
を単位ベクトルとするとき、状態ψにある系でAを観測した観測値λがボレル集合
に属している確率は
である新井(p212)。
直積分を使うと、上の仮定をより直観的に表現できる。状態空間
をAのスペクトルでスペクトル分解して
と直積分で書き表し、ψを直積分の切断として
と書き表すと、直積分とスペクトル測度の関係により、状態ψにある系でAを観測した観測値λがボレル集合
に属している確率は
に一致する。
また簡単な計算により、Aを観測した観測値の期待値が
となる事を確かめられる新井(p213)。
波束の収縮[編集]
量子力学では以下を仮定する:
- 波束の収縮に関する仮定:物理量Aを観測した観測値λがAの固有値であれば、観測直後の状態ベクトルはAのλに対する固有ベクトルになる新井(p212)。
上述の仮定では観測値が固有値、すなわち点スペクトルに属していた場合の事を述べているが、観測値が連続スペクトルに属していた場合については何も規定していない事に注意されたい。
ゲルファントの3つ組によるスペクトル分解[編集]
前節までで見たように、状態空間
が無限次元である場合のスペクトル分解においては連続スペクトルが生じるため、全てのスペクトル点に対して対応する「固有関数」が存在するわけではないという困難を抱える。そこでディラックは、状態空間
にデルタ関数のような超関数を添加し、これら超関数を一種の固有関数だとみなす事でこの困難を解消する道筋を建てた。
本節では、このディラックのアイデアを拡張することで得られるゲルファントの三つ組の概念を用いて、自己共役作用素をスペクトル分解する方法を説明する。
ゲルファントの三つ組[編集]
ゲルファントの三つ組の定義の基本的な雛形は、(緩増加)超関数の概念である。そこで、まず、緩増加超関数の定義を振り返る。今シュワルツ空間
からヒルベルト空間
へは自然な単射

が存在する。
に対し、写像ι†(ψ)を


と定義すると、

なので、写像


を定義する事ができ、ι†は反線形写像となる。
定義[編集]
以上の議論を踏まえ、より一般に位相の定義されたベクトル空間
からヒルベルト空間
への連続な単射

があるとき、
の双対空間
を
、連続かつ線形
と定義すると、シュワルツ空間
のときと同様の方法により、反線形写像
、
を定義できる。
が
で稠密なとき、このようにしてできた三つ組

を、
を
に付随するゲルファントの三つ組(英語版)もしくはrigged Hilbert spaceというM66(p1)BG(p8)F15(p117)。
ブラ-ケットベクトルによる解釈[編集]
写像

は反線形な埋め込み写像なので、
、
の共役線形空間をそれぞれ
、
とすると、


はいずれも線形な埋め込みとなる。
物理学的に見た場合、
、
はそれぞれブラベクトル、ケットベクトルの空間であったので、それを含んでいる
、
もやはり(一般化された意味での)ブラベクトル、ケットベクトルの空間とみなすことにする。
既に述べたように、連続スペクトルに対応する「固有ベクトル」は
や
の中には存在しなかった。そこでブラベクトル、ケットベクトルの空間を
や
より広い空間である
や
へと拡張し、
や
から連続スペクトルに対応する「固有ベクトル」を探す、というのがゲルファントの三つ組の基本的なアイデアである。
とくに
である場合は、
は緩増加超関数の空間
に一致するので、「固有ベクトル」として
からデルタ超関数を選ぶ事ができる。したがってこの場合は、ゲルファントの三つ組のアイデアはディラックの元々のアイデアと合致する。
ゲルファントの三つ組に関する諸概念[編集]
先に進む前にゲルファントの三つ組に関する諸概念を定義する。
内積[編集]
の元は
の線形写像なので、
の元Tと
の元ψの内積を

によって定義する。φを
の元とするとき、

となるので、上述した内積は
上の内積と両立する。
収束性[編集]
以下、
にはweak-*位相を入れたものを考える。すなわち
の点列{φn}nと
の元φが全ての
に対し

を満たすとき、{φn}nはφに収束するというF15(p117)。
一般化固有ベクトル[編集]
ディラックがデルタ関数を量子力学に導入したそもそもの動機は、デルタ関数を位置作用素に対する「固有ベクトル」とみなすというものであった。すなわち、第j方向の位置作用素

に形式的に

を代入すると、この関数はa以外で0になる事から、

であり、したがってδaは
の「固有値」ajに対応する「固有ベクトル」であるとみなせるのである。数学的に見た場合、ヒルベルト空間
において自己共役作用素
はそもそも固有値を持たないし、当然それに対応する固有ベクトルも存在しない。しかしこれはそもそもデルタ関数が
に属さない事に起因しており、ゲルファントの三つ組の概念を用いれば、こうしたデルタ関数による固有値・固有ベクトルの概念を正当化できる。本節ではまず、固有値概念の一般化であるスペクトルの概念を定式化し、ゲルファントの三つ組においてスペクトルに対応する固有ベクトル概念に相当する一般化固有ベクトルの概念を定式化する。
定義[編集]
をゲルファントの三つ組とし、Aを
上の自己共役作用素とする。本節の目標は
よりも広い空間である
からAの固有ベクトルを探す事にあるが、そもそもAは
上でしか定義されていないので、
の元をAの固有ベクトルとみなすには、まずAの定義域を
上に拡張する必要がある。
そこでAとして以下の2性質を満たすものを考えるF15(p118)。なおこの2性質を満たすとき、Aは
に付随するゲルファントの三つ組と両立するという:


Aが上述の性質を満たす時、
に対し、写像A'(T)を

により定義すると、前述の2性質からこの定義はwell-definedであり、
となる事を確かめられる。よって
上の線形写像

が定義できる。
上述のように定義したA'は埋め込み写像ι†と

という関係を満たすという意味でAの拡張になっている。実際、任意の
に対し、Aの対称性から

であるので、φ、ψの任意性から上述の事実が従う。
そこで

を満たす
を、Aの一般化固有値λ∈Cに対する一般化固有ベクトルというF15(p118)。なお、
なので、ここでいう「一般化固有ベクトル」はブラベクトルであるが、共役線形空間を考えることで、ケットベクトルの空間
上にも同様に一般化固有ベクトルの概念を考える事ができる。
であったので、Aの通常の意味での固有ベクトルは一般化固有ベクトルでもある。
定義から明らかなように、一般化固有ベクトルの定義は
に依存している。Aと両立する
は複数考えられるので、
の取り方に依存して異なる一般化固有ベクトルの概念が存在する事になる。
完全性[編集]
有限次元のベクトル空間の場合、自己共役作用素の固有値分解を行うと、ベクトル空間上の任意のベクトルは、固有ベクトルの線形和として書き表す事ができる事が知られている。この性質を満たす時、自己共役作用素は固有ベクトルの完全系を持つというが、一般化固有ベクトルの場合も類似した完全系の概念を考える事ができる。
実数λ∈Rに対し、一般化固有値λに属する一般化固有ベクトル全体の集合(すなわちλの(一般化)固有空間)

を考える。
に対し、ψとの内積

のE(λ)への制限写像

はE(λ)の双対空間E(λ)'の元である:

有限次元空間の場合であれば
は「ψのE(λ)方向成分」に相当するものであるので、
に
の族

を対応させる写像


が単射になる時、Aは
に関して一般化固有ベクトルの完全系を持つというF15(p119)。
なお、Aが運動量作用素である場合は、上述した写像
は、フーリエ変換と自然に同一視できる事が知られている(詳細後述)。そこで上述した写像のことを一般化フーリエ変換というF15(p119)。
完全形の概念はweak-*位相の言葉を用いても定式化できることが知られている:
- Aが
に関して一般化固有ベクトルの完全系を持つ必要十分条件は、
がweak-*位相に関して
で稠密である事であるF15(p119)
具体例[編集]
の場合に対し、運動量作用素と位置作用素の一般化固有ベクトルを調べる。
運動量作用素[編集]
運動量作用素

が
と両立する事は既に述べた。
に対し、

とすると、一般化固有値λ対する
の一般化固有ベクトル
は

を満たすので、任意の
に対し、

となる。よって

という微分方程式の解が
となる。したがって
for some 
という形のものは全て解となる。ここで上式右辺は
を乗じて積分する超関数を表す。またこれ以外に解がない事も知られているF15(p120)。
以上の議論から
の一般化固有値λに対応する一般化固有空間E(λ)は

である。これは一次元空間なので、
である。したがって
に対し、

は、

である。すなわち
を
倍する写像である。したがって
に関する
の一般化フーリエ変換

は自然に