釜口水門

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上流側から見た釜口水門
下流側から見た釜口水門

釜口水門(かまぐちすいもん)は、長野県岡谷市にあり、諏訪湖から天竜川が流れ出る地点に位置する水門。天竜川の起点である。

アクセス[編集]

地図

歴史[編集]

諏訪湖には31の河川が流入するが、流出河川は天竜川のみである。諏訪湖を取り巻く流域面積は湖面積の40倍にもなり、大雨が降るとたちまち氾濫を招いていた。このため、古くは天正年間頃から治水工事に着手。江戸時代、諏訪湖の出口である釜口の水の流れを円滑にし、諏訪湖の水位を下げる工事が盛んにおこなわれた。特に天保年間、伊藤五六郎が釜口の浜中島を撤去した工事は有名である。1968年(明治元年)には弁天島を取り除くなど排水を促した。[1]

北斎の「富嶽三十六景 信州諏訪湖」の中央に描かれている祠は弁天島とされている。[2][3]

1936年(昭和11年)に、近代的治水設備としての水門が竣工した。だが1950年1961年の洪水では処理能力を発揮できず、改築が決定。1988年に放水量600t/秒の新水門が旧水門から諏訪湖側へ約80mの地点に完成した。これは旧水門処理能力の3倍に当たる。

現在の水門は2段式の6門ゲート(上段は6門、下段は3門)になっており、上段はフラップゲート(飛行機の羽のような形)、下段はローラーゲートになっている。通常は上段ゲートを操作し越流放流を行っている。

構造[編集]

水門の南側には、漁船を通すパナマ運河方式の舟通し水門がある。

又、北側には階段状になった魚道が設けられている。

釜口水門の魚道(2021.3.7)
舟通し水門(2021.3.7)

魚道[編集]

魚が諏訪湖ー天竜川間を行き来するための施設。

緩やかな流れになるよう、階段式になっている。魚道を流れる水量は毎秒2 - 4立方メートル、流速は毎秒2メートル以下になるようにつくられている[4]

舟通し水門[編集]

舟が諏訪湖ー天竜川間を行き来するための施設。

諏訪湖と天竜川には、約3.5メートルの水位差があるため、パナマ運河方式になっている[5]

周辺施設[編集]

「釜口水門水の資料室」が設置されており、諏訪湖や釜口水門、過去の災害に関する資料が展示されている。水門の諏訪湖側には遊歩道の橋が設けられているほか、南側には地元出身の「琵琶湖周航の歌」の作詞者小口太郎の銅像が立ち、旧水門建設時にトロッコ牽引で活躍したディーゼル機関車「プリマス号」(アメリカ製)が展示されている。釜口水門管理事務所では釜口水門の「水門カード」を配布している。

釜口水門すぐ近くの湖畔沿いに岡谷湖畔公園がある。武井直也、立川義明、細川宗英、大和作内の野外彫刻が展示されているほか、「うなぎのまち岡谷」の会が建立した「寒の土用丑の日発祥の地」 と刻まれた記念碑がある。

脚注[編集]

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  1. ^ 『『わたしたちの岡谷』』岡谷市教育委員会、2006年4月、45頁。
  2. ^ 文化遺産オンライン 富嶽三十六景 信州諏訪湖”. 文化庁 国立情報学研究所. 2020年3月7日閲覧。
  3. ^ 『『諏訪湖 治水の歴史』』長野県諏訪建設事務所、1998年3月31日、106p。
  4. ^ 魚道 (案内板). 釜口水門. 
  5. ^ 舟通し水門 (案内板). 釜口水門. 

参考文献[編集]

  • 『諏訪湖 治水の歴史』 長野県諏訪建設事務所 1998年3月
  • 『わたしたちの岡谷』岡谷市教育委員会 2006年4月
  • 「広報おかや」2020.12月号 特集 富嶽三十六景に描かれた今はなき幻の島を探る。

座標: 北緯36度3分12.3秒 東経138度3分10.9秒