金沢地震

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座標: 北緯36度40分 東経136度45分 / 北緯36.67度 東経136.75度 / 36.67; 136.75

金沢地震
金沢地震の位置(石川県内)
金沢地震
本震
発生日 1799年6月29日寛政11年5月26日)
発生時刻 申刻過ぎ(16時過ぎ)
震央 日本の旗 日本 加賀国
座標 北緯36度40分 東経136度45分 / 北緯36.67度 東経136.75度 / 36.67; 136.75 [1]
規模    M6.0-6.7
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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金沢地震(かなざわじしん)は、1799年6月29日寛政11年5月26日)の申刻過ぎ(16時過ぎ)に加賀で発生した大地震である[2]。地震の規模は推定でM6.4[3]もしくはM6.0±14又はM6.7[1]加賀地震とも[4][5]

概要[編集]

この地震は、現在の石川県金沢市を中心に大きな被害をもたらした[6]。当時金沢は、人口が10万人を越える大都市であったため、被害の記録が多く残っている[7]。強震地域は河北郡高松町から松任市までおよそ40kmの範囲に及んだ[6]。激しい縦揺れで、屋根石や石灯籠の竿石がとび上がったり、田の水が板のように3 - 4尺(約1メートル)上がったりしたという。あちこちで地割れが生じたひほか、金沢城でも、石垣に被害が出るなどし、大きな被害となった[8][7]城下町では潰家26、損家4169、土蔵損潰992(内3は潰)であった。城下町周辺でも、能美石川河北郡では損家1,003、潰家964、土蔵損7、土蔵潰1で、21人が死亡した[2]。また河北潟で砂丘が崩れたり、粟崎筋の砂地が八角に割れて噴水したりするなど、各地で大きな被害が出た。津波が発生したとの記録もあり、「宮腰津波」と呼ばれている[4]。当時の日記などには、被害を受けた町名や屋敷名のほか、被害状況が克明に記されている[8]

脚注[編集]

  1. ^ a b 松浦律子、中村操、唐鎌郁夫:講演要旨: 江戸時代の歴史地震の震源域・規模の再検討作業 ― 飛越地震など8地震について ― 歴史地震・第22号(2007) (PDF)
  2. ^ a b 石川県に影響を及ぼした過去地震”. www.jma-net.go.jp. 2020年10月20日閲覧。
  3. ^ 宇佐美 (1975)
  4. ^ a b 1799年(寛政11年)加賀地震における宮腰津波に関して調べている。具体的には、古文書にみられる加賀 レファレンス協同データベース
  5. ^ 加藤広之, 横山大地, 品川円宏, 中村克彦, 五十嵐雄介, 佐藤勝弘「福井県沿岸における津波の発生頻度を考慮した漁港の設計津波設定について」『土木学会論文集B3(海洋開発)』第71巻第2号、土木学会、2015年、 I_551-I_556、 doi:10.2208/jscejoe.71.I_551NAID 130005097540
  6. ^ a b 寒川旭「寛政11年 (1799年) 金沢地震による被害と活断層」『地震 第2輯』第39巻第4号、日本地震学会、1986年、 653-663頁、 doi:10.4294/zisin1948.39.4_653ISSN 0037-1114NAID 130006786769
  7. ^ a b 宮島昌克、佐々木伸安、北浦勝「1799年金沢地震における地盤震動分布と起震断層の推定」『日本海域研究』第33号、金沢大学日本海域研究所、 57-65頁、 ISSN 13477889NAID 110000086954
  8. ^ a b 石川県活断層調査”. www.jishin.go.jp. 2020年10月20日閲覧。