金桂元

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金 桂元
19680415金桂元.jpg
生誕 (1923-06-28) 1923年6月28日
死没 (2016-12-03) 2016年12月3日(93歳没)
大韓民国の旗 韓国 ソウル
所属組織

大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍

Flag of the Republic of Korea Army.svg 大韓民国陸軍
軍歴 少尉(日本陸軍)
大将(韓国陸軍)
除隊後 大韓民国中央情報部
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金 桂元(キム・ゲウォン、김계원1923年6月28日 - 2016年12月3日)は、韓国軍人政治家外交官朴正煕大統領が暗殺された1979年10月の10・26事件(朴正熙暗殺事件)の事件現場に居合わせ、事件の貴重な証言者となった。

人物[編集]

1923年6月28日、慶尚北道栄州に生まれる。延禧専門学校(現・延世大学校)卒。学徒出陣により日本軍少尉

1946年軍事英語学校卒業(軍番10035番)、任少尉。

1948年、第2連隊第1大隊長(少領)として勤務中だったが、日本軍で砲兵の経験があったことから、砲兵部隊創設に参加[1]。同年9月、第2砲兵訓練所長[2]。9月5日から約2か月間の基幹将校の教育を実施し、31人の教育修了者を輩出した[2]。同年10月、砲兵訓練所は解体され、野戦砲兵団(団長:張銀山少領)と砲兵学校が創設され、校長に就任[2]

1949年1月1日、砲兵司令部に改編され、砲兵団長に就任[2]。同年6月20日、砲兵司令部が改編され、砲兵連隊(連隊長:申應均大領)副連隊長(中領[3]

1950年3月、申應均が実務教育団長として渡日したため、砲兵学校長兼砲兵監[3]

1951年、陸軍砲兵司令官。

1954年、第27師団長。

1956年、情報局長。

1958年、兵站監。

1959年、情報参謀副長、任少将

1960年5月、陸軍大学総長。10月、第3管区司令官。

1961年、第5軍団長。同年5月、忠清南北道戒厳事務所長。

1962年、第6軍団長、任中将

1963年6月、陸軍参謀次長。

1965年第1軍司令官。

1966年9月、陸軍参謀総長、任大将(~1969年8月)[4]

1969年9月、予備役編入。

1969年10月、韓国中央情報部長

1971年3月、駐中華民国大使(~1978年11月)[5]

1978年、大統領秘書室長。

1979年10月、朴正熙暗殺事件で共犯容疑をかけられ死刑を宣告されたが管轄官確認過程で無期懲役に減刑した後、大法院で刑が確定した。

1982年、刑執行停止で釈放。

1988年、特別赦免・復権で刑執行が免除され公民権回復。

2016年12月3日、老衰により死去。93歳没。

脚注[編集]

  1. ^ 김종두 2003, p. 251.
  2. ^ a b c d 김종두 2003, p. 252.
  3. ^ a b 김종두 2003, p. 253.
  4. ^ 역대 참모총장(歴代参謀総長) (PDF)”. 大韓民国陸軍. 2015年2月21日閲覧。
  5. ^ 한국외교60년(韓国外交60年) (PDF)” (韓国語). 外交通商部. p. 523 (2009年12月). 2015年2月21日閲覧。

参考文献[編集]

公職
先代:
金炯旭
大韓民国の旗 大韓民国中央情報部
第5代:1969年10月21日 - 1970年12月20日
次代:
李厚洛
外交職
先代:
金信
大韓民国の旗中華民国大韓民国大使
第7代:1971年 - 1978年
次代:
玉満鎬
軍職
先代:
李鍾賛
大韓民国の旗 大韓民国陸軍大学総長
1960年5月 - 1960年10月
次代:
李成佳
先代:
張昌国
大韓民国の旗 大韓民国陸軍第1軍司令官
第9代:1965年4月 - 1966年9月
次代:
徐鐘喆
先代:
金容培
大韓民国の旗 大韓民国陸軍参謀総長
第18代:1966年9月2日 - 1969年8月31日
次代:
徐鐘喆