金氏 (奥州)

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金氏(こんし、きんし)は、日本の氏族。気仙郡金氏とも呼ばれる。

出自[編集]

平安期以来、気仙磐井郡岩手県)を中心に勢力を有した豪族。 安倍倉橋麻呂を遠祖とし、その後裔で貞観元年(859年)に初代気仙郡司として下向した安倍兵庫丞為勝(ためかつ)を始祖とし、貞観13年(871年)に郡内の金山から産出の金を朝廷に献上したことにより金姓を賜ったとしており、後世その末裔を伝える家は多く、金[1]、昆[1]、今[1]、近、紺、金野[1][2]、昆野[1]、今野[1]、紺野[1][2]、近野、横山氏[1]などもその流れを汲むといわれる。

岩手県大船渡市日頃市の長安寺の傳に「金氏は安倍倉橋丸の裔孫」とある[3]。なお、各系図とも平安時代後期の陸奥国の豪族金為時(ためとき)について同じくするが、その後は一致しない。次に合致するのは平泉藤原氏滅亡時の気仙郡の旧豪族金為俊(ためとし)の代である。

系譜[編集]

  • 金為時 - 前九年の合戦の際、朝廷軍陸奥守源頼義の部下として活躍した気仙郡司[4][2]。また、奥州安倍氏軍にも、安倍貞任安倍宗任の一族であった金師道、金依方がいた[4]。ほか、帰降者にも、金為行、金則行、金経永がいた[4]。気仙郡は多賀国府の直轄郡であり、金氏は陸奥守源頼義の命に従う義務があったが、金為行は安倍貞任の舅だった[5][4]ため、金氏一族は双方の陣営に分裂せざるを得なかったといわれる[4]。 
  • 金為俊(金十郎四郎為俊)は、平泉藤原氏滅亡後、山中に蟄居していたが、大河兼任謀叛のときに出でて、追撃軍に参加して、建久3年(1192年)祖業の気仙郡司に補任せられ、系邑三千余町を給せられた。

末裔とされる氏族、姓[編集]

  • 金、紺、昆(こん)、金野、紺野、昆野(こんの)   岩手県南から宮城県に多い姓、気仙郡司の金氏の支配地域だったこともあり、金氏の自覚を持つ人が多い。
  • 今(こん)
    青森県に多い姓。青森市を中心に津軽地方に多い[6]。県内に全国の4割が居住している[7]
    など
  • 昆氏
  • 今野

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h 『苗字の歴史』(中央公論社),p36
  2. ^ a b c 太田 1934, p. 2395.
  3. ^ 『新編 姓氏家系辞典』 P.597
  4. ^ a b c d e 岩手日報 平泉への道 8.気仙郡と金氏一族
  5. ^ 十訓抄
  6. ^ 『全国名字辞典』130P、森岡浩、東京堂出版、1997年、ISBN 978-4490104547
  7. ^ 『県別名字ランキング事典』13P、森岡浩、東京堂出版、2009年、ISBN 978-4490107739

参考文献[編集]

  • 『南部藩参考諸家系図 第1巻』国書刊行会、1984年。ISBN 978-4-336-01144-2。
  • 『岩手県史 第2巻 中世篇 上』岩手県、1961年。
  • 『岩手県史 第3巻 中世篇 下』岩手県、1961年。
  • オープンアクセス太田亮国立国会図書館デジタルコレクション 「金 コン キン コガネ カネ」 『姓氏家系大辞典』 第2巻、上田萬年三上参次監修 姓氏家系大辞典刊行会、1934年、2395-2396頁。 NCID BN05000207OCLC 673726070全国書誌番号:47004572https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130938/291 国立国会図書館デジタルコレクション 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年。ISBN 4-04-001030-2。
  • (有)平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名』平凡社、1990年。ISBN 4-582-91022-X。
  • 太田亮『新編 姓氏家系辞典』秋田書店、1974年。ISBN 4-253-00263-3。
  • 「角川日本姓氏歴史人物大辞典」編纂委員会『角川日本姓氏歴史人物大辞典 第3巻 「岩手県姓氏歴史人物大辞典」』角川書店、1998年。ISBN 4-04-002030-8。
  • 豊田武『苗字の歴史』中央公論社、1971年。

関連項目[編集]