金子鋭

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小千谷市白山運動公園内の金子鋭像。

金子 鋭(かねこ とし、1900年3月17日 - 1982年2月24日)は、日本銀行家プロ野球コミッショナー新潟県小千谷市出身。

来歴[編集]

エピソード[編集]

  • 明治生まれの硬骨のバンカーとして知られていた。帝大時代は大正デモクラシーの時代でもあり蝋山政道、福岡誠一と社会改良に関して語らう一本筋の入った青春時代を送っている。
  • 銀行を辞してプロ野球のコミッショナー委員会に加入するとドラフト制度の導入や黒い霧事件の対応にかかわった。池永正明永久追放を強硬に主張し、実現させたといわれる(2005年4月25日解除)。先代コミッショナーである大濱信泉の死去のあとを受けてコミッショナー職に就任した。事実上1名で2回コミッショナーをしたことは金子のみである。
  • 1978年の日本シリーズ第7戦では、ヤクルト大杉勝男が放ったホームランの判定に抗議し続ける阪急の上田利治監督に対し試合の再開を説得した。金子が説得する肉声は集音マイクを通じてテレビでも放送された。金子は怒気を含んだ声で「(コミッショナーである)わしが(頭を下げて)頼んでも駄目か!」を繰り返している。作家の近藤唯之は金子の恫喝ともとれる傲慢な態度と、その説得力のない言葉に「俺の酒が飲めないのか」と下戸の後輩社員を責める酔っ払いのサラリーマンと同じレベルだと、著作で述べている。この時までに上田監督の要求は「審判を代えてくれ!」に変わっていた。
  • 上記の日本シリーズの1ヶ月後に江川事件が発生した。当初、「江川が巨人と結んだ契約は無効で、ドラフト会議で指名した阪神と入団交渉を進めるべきである」と発表し、世論の多くの支持を受ける。しかし、巨人に新リーグ構想で揺さぶりをかけられ、12月中旬でありながら翌年の開催日程も組めない非常事態に追い込まれた。その結果、強権を発動する形で「江川が阪神に入団後、巨人にトレード」という「強い要望」を発表し、「朝令暮改」と世間の非難を浴び晩節を汚す結果となった。また金子は巨人ファンで、コミッショナーになるまで財界の巨人後援会「無名会」会長であったことから、なおのこと非難が集中した。
  • 金子は江川事件について、最後まで自己弁護の発言をしなかったが、この事件が過ぎてから晩年に至ってもプロ野球については新聞記事を見るのさえ嫌ったとする伝説がある。
  • 金子の出身地である小千谷市の白山運動公園内の野球場近くには、金子の胸像が建立されている。