金剛頂寺 (室戸市)

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金剛頂寺
金剛頂寺本堂
本堂
所在地 高知県室戸市元乙523
位置 北緯33度18分26秒
東経134度07分22.3秒
座標: 北緯33度18分26秒 東経134度07分22.3秒
山号 龍頭山
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
創建年 (伝)大同2年(807年
開基 (伝)嵯峨天皇(勅願)、空海(弘法大師)
正式名 龍頭山 光明院 金剛頂寺
別称 西寺(にしでら)
札所等 四国八十八箇所26番
文化財 銅造観世音菩薩立像・木造阿弥陀如来坐像・
板彫真言八祖像・銅鐘・金銅旅壇具・
金銅密教法具(国の重要文化財)
法人番号 3490005005785
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金剛頂寺(こんごうちょうじ)は、高知県室戸市元乙に位置する寺院。龍頭山(りゅうずざん)、光明院(こうみょういん)と号す。宗派は真言宗豊山派本尊薬師如来四国八十八箇所霊場の第二十六番札所である。

室戸市周辺では西寺とよばれる[1]

本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

ご詠歌:往生に 望みをかける 極楽は 月のかたむく 西寺のそら

概要[編集]

本坊の桜

当寺は標高165m辺りの三角山の中腹にあり、室戸岬を臨め眼下に太平洋が広がる行当岬上部の景勝地にある。当寺から南に下がった海岸は行当岬の東側にあたり、硯が産出されたことから硯が浦とも呼ばれる。

『拾遺往生伝』によると、当寺11世住職・蓮薹(れんたい)は、承徳2年(1098年)6月7日、高野山からの帰り道で「南無弘法大師遍照金剛菩薩」と云えりとあって、大師宝号を初めて唱えたとされている[2]

歴史[編集]

寺伝によれば、空海(弘法大師)にとって最初の勅願寺の創建として、大同2年(807年平城天皇勅願により、本尊薬師如来を刻んで「金剛定寺」と号し、女人禁制の寺院であったという。次の嵯峨天皇が「金剛頂寺」の勅額を下賜し、その寺名に改められた[3]。『南路志』(江戸時代の土佐の地誌)所収の寺記によれば、大同元年、唐から帰国途次の空海が当地に立ち寄り創建したとされる。同寺記によれば、さらに次の淳和天皇も勅願所とし、住職も10世まで勅命によって選定され[4]16世・覚有の頃まで寺運は栄え、多い時は180人余の修行僧がいた。

延久2年(1070年)の「金剛頂寺解案」(こんごうちょうじげあん、東寺百合文書のうち)によれば、当時の寺領は、現・室戸市のほぼ全域にわたっていた[4]

鎌倉時代になると無縁所となり、体制から逃れた人々をすべて受け入れ「西寺乞食(にしでらこつじ)」と呼ばれるようになり、侵すことのできない聖域として存在した。

文明11年(1479年)には堂宇を罹災したが、長宗我部元親が寺領を寄進しているほか、土佐藩主山内家の祈願所とされ、復興は早く整備された。その後、明治32年(1899年)の火災で大師堂・護摩堂以外の伽藍を焼失し、本堂ほか現存する堂宇は再建である[4]阿南室戸歴史文化道の指定を受けている。

境内[編集]

本堂
勅使門跡
  • 山門仁王門):大正2年(1913年)再建、 仁王像は昭和59年(1984年)に造像。
  • 本堂:昭和57年(1982年)再建。大晦日から正月八日にかけて、本尊薬師如来が開帳される。
  • 大師堂:寛文5年(1665年)再建。本尊は弘法大師半躰像[5]。京都神護寺の板彫弘法大師像(重要文化財)[6]は正安4年(1302年)に性仁法親王が仏師定喜を当寺に派遣し当寺の大師堂本尊を模刻して造させ、表情は少し異なるが顔はそっくりである。毎年、開帳は旧暦3月21日。室戸世界ジオパークセンター[7]に当大師像のレプリカが展示されている。
  • 霊宝殿:昭和34年(1959年)建立、 重要文化財の数々が納められている。
  • 鐘楼堂:六本柱の吹き流し形式、平成15年(2003年)再建。地形上、定規筋を入れた筋塀をめぐらせないので、柱の本数で格式の高さを表す。
  • 稚児大師石像
  • 一粒万倍の釜:多くの修行僧がいた頃この釜でご飯を炊いたと云われる。
  • がん封じの椿霊木
  • 智光上人廟:第二世住職、承和2年(835年)4月21日入滅。安産祈願の石が御廟を囲んでいる。出産前に持ち帰り出産後に戻す。
  • 北向地蔵堂祠:地蔵石像
五智如来石碑
  • 五智如来石碑:県最古の石板塔婆で五如来の梵字や光明真言が刻まれ嘉元3年(1305年)8月18日の刻印がある。
  • 姿見の池:空海がこの池に写った自分の姿を見て刻んだという。上記石碑の前にある。
  • 多宝塔跡:本堂の向かって右奥の丘。1327年に造られた板彫真言八祖像が塔内部の壁に掛かっていたが1479年塔は焼失。1689年の『四国遍礼霊場記』には描かれていないが1800年の『四国遍礼名所図会』には描かれており1899年に再度焼失。その後再建されず。
  • 弁財天
  • 勅使門跡:現在、門は無く12段の石段の先に灌頂堂がある。
  • 護摩堂(本坊):寛文5年(1665年)再建。本尊・理源大師聖宝、宿泊者のみ朝の勤行のときだけ参拝可
  • 魚籃観音(ぎょらんかんのん)石像
  • 三十六童子像:宿坊前の駐車場脇にある

駐車場から厄坂の石段を上って途中に山門があり、さらに上り詰めると広い境内に入る。すぐ左側に手水場が、左に回り込むと大師堂がある。正面奥に間口の広い鉄筋コンクリートの本堂が建っている。本堂手前に鐘楼、数々の重文が収蔵されている霊宝殿は本堂の左にあり地下でつながっている。境内伽藍エリアから左方向に数段下りると小さな池があり中に弁財天の祠がある。その先に行くと宿坊があり、さらに奥の本坊と通路でつながっていて、通路の本坊側に護摩堂がある。本坊の下段に魚籃観音石像がある。大師堂に向って右前に一粒万倍の釜がある。納経所は本堂の手前左にある。智光上人廟は鐘楼と本堂の間から山林の中に入った奥にあり、その途中にヤッコソウの自生地がある。

  • 西寺檀信徒会館(宿坊):定員100名
  • 茶室「影向庵」
  • 駐車場:20台、大型3台(納経所にて駐車料:普通車200円、マイクロバス400円、大型バス1000円)
  • 大師堂裏の三面のレリーフ:『弘法大師行状絵詞(ぎょうじょうえことば)巻二 金剛定額(こんごうじょうがく)』(南北朝時代制作・東寺所蔵・重文)の場面。「金剛定額」空海が楠の洞穴に自身の姿を描くと魔物たちは寄り付かなくなったという。「天狗問答」空海が19才のとき修行をしたころ当地は魔性の物の往来が激しく天狗等を問答勝伏し足摺岬の西方へ駆逐し来障させないためその方向に向かって大師堂は建っている。「室戸伏龍」修行の邪魔をする海中から毎夜出現する毒龍を加持により退散させた。の三つの逸話を描いている。

文化財[編集]

この節には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(「四橛」の2文字目)が含まれています(詳細)。
重要文化財
  • 銅造観世音菩薩立像:飛鳥時代後期、銅造、像高22cm、総高29cm。
  • 木造阿弥陀如来坐像:平安時代後期、檜の寄木造、古色、像高88cm。
  • 板彫真言八祖像:鎌倉時代嘉暦2年(1327年)仏師法眼定審の作、木造板彫、彩色、寸法(縦)は龍猛88.6cm、龍智86.4cm、金剛智85.8cm、不空87.4cm、善無畏85.5cm、一行87.4cm、恵果87.2cm、空海87.3cm。各裏面に嘉暦二年、大仏師法眼定審作の墨書銘がある。現存の絵画では、天暦5年(951年)の醍醐寺五重塔の初層壁画が一番古いが、彫物では当寺のが一番古い。
  • 銅鐘(高麗時代):高さ57cm、口径43cm、天女歌舞の模様があって頗る雅致に富む県下唯一の朝鮮鐘。明治44年8月9日指定。
  • 金銅密教法具 一具:鎌倉時代初期。
火舎(かしゃ)4口、花瓶(けびょう)5口、六器24口、輪宝及輪台1組、羯磨及羯磨台4組、金剛盤1面、独鈷杵1口、三鈷杵1口、四橛(しけつ)4本、灑水器(しゃすいき)1口、塗香器(ずこうき)1口
  • 金銅旅壇具 一具:平安時代後期、高さ約25cm、幅は約40cm、奥行は約27cm。
火舎1口、花瓶2口、六器6口(内盞1口欠)、飲食器(おんじきき)2口、金剛盤1面、五鈷鈴1口、五鈷杵1口、灑水器1口、塗香器1口、燈架2枝、燈盞1口、箱壇1基、内箱3口、香薬箱1口、閼伽桶1口、油壺1口、金剛線箱1合、金剛線残欠、明鏡1面
  • 大毘盧遮那経7巻・金剛頂経3巻:ともに平安時代初頭。
県指定保護有形文化財
  • 金剛頂寺の仏画:8幅、平成17年4月1日指定。
県天然記念物
ヤッコソウ(11月下旬)
  • ヤッコソウ自生地:高さ10cm内外の小型の植物で、花季は11月下旬〜12月上旬。
室戸市指定文化財
  • 絹本著色弘法大師像(鎌倉時代作)縦約107cm、横55cm

アクセス[編集]

鉄道
バス
道路

奥の院[編集]

新村不動堂と不動巖
不動巖の東の窟
行道不動
行当崎(ぎょうどさき)の北側で、金剛頂寺の飛び地境内として国道55号線脇の新村集会所の背後にあり、宮崎本[8]では「不動岩」、空海が行に当たられた修行地なので「行当西寺」、地元では「新村不動(しむらふどう)」と呼ばれていて、現地看板では「行道不動」となっている。明治初頭まで金剛頂寺は女人禁制で女性は入山できず、ここで納経したので女人堂とも言われていた。空海は金剛頂寺とこの岬の行場を何度も行き来し浪切不動明王を感得したと云われていて、大師作と云われる不動明王像が、年に一度旧暦1月28日(旧暦初不動)開帳される。平成23年にはその不動堂が建て直されるとともに周辺が整備された。また、大師像を納めた祠もあり、裏手の海に突き出た断崖下に平らな岩があって空海が虚空蔵求聞持法を行ったとされる「空海御座石」がある。その上には高さ40mの不動巖が聳え、中腹には窟が太平洋に向って2つ口を開けており、西の窟は広く籠堂として、東の窟は虚空蔵菩薩の祠があり求聞持法の道場として、空海を慕う後の修行僧が行った「かいさはり[9]」などの行場と考えられている[10]。なお、寂本の四国徧礼霊場記に此の所は、「行道所という岩屋あり」と書かれており、ここで空海が行道を行ったとされている[11]
池山神社
池山神社
池山池は麓から2時間位登山した山頂部分にあり水はほとんど無くアシで覆われていて、その中の島に祠がある。

周辺の番外霊場[編集]

加領郷大師堂
加領郷大師堂(かりょうごうだいしどう)
行当岬の不動堂から太平洋の海沿いの道を神峯寺へ向かう途中の加領郷漁港の近く、空海が修行されたとする場所に大師堂と空海が洗濯をしたと云われる御盥石の霊跡がある。ここには、国道脇の山側と海側に階段を下りた所との二つの大師堂があり、海側の大師堂の中には洞の開いた大きな岩があり中に石の大師像が祀られている。そこから数十m海に向かうと大きな岩があり御盥石であって、その上部に丸い穴があり水が溜まっていて水面は右回りに回っている[12]

前後の札所[編集]

四国八十八箇所
25 津照寺 -- (3.8km)-- 26 金剛頂寺 -- (27.5km)-- 27 神峯寺

周辺[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 東西に対峙している第二十四番札所の最御崎寺を東寺(ひがしでら)と呼ぶのに対し、西寺(にしでら)と呼ばれ、津照寺を津寺(つでら)と呼ぶ。
  2. ^ 往生の時が来たことを悟り高野山大門外の山中で「南無三身即一阿弥陀如来・南無大慈大悲観世音菩薩・南無弘法大師遍照金剛菩薩」と唱え入滅した。また、『高野山往生伝』には「南無三身即一阿弥陀如来・南無弘法大師遍照金剛菩薩」と唱えたとある。なお、八文字の宝号は南北朝時代の『高野由来記』に記されていて、室町時代中期、高野山の印融らにより作られたとされている。(印度学仏教研究45巻2号日野西真定/著による)
  3. ^ 先達経典 四国霊場会編 199ページより
  4. ^ a b c 『日本歴史地名大系 高知県の地名』pp.110 - 111
  5. ^ 口伝では、生木に刻まれ後年に切り出されたため背中の無い半躰像になったといわれる。(下記ジオパークセンターの展示説明による)
  6. ^ http://www.jingoji.or.jp/treasure18.html
  7. ^ 〒781-7101 室戸市室戸岬町1810-2 開館時間:9:00-17:00 電話:0887-23-1610
  8. ^ 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』解説編
  9. ^ 岸壁にしがみつきながら海に突き出た断崖や巨岩を廻る辺路修行
  10. ^ 頼富本宏「四国遍路とはなにか」より
  11. ^ 五来重「四国遍路の寺 下」164ページより
  12. ^ 四国「弘法大師の霊跡」巡り 115ページ 川崎一洋・著2012年12月18日発行 セルバ出版を参照

参考文献[編集]

  • 四国八十八箇所霊場会編『先達教典』 2006年
  • 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会、2007年(第8版)
  • 『日本歴史地名大系 高知県の地名』、平凡社、1983